取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「秋」で検索した結果,494件の記事が見つかりました。

素朴な可愛さ 全国土雛展(東蔵)

kajimura27.jpg

城東むかし町家(旧梶村邸)は江戸後期から昭和初期にかけての城東地区を代表する屋敷として大切に保存されているお屋敷です。毎年、お雛まつりの季節になると行って見たいところの一つです。今年も全国土雛展があり行って来ました。3月2日(水)~4月3日(日)まであります。[9:00~16:30火曜日は休館日] また、江戸時代の商家跡、梶村邸広間に七段飾りのお雛さまが飾られています。是非、ご覧ください。おススメです。(撮影2016年3月4日)2016年のスケジュール

素朴な可愛さ 全国土雛展(東蔵)の続きを読む

七森神社(坪井下)

nanamri2.jpg

七森神社(所在地 大谷神楽殿)
 祭神は、田心姫命(中瀛)・湍津姫命(海浜)・市杵島姫命(遠瀛)の三神です。
 いつの時代に勧請(神仏の分霊を迎える)されたかは定かではない。坪井下大谷の辺鄙の地に鎮座されていましたが、明治41年10月鶴坂神社に合祀されました。
 また、大谷山の芝草刈論争(大谷山論)で、江戸幕府に直訴以来勝訴になるまで坪井村の住民は、七森神社に必勝祈願を毎日続けたと云う。それ以来秋の祭礼は、10月17日に仕事を休み神様に感謝の意を表すことを決めたそうです。現在も坪井の若者が御神輿を担ぎ地区内を巡幸し、秋季大祭を盛り上げています。
 三神は、天照大神が須佐之男命と天の安河原にて御誓の時に生まれた神で、宗像にいて、筑紫国を治め、もっぱら天孫を助けたと云う。

七森神社(坪井下)の続きを読む

諏訪神社(勝田郡勝央町河原)

suwa28.jpg

当社の創建年月は不詳であるが、河原鏡山に古吉野庄の総社として創建されたと伝われている。
 天平5年(733)9月20日庄内の住民が集合して大祈祷を行って以来、この日を大祭日定めたとされ、当日は縫い物、畑仕事を禁じられた。
 長久3年(1042)古吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を勧請し、合祀した。
 安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破したので、移転地を信州諏訪に似たところとして、風害の少ない現在地に再建した。(御祭神 建御名方命 速秋津姫神 素盞嗚命 譽田別命 大國主命
倭建命 大己貴命)
 神社の境内にある神木(びゃくしん・いぶき)は本社移転時に諏訪豊前守藤原安盛宮司が手植えされたと伝えられ、樹齢800年の神秘な樹姿を見せる。また、十郎、徳丸(村人)の蛮勇で河原田圃開発の祈祷に使った伝承を持つ「雨乞い石」がある。(文:岡山県神社庁HPより)

諏訪神社(勝田郡勝央町河原)の続きを読む

備中櫓復元10周年記念「津山お城まつり秋の陣」

kouyou-gurume27.jpg

 津山城の備中櫓復元10周年記念の一貫として開催された「津山お城まつり秋の陣」の記念事業として創作アート、創作華展、また、横野和紙紙すき、竹細工絵付け、苔玉つくりなどの体験イベントや、鳥取県賀露港から朝どれ新鮮魚の直送やカニ汁のふるまい、21日と22日には、津山ホルモンうどん、そずり鍋、牛ももの丸焼きなど地元のご当地グルメや地域産品が集まり賑わいました。(撮影:2015年11月22日)

備中櫓復元10周年記念「津山お城まつり秋の陣」の続きを読む

雫の森と鉾立石(小原)

3.jpg

雫の森と鉾立石の由来
 雫の森は苫田の国府関係の祭神の史跡で祭政一致を旨とした古代神会を記念すべき意義ある旧蹟で平安の頃(西暦800年頃)此所に中山神社の離宮ができ、国司はここで中山神社を拝したと考えられる。天正中は中絶したが毎年秋9月9日が総社大祭には国府の祭官は神幸される中山神社の御神霊をここでお迎えして総社々前の客社に於いて奉弊したものである。

雫の森と鉾立石(小原)の続きを読む

在りし日の津山城の天守閣

tensyu12.jpg

津山城(鶴山公園)は、春には千本の桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人が花見に訪れます。桜の季節は、ぼんぼりに浮かぶ夜桜の美しさは幻想的です。 また、新緑の頃の藤、秋の紅葉、雪景色など、四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。天守閣などの建物は明治7年に取り壊されましたが、 本丸、二の丸、三の丸の石積みは、高さが45mもあり昔日の面影を今に伝えています。そこで、往時を忍んで天守閣の特集をしてみました。『津山城の石垣についての取材はこちら
津山城(鶴山公園)の過去の取材はこちら』2015年4月2日津山城(鶴山公園)内の銅版を撮影(複製写真:弥生の里文化財センター許可済み)

在りし日の津山城の天守閣の続きを読む

『藁屋根の風景 合田徳一郎遺作展』

31.jpg

2016年1月16日(土)から2月14日(日)まで『藁屋根の風景 合田徳一郎遺作展』が棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)にて始まっております。合田さんは「藁屋根の画家」として親しまれて来られました。山陰出張の帰りに伯備線の車窓から見た、高梁市入江地区のわら葺屋根の民家に魅せられて以降、日本の原風景ともいえる藁屋根の家を描き続けて来られました。展示では、藁屋根の風景を中心に作品が展示されています。(2016年1月20日撮影)

『藁屋根の風景 合田徳一郎遺作展』の続きを読む

美作の国 [歴史]

[歴史]
 古代から江戸時代に至る岡山県北東部の行政区画、東は播磨、西は備中、南は備前、北は因幡、伯耆の諸国に接する。「続日本記」和銅6年(713)4月3日の条に、備前国の、英多、勝田、苫田、久米、大庭、真嶋(島)の6郡を割いて、初めて美作国を置いたとある。美作は、「和名抄」では、<美萬佐加>と読む。国衙(こくが)は苫田郡(とまだ)内(現津山市総社)、国分寺は勝田郡(現津山市国分寺)に置かれた。863年(貞観5)苫田郡を苫西、苫東と分割する。奈良時代の終わりから平安、鎌倉時代にかけて多くの荘園が成立した。神護寺領佐良庄をはじめ、稲岡庄、梶並庄、倭文庄(しとりの)、河内庄、英多保、林野保、真島庄などが有名。武士団としては"菅家党"が有名。平安末期には稲岡庄で法然が誕生した。

美作の国 [歴史]の続きを読む

幻の佐平焼

15.jpg
 浮田佐平(1867年~1939年)は、製糸業をはじめとして、植林製材、三椏の栽培、奥津峡の観光開発など、多彩な事業をな した実業家でした。五十才を過ぎた佐平は、郷土の特産品を増やすため、各地から陶工を呼び寄せて大規模な窯を築き、最高の焼き物づくりに挑戦しました。こ れが、佐平焼と呼ばれている焼き物です。難しい結晶釉にこだわった佐平焼は、美しく光る細かな模様をその特徴とします。(文:津山郷土博物館 特別展「佐平焼―結晶釉の美と特産品創出―」より抜粋)

幻の佐平焼の続きを読む