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七森神社(坪井下)

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七森神社(所在地 大谷神楽殿)
 祭神は、田心姫命(中瀛)・湍津姫命(海浜)・市杵島姫命(遠瀛)の三神です。
 いつの時代に勧請(神仏の分霊を迎える)されたかは定かではない。坪井下大谷の辺鄙の地に鎮座されていましたが、明治41年10月鶴坂神社に合祀されました。
 また、大谷山の芝草刈論争(大谷山論)で、江戸幕府に直訴以来勝訴になるまで坪井村の住民は、七森神社に必勝祈願を毎日続けたと云う。それ以来秋の祭礼は、10月17日に仕事を休み神様に感謝の意を表すことを決めたそうです。現在も坪井の若者が御神輿を担ぎ地区内を巡幸し、秋季大祭を盛り上げています。
 三神は、天照大神が須佐之男命と天の安河原にて御誓の時に生まれた神で、宗像にいて、筑紫国を治め、もっぱら天孫を助けたと云う。

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大谷山論功労者之碑               七森宮
大谷山論
 昔柴草は牛馬の飼料とし、残りは糞尿と共に堆肥とされ、米作りの貴重な肥料であった。農民は狩場がなく困るので、入会権の仕組みをつくる。
大谷山は、坪井下村の共有であったが、享保5年頃(1720年)より入会山と言って、12ヶ村の農民が大拳大谷山に侵入し柴草を刈る。村民はこれを拒み、乱闘がたびたび起こる。同11年から一層激しくなり、ついに幕府に訴訟をした。幕府から、絵図面を作り、評定所で対決せよとの沙汰があった。坪井下村では、鶴坂神社へ坪井下村外12ヶ村の68名が集まり協議の結果、横二間・縦三間の絵図を難波栄運氏に頼み、絵図小屋(地名として現在残っている)で描いてもらう。
 その後、対決の結果、享保12年11月13日(1727)遂に坪井下村の勝訴となった。これが為経費として二百両(現在の約2,000万円)の大金を作るのに大変な苦労があった。
・坪井下の百姓は、柴草をサスにさし、何回となく売り歩いた。
・各家庭の茶釜を全部金に変えたために、坪井下村には一個の茶釜もなかったとのこと。
なお、採決必勝のため、住民は鶴坂様の祭礼は10月16日であるが、その日は仕事をしても、七森様の祭礼は翌17日ときめ、その日は仕事を休み、五穀豊穣と感謝のお祈りをした(現在も続いている)。

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[七森神社祭礼について] 七森神社の祭神(お祭りしてある神様)は、三女神です。
 この三女神は、福岡県宗像郡の宗像神社の祭神と同じです。市杵島姫神 湍津姫神 田心姫神です。
三女神は、天照大神がスサノオノミコトと誓約の時に生れた神です。
七森神社には、明治・大正・昭和の初期まで、女の方、特に津山の花柳界のお参りが多かったと聞く(古老のお話)

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本殿

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末社

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七森神社


 昔から、坪井下村の百姓は、大谷山の柴草を刈り、これを牛に食べさせ、余った草を、牛の糞と混ぜ発酵させ、田んぼの肥料として稲を作っていた。それが、今から290年ほど前(享保5年・1720年)、坪井村以外のところから、この大谷村に芝草刈に来るようになった。
 そうすると、坪井のお百姓が刈る柴草がなくなり大変困った。そこで坪井にあった代官所に訴え、大谷山は、坪井の山であるという判決があった。しかし、その後も近隣の人が大谷山に草刈に来るので、坪井の人と喧嘩になり多くのけが人がでた。そんな事が繰り返しあったので、代官所に相談し、庄屋・組頭・百姓惣代5名が江戸におもむき、幕府に訴えその直栽を仰ぐこととした。
 享保11年(1726年)この間、必勝を祈願するため、村人は毎日七森神社にお参りしたという。また、この時にかかった費用は二百両といわれ、これは、坪井の人々が家にある茶釜・鉄瓶を全部売って、つくったといわれている。坪井下には、茶釜・鉄瓶は全部なくなったそうである。
 この祈願の結果、翌享保12年11月13日勝訴の知らせをうけ、住民全員が、七森神社にお礼のお参りをした。このとき七森神社の祭礼は、10月17日ときめ、仕事は休み、苦労の数々を思い出し、互いに話し合う祭りとなった。
 現在は先人が大変な苦労の末、この坪井を守ったことに感謝し、これから次の世代を担ってくれる人にこの話を伝えるため、若い人が仕事を休んで、参加してくれています。
 皆さんも、昔こんな事があったんだなと想い、お神輿を迎えて下さい。
追伸
 大谷山には、踊り場という地名があります。これは、訴訟以来村民は疲労のどん底にあったといいます。この時勝訴の連絡を受け、村民全員で柴草刈場に上り、今までの苦しさを忘れ吹き飛ばす様に勝訴の喜びで一同踊りくるった場所を言います。(文:真家さん)(2016年1月10日・2月6日撮影)