取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「はな」で検索した結果,462件の記事が見つかりました。

ラモスカップが2013年10月5日(土)・6日(日)ありました。

saigo.jpg

「このラモスカップを無駄にしたくない。子どもたちの将来に役立ててくれればいい!その為にやっている。」と語って下さったラモスさん。

 「子ども達はもっともっとサッカーを好きになって、みがいていかないといけない。
うまくなりたければ、練習をする。誰よりもうまくなりたいと思う気持ちを持ち努力すること。
最後まで諦めない!気持ちが大切。

日本人は精神面が特に弱い。これからの監督が子ども達に、もっともっと情熱を持って、子ども達がうまくなる為に必要なマナーについても厳しく教えていかなければいけない。」と熱く語るラモスさん。

ラモスカップが2013年10月5日(土)・6日(日)ありました。の続きを読む

「地蔵院」と「宕々庵」(とうとうあん)

tokunou.jpg

地蔵院をお尋ねして谷崎潤一郎さんが、一時疎開していたという「宕々庵」(とうとうあん)のことをお聞きしてみましたが、もはや、写真も資料もないとのことで残念でした。今は、影も形もありませんが、地蔵院内にある愛山廟の前にダンジリ庫が建っているところにあったそうです。写真からうっすらわかるでしょうか?この写真は得能さんからお借りしたものです。記録では、庭には梅とつつじ、キリシマが植えられていたそうです。
誰か写真をお持ちではないですか?(2012.6.20)取材、前回の取材はこちら

「地蔵院」と「宕々庵」(とうとうあん)の続きを読む

【津山人】宇田川玄随(1755-1797)

genzui6.jpg

宇田川玄随(うだがわげんずい)
 宇田川玄随は元々漢方医で、蘭学に対して「西夷之子鴃其舌而左其衽何足以掛歯牙(西洋人はモズのように口を尖らせ、左前の服着た野蛮人で、歯牙にも掛けることはない)」という態度をとっていました。しかし、解体新書翻訳メンバーの一人であった桂川甫周や大槻玄沢から話を聞き、西洋医学に目覚めると、玄白などにも教えを受け、蘭学者となっていったのです。

1792年(寛政4)年10月19日、玄随が主導し、津山在住の藩医をはじめ、町医者2名が参加して、津山ではじめての解臓(解剖)を行った。

【津山人】宇田川玄随(1755-1797)の続きを読む

津山市田町の納涼祭

t10.jpg

今年も納涼祭の季節がやってきましたが、一度にあるので自分の地区、関わりのある所だけしか行ったことがないのではないでしょうか?今年(2013年7月27日)は田町の町内会の納涼祭におじゃましてみました。今年も大勢の子ども達が楽しんでいました。(年々子どもが増えているような気がするのですが・・・。)また、暑い中、準備や後片づけ等をされた、お世話役の方々ご苦労様でした。

津山市田町の納涼祭の続きを読む

本源寺 御霊屋(津山市小田中)

mitamaya.jpg

本源寺 御霊屋(おたまや) 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 御霊屋は寛永16年(1639年)の建築で、桁行3間(8.2m)、梁間3間(8.2m)、屋根は宝形造、銅板葺である。正面に唐破風屋根の向拝を付け、柱頭部に金襴巻状の地紋彫、頭貫に亀甲模様の地紋彫を施し、破風や垂木は精緻な彫刻で飾る。


☆本堂西の御霊屋(おたまや)は、忠政公逝去の5年後の寛永16年(1639)に、二代長継公の建立。忠政公をはじめ二代長継、三代長武、四代長成、父可成、兄長可、乱丸、坊丸、力丸、忠政公奥方、子息、息女など、森家と関家と松平家、全28基の御霊碑を安置しています。(本源寺は津山城の真西にあります。)

本源寺 御霊屋(津山市小田中)の続きを読む

本源寺 本堂(津山市小田中)

honden.jpg

▲東海山 本源禅寺 本堂 国指定重要文化財(2013年6月17日、7月3日取材)

 本源寺は、津山市街西部に位置する、臨済宗妙心寺派の寺院で、津山藩主森家の菩提寺である。境内中央に本堂が建ち、東に庫裏が並ぶ。本堂の北西が森家の墓所で、霊屋と霊屋表門を配する。
 本堂は慶長12年(1607年)に上棟され、桁行25.3m、梁間18.9mの方丈型本堂で、屋根は入母屋造、桟瓦葺とする。現在花頭窓が設けられている正面などは改変されているが、柱や梁組などの主要構造は当初の様子をよくとどめている。

詳しくは津山瓦版の過去取材の様子でご覧ください。

本源寺 本堂(津山市小田中)の続きを読む

朝吉神社(上村字王子屋敷)

朝拝殿3.jpg

  「加茂町史」によれば、もとは若王子権現と唱え、勝加茂西上(現上村)・勝加茂東原(現原)・勝加茂東坂上(現坂上)の三ヶ村の産土神で、文暦元年創建と伝えられ、明治のはじめにいまの社号に改めました。神社明細帳や明治以降の文献では祭神を下照姫命としています。(勝北町誌「神社と寺院」より)2012年10月25日取材

朝吉神社(上村字王子屋敷)の続きを読む

上塩(じょうしょう)の石仏(下高倉東字石仏)

地蔵.jpg

 上塩池の北の近平用水(ちかひらようすい)路の土手下に一体の石仏が祀られている。慶長8年(1603)に書かれた善応寺縁起(東作誌)に高倉県の33か所の霊場の一つとして下高倉村石仏の地蔵堂が記されていて、お堂に納められた石のお地蔵さんとして多くの参詣があったものと思われる。水田の構造改善事業のために移設され、昔の位置は定かではない。(2013年3月21日取材)(文:高倉の歴史と文化財より)

上塩(じょうしょう)の石仏(下高倉東字石仏)の続きを読む

湯郷Belleの加戸由佳さんの㈱トヨタレンタリース岡山津山駅前店での仕事ぶり

uketsuke1.jpg

 今回は、㈱トヨタレンタリース岡山津山駅前店にお勤めの加戸由佳(かどゆうか)さん(1990年6月19日生れ)の紹介です。加戸由佳さんは、岡山県出身で、岡山湯郷Belleをこよなく愛する、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)岡山湯郷 Belle所属の女子サッカー選手です。加戸由佳さんが、津山と言って一番に浮かんでくるのは作陽高校だそうです。そんな加戸由佳さんの職場での素顔を取材してみました。(2013年6月21日(木))

湯郷Belleの加戸由佳さんの㈱トヨタレンタリース岡山津山駅前店での仕事ぶりの続きを読む

長者池物語(下高倉東)

agefune_ike.jpg

長者池跡 右上の団地のところに堤があった。

 下高倉東の字長者池がその場所です。下高倉西の字長者池の丘陵と飯山山塊(さんかい)が接した所、下高倉西グリーンタウンの北側に堤がありました。北の端については、揚舟から後山に通じる一宮街道の北側の出張川(でばりがわ)から東が字揚舟で、西側の丘陵が字池峪、一宮街道の南の広い田んぼを「池ノ内田んぼ」と呼んでいることから、北の端はこの一宮街道あたりまでで、南北800mの大きな池であったと思われます。
 長者久作が住んでいた時代から400年後の宝暦5年(1755)に、長者池を廃して代わりに飯山池を造った記録がありますので、北の方が埋もれて水田に変わり狭くなった長者池(現在の字長者池内)が、この頃まで山西村の灌漑(かんがい)用水池として役立っていたことがうかがえます。
(2013年3月21日・6月13日取材)(文:高倉の歴史と文化財より)

長者池物語(下高倉東)の続きを読む