「地蔵院」と「宕々庵」(とうとうあん)
地蔵院をお尋ねして谷崎潤一郎さんが、一時疎開していたという「宕々庵」(とうとうあん)のことをお聞きしてみましたが、もはや、写真も資料もないとのことで残念でした。今は、影も形もありませんが、地蔵院内にある愛山廟の前にダンジリ庫が建っているところにあったそうです。写真からうっすらわかるでしょうか?この写真は得能さんからお借りしたものです。記録では、庭には梅とつつじ、キリシマが植えられていたそうです。
誰か写真をお持ちではないですか?(2012.6.20)取材、前回の取材はこちら
このダンジリ庫が建っているところが、宕々庵(愛山廟前)のあった所です。
ダンジリ庫裏、愛山廟、地蔵院に上がり口
愛山廟右、地蔵院に上がり口、地蔵院から下の愛山廟へ続く道
松平越前家(越前家)は、徳川家康の次男、結城秀康(秀康)を祖とする徳川御家門筆頭の大名家(秀康の弟、家康3男の秀忠が徳川2代将軍)。
慶長5年(1600年)の関ヶ原合戦後、秀康が越前に67万石で加増転封されたことによって成立した。
家康、秀康、忠直、光長に受け継がれた三河守は越前家宗家の名乗りとなる。
津山松平家の初代・宣富は、越前家3代・光長の養嗣子。
また越前家の合印「剣大」(津山市の市章)は、初代秀康が長兄の信康から授かったもの。秀康没後の越前家は光長まで御三家に次ぐ制外の家とされた。
津山松平家は親王家、御三家に許された駕籠「渋色網代黒塗長棒」の使用が許されており、津山家の極位極官は正四位上近衛中将で、江戸城内での席次も越前家一門の中で最も格が上であった。
家宝として、天下五剣の一つで、大包平と共に「日本刀の東西両横綱」と称される国宝・童子切、同じく国宝の稲葉郷、家祖・結城秀康が石田三成から贈られた石田正宗(国重文)の三振を伝えた。
津山の秋を彩る津山まつりの「だんじり囃子」は、越前家の陣太鼓と伝えられている。
この門は大谷から来た門(表門)だそうです。
地蔵院の門 愛宕堂
愛宕堂(平成20年10月30日津山市重要文化財に指定)と梵鐘
地蔵院の庭と庫裏:田岡嶺雲が津中の教師として津山に来た当時、この地蔵院の「はなれ屋」に下宿していた。当時は無住であった。津中(現津山高校)に近く、ここを借りたらしい。
拝殿とタラヨウのでっかい木