本源寺 本堂(津山市小田中)

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▲東海山 本源禅寺 本堂 国指定重要文化財(2013年6月17日、7月3日取材)

 本源寺は、津山市街西部に位置する、臨済宗妙心寺派の寺院で、津山藩主森家の菩提寺である。境内中央に本堂が建ち、東に庫裏が並ぶ。本堂の北西が森家の墓所で、霊屋と霊屋表門を配する。
 本堂は慶長12年(1607年)に上棟され、桁行25.3m、梁間18.9mの方丈型本堂で、屋根は入母屋造、桟瓦葺とする。現在花頭窓が設けられている正面などは改変されているが、柱や梁組などの主要構造は当初の様子をよくとどめている。

詳しくは津山瓦版の過去取材の様子でご覧ください。

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津山市小田中にある東海山 本源寺の

本堂、庫裏、御霊屋、霊屋表門、中門が国指定重要文化財


 江戸時代 前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺が新たに国の重要文化財に指定されることになり、2013年7月1日(月)~7日(日) 午前10時~午後5時まで国指定重要文化財記念として一般公開されました。また、7月7日(日)は森 忠政公380年忌法要が行われました。


☆本堂には御本尊に釈迦牟尼仏、右に達磨大師、左に木像森忠政公像〔(1631)作で、公62歳の寿像〕を祀る。鎮守は弁才天。庫裏には韋駄天像(いだてん ぞう)をお祀りしています。

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☆本堂の屋根に掲げてある鶴の紋が色がついている

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☆本堂の正面

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☆本堂前庭のノウゼンカズラが美しい       ☆御成り玄関

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☆本堂には御本尊に釈迦牟尼仏、右に達磨大師、左に木像森忠政公像〔(1631)作で、公62歳の寿像〕を祀る。鎮守は弁才天。庫裏の韋駄天像(いだてん ぞう)は、二世大梅禅師の作を七世列堂禅師が毀損(きそん)せしことを畏れ(おそれ)、自ら韋駄天像を作り体内に納め「新古不二 分身一体 両輪後推 長 護千年」と銘して安置す。

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☆本堂

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☆鯱

(右)森家鶴丸紋の鬼瓦
 この鬼は、平成20年に森家御霊屋を修復した際に、床下から発見されたもの。どの場所で使用されていたかは定かでない。非常に緻密で美しく鶴が表現されている。

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▲御成玄関 葵紋の鬼瓦
 本源寺には玄関が三つあり、庫裏の玄関と本堂の東の玄関と、西の御成玄関である。庫裏の玄関は台所用向き、本堂東の玄関は本源寺の正式な玄関。御成玄関は藩主のみが使用する藩主専用の唐破風の玄関である。当初は森家の「鶴紋の鬼」が使われていたと思われるが、藩主が松平家に変わり、本源寺は松平家の菩提寺にもなったので、以後 松平家の「葵紋」を寺紋として使用するようになった。

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(左)本堂 隅木蓋瓦

 本堂の「隅木」の先端を風雨から護るため、隅木の先端に取りつけられた瓦である。

(右)本堂 本源寺庫裏屋根 守護神

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(右)本堂 降り鬼
 この二つの鬼は、開口による阿吽の違いは無いが、額に牡丹の花とつぼみ、眉毛の上下、髭の形に違いを付けている。

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(左)本堂 二の鬼

 この「二の鬼」や「隅鬼」「降り鬼」などの鬼面の周りにある複数の丸は、数珠を現しており、「数珠掛鬼瓦」という。「二の鬼」は、隅棟の途中に乗せるため、「隅鬼」とくらべて鬼面の部分を全体の上部につくり、底部はおわん形にへこむ。

(右)本堂 隅鬼(稚児鬼)

 屋根の隅に向かって斜め方向に降りている棟を「隅棟」といい、その先に付くので「隅鬼」という。隅棟が二段になっているとき、上方の棟を「二の棟」、下方の短い棟を「稚児棟」という稚児棟の先に付くのは「隅鬼(稚児鬼ともいう)」二の棟の先に付くのは「二の鬼」という。「隅鬼(稚児鬼)」は、隅棟の山の所に乗せるため、それに合わせて底部が「への字」にへこんでいる。

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(左)庫裏の 降り鬼

 庫裏の降り棟の鬼瓦。大棟から、軒先に向かって降ろした棟を「降り棟」といい、その先に付くので「降り鬼」という。降り鬼の特徴は屋根に乗せるため、底部が真っ直ぐであること。この鬼は、大棟の鬼瓦と同じ元文4年に上げられた。阿形と吽形がある。

(右)庫裏南面の大棟の鬼瓦
 当初、庫裏の屋根は「柿葺」であった。柿葺とは、幅9~10センチ、長さ24~30センチ、厚さ2~3ミリの薄板をずらしながら下から重ねて葺いていく葺き方である。この鬼は、元文4(1739)年に「柿葺」から「瓦葺」に変えた時に上げられた南北の大棟の南側の鬼、額に太陽を付け、眉毛は逆立ち、口を開いた阿形。大棟の鬼瓦は大きいので、いくつかの部品を組み合わせる「組鬼」となっている。これは、胴と足を組み合わせた「三つ組鬼」

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(左)庫裏北面の大棟の鬼瓦
 元文4年の庫裏の北側の鬼瓦。額に月を付け、眉毛は下がり、口を結んだ 吽形。

(右)本堂大棟 左卍の鬼瓦
 慶長12(1607)年頃の創建当初の鬼瓦。元は、胴と足を組み合わせた「三つ組鬼」であったが、足の部分は失われてしまった。「卍」は、仏の胸や手足などに表される徳・瑞相・吉祥の象徴。吉祥万徳の集まる所の意味もあり、寺院でよく使用されている。右卍と左卍があるが、日本では左卍が多く用いられる。古代インドでは右卍が多いが、中国や日本ではその区別はない。卍の日本最古の例は、薬師寺本尊の薬師如来の掌と足の裏に描かれたもので、白鳳時代である。

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☆本源寺鳥瞰図

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本堂                           庫裏や蔵、長屋も見えます。

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御霊屋と御成り門                  総門から中門までに灯篭があった。

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 この絵は、明治28年立秋に描かれた本源寺の鳥瞰図である。和田陵雨作。伽藍は、現在とさほど変化はない。参道には燈籠が、七基づつ並んでいる。参道両脇は、当初 蓮池がある庭園であったが、宝暦年間(1751~1763)に伽藍維持に困窮した本源寺10世萬愚和尚が、庭を開拓し田畑とした。御霊屋前の御成門には、朱塗りが施されている。

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☆本堂の欄間                    駕籠

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☆本堂の鬼瓦

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☆本堂の鬼瓦

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☆本堂の鬼瓦

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☆庫裏の鬼瓦

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☆鬼瓦

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↑御成り玄関の鬼瓦

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☆鯱

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☆本堂の瓦と守り神


鞍懸寅二郎の墓

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 本源寺内には、鞍懸寅二郎の碑なるものがある