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取材記事内を検索ワード「大日如来」で検索した結果,67件の記事が見つかりました。

馬頭観音(杉の宮・上村)

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 馬頭観音は大日様を本願とする馬の供養塔として建てられたものである。村にある2基の馬頭観音はどちらも建立年代が遅く、牛の守り神である大日様の石碑よりも数も少ない。
 この地方の農村はやはり牛が中心であって、近世になってから耕馬の導入が多くなり、そのため建立の時期とも符合するように思われる。
 馬車などの運搬手段による馬の利用が多くなり、一部の農家にとっては大きな収入源でもあった。牛の供養と同じように、死んだ馬の供養とともに無病息災を願い、大日如来の「種子」が石碑に刻まれている。

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大山みちを歩こう会(第5区)

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大山みちは、信仰と牛馬の道です。霊峰伯耆大山への参詣を目指す旅人と博労座で開催される市へ向かう牛馬の群れが行き交った道です。大山みちは、岡山市の足守より粟井温泉~掛畑~千升乢~加茂市場~尾原~真庭市鰻田~鹿田~落合~久世~三坂峠~禾津~藤森~延助~内海乢を経て、鳥取県御机~鍵掛峠~大山寺に通ずるルートです。現在ではその殆んどが一般道路に併合吸収され、往時の姿を留めている箇所はあまり見ることは出来ません。
現在、「大山みち」を6分割して、歩く会が実施されていますが、今回はその5回目(5区)に当たります。5区のコースは2コースに分かれます。本道は、柞乢越えで距離も短く急ぎの旅人に利用されて来ました。もう1つのコースは、湯原温泉に1泊して休養を取り、旧二川村の三世七原、小童谷(湯原ダムにより水没)を経由して、野田で本道に合流する道でしたが、現在は消滅してたどることは出来ません。
歩く会は、あと6区を残すのみとなりました。第1回は平成26年に既に終えていますが、釘貫小川から三坂峠を越えて久世に至る峠道です。この間は全体の約70%が山道です。第5・6区も山中の道で、それに次ぐ昔の面影を最も残している区間と言えます。  (第2回の様子はこちら

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因幡街道に残る「いぼ神」(日本原)

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まちの文化財 信仰絶えない"いぼ神" 勝北町 因幡街道に昔の祠残る
 勝北町日本原の家並みがある西はずれ、通称「日本坂」と呼ばれているところに国道五十三号線と旧国道にはさまれ、谷のようになった中をその昔、津山と鳥取を結んだ因幡街道が通っていた。
 そのころは、この街道を行き来した旅人が多かったであろうが、今は国道改良工事により、通行はできなくなっている。街道の面影は失われ、わずかに踏み跡だけが残っている道にかたわらに「水神様」「すりばち様」または「いぼ神様」と呼称される祠(ほこら)がある。
 石造りの祠の中に、小さなお杜が祀られ、杜前には岩の間からかすかに流れる泉をたたえた、直径約十七㌢ほどの"すりばち状"の水たまりがあり、そのそばには柄杓が置かれている。
 昭和の初め、私どもが子供のころです。イボができたとき、村人はこの泉の水をイボに塗り、早く治ることをお祈りしました。その後いつの間にかイボがなくなったと聞き、幼心に不思議に思ったものでした。

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知恵を願う文殊菩薩(山形)

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知恵を願う文殊菩薩 筆などを供え素朴さ残す
  勝北町山形の字寺尾、八幡神社の上り道のかたわらに、石造りの「文殊菩薩」と彫った文字塔が、ひっそりと立っている。
 石塔の高さ七〇cm、表面の下方に蓮華を彫り、その上の中央に「文殊菩薩」右方に「文政七年」「世話人忠蔵」左方に「申八月日」「其外連中」と刻銘されている。文政七年といえば、今から一六七年前、世話人忠蔵を中心として、文殊信仰に篤いこの付近の人びとによって、建立されたものであろう。

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第46番~第49番・第60番・番外>

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 2018年3月26日(月)清龍寺6:00出発して四国八十八ケ所霊場巡拝に出かけてきました。
今回は第46番浄瑠璃寺~第60番横峰寺までの15ヶ寺と香積寺を(一泊二日)で巡ってきました。
順路は、第60番 横峰寺 ⇒ 小松(昼) ⇒ 香積寺 ⇒ 第46番 浄瑠璃寺 ⇒ 第47番 八坂寺 ⇒ 第48番 西林寺 ⇒ 第49番 浄土寺 ⇒道後温泉(泊) ⇒ 第50番 繁多寺 ⇒ 第51番 石手寺 ⇒ 第52番 太山寺 ⇒ 第53番 円明寺 ⇒ 第54番 延命寺 ⇒ 今治(昼) ⇒ 第55番 南光坊 ⇒ 第56番 泰山寺 ⇒ 第57番 栄福寺 ⇒ 第58番 仙遊寺 ⇒ 第59番 国分寺 ⇒ 今治湯ノ浦IC ⇒ 豊浜SA ⇒ 児島IC ⇒ 高梁SA ⇒ 津山でした。

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第41番~第45番>

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 2017年10月31日(火)宇和島国際ホテルを7:30分出発で四国八十八ケ所霊場巡拝(後半)に行って来ました。
 今日は41番龍光寺から45番の岩屋寺までの5ヶ寺です。順路は 第41番 龍光寺 ⇒ 第42番 佛木寺 ⇒ 第43番 明石寺 ⇒ 第45番 岩屋寺 ⇒ 第44番 大宝寺の順番でした。

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文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩くNo.2)

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2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。八幡神社から続いて向かったのは、西賀茂神社(杉さま古墳群・ナナミノ木)→苫勝霊場78番と石造物群→成名公民館駐車場までです。

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文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩くNo.1)

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2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。出発は津山市野村にある成名公民館駐車場10:30出発です。今回は近長から杉宮周辺です。周辺には土浦藩の代官所跡や、多くの石造物などが残されており、歴史のある地区となっています。道のりは約7.5kmです。(2011年 川港が栄えた町楢の今
No.1は、念仏講碑・近長四ツ塚古墳群→近長代官所跡・八坂神社→八幡神社までです。続きはNo.2で

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医王山 等覚寺(大字宮尾)旧久米町

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医王山 等覚寺(大字宮尾)旧久米郡 (2014年9月17日取材)
天台宗の寺院である。作陽誌には嘉祥三(850)年の建立とあり、又、貞観二(860)年三月、天台座主慈覚大師が、清和天皇の勅命を奉じて建立したものともされている。何れにしても平安前期の開山創立ということになる。往古は十二坊もあったといわれるが保元年中(1156~1159)火災により末房悉(ことごと)く消失した。それから約六百年ばかりの間は様子がわからないが、江戸時代になって天和二(1682)年五月梁行二間、桁行二間の本堂が建てられ、それから九年の目の元禄四(1691)年三月十二日には庫裏が建築された。庫裏は敷坪十二大工、備前國奥(邑久)郡上山田村、光義次左衛門となっている。それから五十五年目の天明三(1783)年には鎮守八幡堂・門・飛境内の観音庵・大日堂が出来上がった。

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第25番~第30番>

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 2016年10月26日・27日に津山市河面にある墨池山 清龍寺さんの四国八十八ヶ所霊場巡拝、第18番札所~第30番札所まで(一泊二日)に参加させていただきました。その時の様子をまとめてみました。今回は第25番~第30番までをご紹介します。

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