梅の木神社(羽賀)

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腹痛の神として信仰 病の武将助け祀る
 勝北町羽賀の公会堂横に「梅の木神社」という小さなお社がある。この神社いわれは口伝えで定かではないが、遠く戦国時代、群雄が割拠しその攻防の争いはこの近辺でも繰り広げられた。その頃のある日、戦いに敗れ手傷を負った一武将がこの地へ落ちのびてきたそうである。
 それをこの土地の人が気の毒に思って懇ろに介抱したが、その甲斐もなく亡くなってしまった。人々は、哀んで手厚く葬り、小さなお社を建て一本の梅の木を植えて供養したと言う。

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 その後、誰いうことなくこのお社を「梅の木大明神」と呼ぶようになったそうである。
 ある時、この土地の人でひどい腹痛に悩まされ、仲々薬石の効がなかったのだが、梅の木神社にお参りし祈願をしたところ直ちに全快したという。このことが広く知れわたって、腹痛に霊験あらたかな神様として、近郷近在をとわず参拝者がふえたということである。
 このことは東作誌にも「梅木大明神、腹痛を祈りて験有とて近年流行す」というように記録されている。現在では、この土地の人以外は参拝する人も殆どなくなった。しかしかなり遠方から尋ねて来る人もたまにあるようである。
 梅の木神社の拝殿には発句額が揚げられている。明治中頃のもので、文字が薄れて読みづらくなっているが、発句三十五句、冠句四十句が美しい筆蹟で書かれている。作者は主にこの近辺の人々である。
 こうした発句額はほかにも町内のお寺やお宮に奉納額として揚げられているが、私たちの郷土で昔からこうした文化活動が盛んに行われたことに敬意を表したい。(文:『勝北版マイタウン かつた記録集』より)(写真:2019年2月24日)

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大日如来                    手水鉢