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取材記事内を検索ワード「神社」で検索した結果,763件の記事が見つかりました。

白加美神社恒例の夏祭り(小田中)

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2016年7月17日(日)に、白加美神社恒例の夏祭りがあり行って来ました。今年もビール飲み放題! 子ども達にはジュースに綿菓子無料、金魚すくいあり、お宝さがしあり、参加者全員に景品がもれなく当たるビンゴゲームもありで、賑やかな夏祭りでした。(2014年の様子)(2015年の様子

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嵯峨用水にかかる水車(平福)

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2016年6月21日に水車を見たくて行って来ました。雨上がりの少し蒸し暑い日ですが、たんぼに植わった稲の清々しさにひとめぼれです。寛永9年(1632年)津山藩主森忠政が改修を命じたのが始まりとされていますのでおそらく、森忠政公も同じ風景を見ていたことでしょう。何百年も続いて来た風景にロマンを感じました。
(嵯峨井堰を源に、本線は小桁まで14k。二宮分2kを含めて全長16kに及びます。網の目のように張り巡らせた支線を含めればゆうにその倍はあろうかという、津山では最長の用水路です。)

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2016年6月10日のイナバ化粧品店

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2016年6月10日のイナバ化粧品店内はお馴染みのお客様で身動きが取れないほど賑やかでしたよ。ママさんは「満中陰の法要が済んでほっとしております。お父さんがこれほどまでに多くの方に愛されていたんだとしみじみ感じます。また、私は子ども達がやさしくしてくれる上に、多くの方々が気遣ってくださって本当に感謝しております。」とのことでした。

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森神社(西横山)

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 由緒 口碑によると、戦国時代に此の地の領主の荒尾志摩守が京都の伏見から、稲荷神社の御分霊を勧請したものと伝えている。勧請年代は不詳で、もと町内字朝伏に鎮座していたのを、寛文四年に現在地に遷座した。明治四十五年一月境外末社の国常立神社を合祀した。(文:岡山県神社庁HPより)
 作陽誌には「守神社在二横山村一 氏神也祭祀端午重陽仲冬十二日、境内東西四十八間、南北十九間、末社有二荒神」とあります。村社(2016年3月6日撮影)

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作楽神社とアヤメの花が爽やかでした。

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2016年5月5日(子どもの日)津山市神戸(じんご)の作楽神社のアヤメを見に行って来ました。この日は親子連れが花畑の中であそんでいてほほえましい。このアヤメも町内の方がお手入れなさっておられるそうです。

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忠臣蔵四十七義士・茅野和助常成について

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自眼流居合の使い手にして歌人
茅野和助常成
志深浅働次47士中43番目
・町医者に扮して、吉良邸付近を探索。
・赤穂浅野家に四年間仕えただけにもかかわらず、討入りに加わった。
・槍は浅野家屈指の使い手で、自眼流居合を得意とした。
・歌道で秀で、秀峰と号した。
生年・生国 寛文7年(1667)・美作国
役   職 横目
行   年 37歳(元禄16年2月4日、切腹)
祖父・父ともに津山森家に仕えていた。常成は最初から義盟に加わり、吉良邸探索に力を尽くした。泉岳寺修業僧白明の依頼により和歌一首、俳句一句を書いた。

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忠臣蔵四十七義士・神崎与五郎則安について

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脱藩藩士を厳しく批判した「赤城盟伝」を著した赤穂藩随一の酒豪
神崎与五郎則休(1666~1703)
志深浅働次47士中37番目
・酒好きで、ついたあだ名が「燗酒よかろう」(講談)
・短歌を詠み、俳句を作り、江農舎竹平と号す。
・「赤城盟伝」を前原伊助と共に記した。
・吉良邸近くに、前原と共に米屋を開き、探索にあたる。
生年・生国 寛文6年(1666)・美作国
役   職 徒目付、郡目付
行   年 38歳(元禄16年2月4日、切腹)
もと津山森家の家来だった。文武両道に秀でていただけでなく、俳句が得意でいくつか残されている。扇子や小物を売り歩いて吉良邸を探索した。前原宗房とともに「赤城盟伝」を著した。

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加茂インフォーメーションセンター

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加茂地域の観光案内、特産品・農産物販売を行っているところです。津山瓦版も加茂の取材の時はお世話になっています。津山市加茂町は、軒戸神社の大イチョウ、サムハラ神社、金比羅山など多くの歴史が眠っているところです。多くたたら遺跡が今も残っており、7世紀頃から製鉄作業が盛んに行われ、人々はその頃から豊富な水の恩恵を受けていたことが知られています。(2015年10月30日撮影)

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藤和田神社(王子大権現・車戸神社)久米町(領家)

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藤和田神社(領家)
祭神は、伊弉諾命・菅原神・天穂日命である。
此の社は正暦4(993)年8月、近江國犬上郡多賀村に鎮座の多賀神社の 分霊を勧請したものであるので祭神は多賀神社と同一の神であるはずであって「かれ、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀になもまします。」(古事記上巻)と あって多賀神社の祭神は伊邪那岐大神であるので、藤和田神社の祭神は当然伊邪那岐命であることは申すまでもないことである。

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