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取材記事内を検索ワード「水鉢」で検索した結果,81件の記事が見つかりました。

田熊八幡の回り舞台は国の重要民俗文化財

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 今年(2016年)も津山地域のお祭りも最終になり、11月3日は阿波八幡神社の花祭り(岡山県の無形民俗文化財)、新野まつり(岡山県重要無形民俗文化財)、中山神社の秋祭り(本殿は国指定重要文化財)、田熊八幡宮の秋祭り回り舞台が国の重要民俗文化財)とあります。
 一昨年(2014年1月5日)に取材した田熊八幡宮を再度組んでみました。また、2015年11月1日(日)には、国指定重要有形民俗文化財「田熊回り舞台」の国指定40周年を記念した芸能・文化発表会が開催されました。(※2011年の特集)

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森神社(西横山)

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 由緒 口碑によると、戦国時代に此の地の領主の荒尾志摩守が京都の伏見から、稲荷神社の御分霊を勧請したものと伝えている。勧請年代は不詳で、もと町内字朝伏に鎮座していたのを、寛文四年に現在地に遷座した。明治四十五年一月境外末社の国常立神社を合祀した。(文:岡山県神社庁HPより)
 作陽誌には「守神社在二横山村一 氏神也祭祀端午重陽仲冬十二日、境内東西四十八間、南北十九間、末社有二荒神」とあります。村社(2016年3月6日撮影)

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諏訪神社(勝田郡勝央町河原)

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当社の創建年月は不詳であるが、河原鏡山に古吉野庄の総社として創建されたと伝われている。
 天平5年(733)9月20日庄内の住民が集合して大祈祷を行って以来、この日を大祭日定めたとされ、当日は縫い物、畑仕事を禁じられた。
 長久3年(1042)古吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を勧請し、合祀した。
 安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破したので、移転地を信州諏訪に似たところとして、風害の少ない現在地に再建した。(御祭神 建御名方命 速秋津姫神 素盞嗚命 譽田別命 大國主命
倭建命 大己貴命)
 神社の境内にある神木(びゃくしん・いぶき)は本社移転時に諏訪豊前守藤原安盛宮司が手植えされたと伝えられ、樹齢800年の神秘な樹姿を見せる。また、十郎、徳丸(村人)の蛮勇で河原田圃開発の祈祷に使った伝承を持つ「雨乞い石」がある。(文:岡山県神社庁HPより)

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金毘羅神社(大手町)

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 当初、森家の重臣赤座主殿の屋敷神として城内にあったが、明治5年(1872)2月に、城内から京町に移され、現在は町内神として杷られている。
 河川や海上安全を祈念する金毘羅神社は、吉井川の高瀬舟運行関係に従事した人々の信仰を集め、特に「金」の文字が付くことから商売繁盛の神としても信仰されている。
2015年4月14日取材

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倭文(しとり)神社(油木北)旧久米町

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倭文(しとり)神社 大字油木北字宮山

 古来倭文郷の地主神として祀られた神様で、倭文(しとり)神社と唱えたが、中世志津(しず)大明神又は、七津(しづ)大明神と唱えられ、明治6年油木神社と改称され、更に明治10年に旧称の倭文(しとり)神社に復して今日に及んでいる。
 作陽誌には、七津明神とするのは倭文の?(太く荒い糸で織った絹織物)の名の「倭文」は志登利、あるいは志都利と讀むべきものを「都」は「ツ」とも読むので倭文をシズと読んで「七津」の文字を宛てたものだが之は誤りであるとするのである。

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高津神社(大字里公文)旧久米町

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高津神社 大字里公文字葉山

 祭神は大日霊貴命で、配祀は倉稲魂命・奥津彦命・奥津姫命・軻遇突智神・天目一箇神・天香々背男神・素盞鳴命・大山祇命・月読尊・級長津彦命・級長戸辺命・蛭児命・保食神祭日は、例祭10月17日、祈年祭2月23日、新嘗祭11月14日、挿秧祭5月1日
神号は、文化2年(1805)から「高津大神宮」と唱え、明治維新後「高津神社」となって今日に及んでいる。

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権ノ庄のお大師様(小田中神田)

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 道祖神の場所から西へ40メートル程進んだところに権ノ庄のお大師様があります。建立された年度は不明ですが、元々紫竹川の氾濫の多い場所を鎮める目的で、紫竹川から少し小高い部分に建てられたいたことが、付近の地名に安岡屋敷そうき畑の地名が残る事から分かります。現在は老朽化の為に平成16年12月に町内会と個人寄付により建て替え落慶法要を済ませました。その後、年二回の老人会の行事として長雲寺の住職の導師作法により法要を営んでおります。(文:つやま城西まるごとまち自慢より抜粋) 2015年4月8日取材

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楢村の稲荷様(楢)

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 稲荷大明神を祭った社が鷹(高)山にあり「稲荷様」と呼んで楢村の商売繁盛の神として村の人たちに敬われていた。山の北面中腹に岩倉を背にして社がつくられ、西側の近長道から鳥居をくぐった参道が右折して2,3段の石段を上がるともう一つの鳥居がある。そこから15.6mの石段を上ったところに社がある。

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吉見神社(吉見)

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吉見神社 所在 神庭村大字吉見
 大日靈尊・大己貴命を祀る。元和2年9月字岩尾山鎮座女一神社(祭神大日靈命)國司神社
(祭神大己貴命)を合祀し、字京上に轉祀す。女一社は仁壽元年3月、國司は安和元年9月の勸請と傅へらる。明治6年村社に列せられ吉見神社と改稱す。大正6年無挌社12社を合祀す。後神饌幣帛料供進神社に指定せらる。(文:苫田郡誌より抜粋)2014年9月26日取材

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上部神社(うわべじんじゃ)(草加部)

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上部神社 所在 神庭村大字草加部
 譽田別命を祀る。天照大御神及び天兒屋根命を相殿とす。初め欽明天皇32年天照大神を祀り上部大神宮と稱す。次て清和天皇貞勸2年更に譽田別命を勸請し天照大御神及び天兒屋根命を相殿に祀り上部八幡大神宮と改稱し、養和中初めて放生會を行ふ。明治6年村社に列せられ上部神社と改む。同40年神饌幣帛料供進神社に指定せらる。(文:苫田郡誌より抜粋)2014年9月26日取材

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