廣戸神社のスイレンの花(津山市大吉)
廣戸神社(大吉字平野)
ここには古くから植えられている尼子杉尼子藤という杉と藤の木が現存ししている。「天和3年(1683年)美作國主森伯耆守長義より神社再建費及び琴壹面を寄進せらる明治5年に社名を廣戸神社と改稱す」だそうです。弁天池にはスイレンの花が咲いている。(2014年7月1日取材) →前回の取材はこちらから
廣戸神社(大吉字平野)
ここには古くから植えられている尼子杉尼子藤という杉と藤の木が現存ししている。「天和3年(1683年)美作國主森伯耆守長義より神社再建費及び琴壹面を寄進せらる明治5年に社名を廣戸神社と改稱す」だそうです。弁天池にはスイレンの花が咲いている。(2014年7月1日取材) →前回の取材はこちらから
2014年8月12日(火) 今年も上山神社で執り行われた、復活3年目の上山集楽盆踊りに友人と参加してきました。地域内外から約450人が訪れ、スカイランタン(天灯)、花火、紙芝居、タップダンス、盆踊り、くじ引きなどを楽しんでおられました。 また、屋台ではカレーライスやおにぎり等の心のこもった手作りグルメを満喫しました。そして夜空に舞い上がる500個のスカイランタンには会場のみんなが歓声をあげていました。また、昨年に引き続き福島生き活きキッズの子供達も参加して上山の盆踊りを楽しんでお帰りになったそうで良かったですね。
白加美神社の恒例の夏祭りが2014年7月20日(日)にありました。今年はビール飲み放題! 参加者全員に景品がもれなく当たるビンゴゲームもあり、和気あいあいとした夏祭りでした。
2014年7月23日(午後7時~)津山市宮脇町にある徳守神社で夏越祭(わぬけ祭)が行われました。
茅萱で作られた大きな茅の輪を抜けると無病息災の御利益があると昔から言われて大勢の人がこの茅の輪をくぐってお参りしておられました。それに子供から大人まで心待ちにしているのは縁日の屋台とお菓子投げでした。来年こそは一家で参加してご利益をいただこう。(徳守様の取材)
2014年7月27日(日)は八出天満宮である「天神様の夏祭り!」
この日午前中は、湯立神事・無病息災と豊作を祈願する神事がありました。今年の豊不作の掛けは?
「湯立神事」
湯立神事とは、釜湯立、湯花とも言いて、熱湯を仕立て小笹をもって、その湯のしづくを全身に溶し誠心誠意を神明に誓う意味より起りたる神事で、古くは湯立舞として巫女が舞いたることと貞觀儀式に見えたり。第五十六代清和天皇の貞觀年間により始まったとされている。(川崎八幡神社の湯立神事より抜粋)
かつて江戸城内にあった東照宮を飾った豪華な御簾
紅葉山東照宮 御簾
享保21年(1736)以前の作 竹・緞子・金工の組合せ
紅葉山東照宮の神前に掛けられていた御簾。簾の中でも高級なものは、特別に御簾と呼びます。細い竹ひごを編み、周囲が緞子(地が厚くて文様をあしらった光沢のある絹織物)でふちどられ、三葉葵紋の金具や織模様が多数あります。上部には紐の長い房が2か所に取り付けられ、その紐には鉤(簾を巻き上げた時に引っ掛けて止めておく金具)が付いています。最上部には、中央の日輪をはさんで左右に龍・麒麟・天馬・獅子の飾り金具が配置され、全体として非常に豪華な作りです。初代将軍であり「神君」とも呼ばれて徳川家の守り神とされた家康を祀る社殿を飾るのにふさわしい仕様とデザインで、かつての徳川将軍家の絶大な権威を思い起こさせます。
付属の由緒書によると、享保21年(1736)に浅草寺伝法院を経て美作一宮の中山神社神職美土路家が拝領し、同家に伝来したものです。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材
天平年間に、行基菩薩が開創され、弘法大師も弘仁年間に巡錫されたと伝えられています。昔は五社明神の別当寺として、神社の近くにありましたが、天保5年現在地に移りました。
昭和28年、現在の本堂落成の際、高野山から、作東高野山摩尼院の称号を頂き、爾来檀信徒皆様の篤いご信心によって、山容が整いました。(文:高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより)2014年6月24日取材
河辺町内中心地上の町(桝形)のほぼ中央に位置し、普段は広場になっていますが、河辺神社のお祭りの際には、御神輿の中継場所とし使われ、御神輿で運ばれたご神体が一時滞在し、お宮と同じく子供による舞が奉納されます。
今の場所へは戦後移転されたもので、昔は東坂のすぐ近くにあり、出雲街道を通る殿様への恭禮の場所として使われていたそうで、御禮場と呼ばれ屋号も残っています。
河辺の氏神様で、御神体:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 御本尊:月夜見尊
(つくよみのみこと)がまつられており、境内には昔河辺村内に点在していた神様を移転し、まつってあります。本殿は、昔加茂川の近くにあった社を、山上がり(桝形に由来する)の際に、現在の場所に移転されました。
⑥八神三宝荒神社
この神社は、昔国分寺奥の院に至る道沿い(地蔵谷)にまつられていた八体の神様が、まとめられおまつりされています。
昭和初期の姫新線開通頃までは、今の場所より数百メートル西の八神地区(立花団地付近)にまつられていたそうです。
地蔵谷・国分寺奥の院跡は、現在山道は通行不可能と思われます。
国分寺奥の院は愛宕神社の山の南側(河辺と反対側)に位置し、木立の中に石積みがわずかに残っています。