2013年本行寺(ほんぎょうじ)の枝垂桜・ひがん桜(西寺町)
本行寺(ほんぎょうじ)のしだれざくらとひがん桜(2013年3月28日取材)
本行寺は、慶長9年津山市街の成るに及んで南新座に移り、更に今から約367年前の元和2年に現在の西寺町に移ってきた。境内墓地には「人間裁判」の故・朝日茂氏のお墓がある。(詳しくはこちらで)
本行寺(ほんぎょうじ)のしだれざくらとひがん桜(2013年3月28日取材)
本行寺は、慶長9年津山市街の成るに及んで南新座に移り、更に今から約367年前の元和2年に現在の西寺町に移ってきた。境内墓地には「人間裁判」の故・朝日茂氏のお墓がある。(詳しくはこちらで)
室尾神社は、青柳室尾の寺山に在り、祭神は『上加茂村誌』によると、大己貴命・大山紙命・木花咲耶姫命となっているが、『作陽誌』は、父国玉命・事代主命・宇賀魂命だといい、「此神はタタラ師の持来りし神なりと 故に金鋳護の神といふといふ 又山の神ともいふ」と記している。
津山市在住の国画会会員の画家植月正紀さん(76)は、昭和39年の国展入選を皮切りに中央画壇で活躍。(国展審査員歴40年以上続けておられます。)2010年にはスペインにある芸術家審査機関・AMSC(アートメゾン美術評論家選考委員会)が選出する最も評価すべき芸術家の一人として、「スペイン顕彰賞」を受賞したり、2012年フランス芸術委員会・評議員からフランス芸術最高勲章受賞、イタリア・ローマグレゴリアン大学名誉作家やキューバ芸術文化名誉大使に認定されるなど、海外からの評価が高い。(2013年4月9日取材) 2013年7月10日~植月正紀絵画展(喜寿記念展)はこちらをご覧ください。
美作国建国1300年記念「鎮魂の為のART4人展」(2013.4.3)
(赤枝佳代子、飛鳥和子、梅川知子、天狗寺陶白人)
建国1300年を記念して、美作の地を創り上げてきた名もなき人々への思いと、東北の震災でなくなられた方々への思いを、4人のアーティストが写経・藍染・絵画・映像・木像・陶芸のアートで表現する作品展です。
歌舞伎を演じる土人形たち展が、3月22日(金)~4月29日(水・祝)が城東むかし町家(旧梶村家住宅)であり、早速行って来ました。歌舞伎土人形を始めて拝見しましたが、とても感動しましたので皆さんも是非ご覧になってください。(2013.3.24)
寂静山 教本寺跡
下高倉西二区公会堂から北北東に約200mのところに「宗祖見眞大師650回忌法要記念碑」がある。この道を隔てた北側が教本寺の跡地である。寂静山教本寺は天正2年9月(1574)に真言宗備永寺として建立された。
その後、享保14年(1729)、備前守右近正広入道の時代に浄土真宗に改宗された。明治26年、12代導隆のときに本堂が再建され、13代導徹も引き続き寺院の整備につとめ門徒数も増加した。当時お寺の縁日には地元の高倉をはじめ、遠方からも大勢の参拝者が続き賑わっていた。
特別企画 「華と雅楽の奏で」雅楽「雅古楽会」の演奏と嵯峨御流華道津山司所 光岡道寛司所長が、雅楽の演奏に合わせて花を生けるパフォーマンスが3月2日(土)ベルフォーレ津山でありました。(2013.3.2取材)
○1F展示室 企画展
美作国建国1300年記念「鎮魂の為のART四人展」
(赤枝佳代子、飛鳥和子、梅川知子、天狗寺陶白人)
第1会場:ジュエリーカンダ本店・カンダミュージアム
津山市川崎1902-3 0868-25-1231
4月3日(水)~4月15日(月)
入場料:無料
第2会場:棟方志功・柳井道弘記念館
津山市東一宮13-8 0868-27-3239
4月3日(水)~4月30日(火)
入場料:無料(2F常設展をご覧いただく場合は500円となります。)
じ・ば・こ(じいちゃん・ばあちゃん・子どもたち)みんなの文化祭
日時:2013年2月24日(日)10時~午後3時、会場:作州民芸館
子どもたちに、文化や遊び、手を使った作業を伝えることと、子どもたちと地域の方の交流を目的に開催されました。
実行委員会には、西小学校、西幼稚園、城西保育園、美作大学、NPO支援センター、津山市、津山市社会福祉協議会、青壮年会や子供会んお方も加わり、どんな内容にしていこうか検討してきました。
この日行われる、いろいろな体験に参加した子どもたちには、この日だけ使える特別なお金「テラ」(寺)」がご褒美。(文:城西まちづくりレターより抜粋)
安藤幸夫(刀銘広清)さんは、昭和22年2月4日津山市福井生まれ、東京でコック(札幌オリンピックにも関わる)をしながら、昭和40年鎌倉市の研師西村勝政に入門し砥の勉強をしていたそうです。子どもの頃から刀が好きだったので砥をやったが、終始一貫して出来るということで、昭和47年に刀匠(刀匠 小林康宏氏に師事。8年間の修業を経て文化庁から刀匠の認可を受けた。56年郷里の津山に帰り、本格的に作刀を始めたのだそうです。同57年には新作名刀展に初入選する。以後、連続して入選する。
<以下の文章は津山市広報から抜粋>
日本刀は月に2本しか作ることが許されていませんが、その少ない機会の中で、様々な鉄を使って、研究を重ねています。特に江戸時代以前の鉄砲や釘などの古鉄を探し、鋼に仕立て直し材料にしています。大変手間が掛かり、ほかの刀匠は嫌がりますが、この手間こそが現代に名刀を蘇らせるのだと思っています。
技術というものは、いったん失われてしまうと、蘇らせるのに百年は掛かるものです。ほんの一瞬のことで次の世代に伝統が伝わらなくなってしまう。そんな失われた幻の古刀を自分の手で再現したい。