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取材記事内を検索ワード「加茂郷」で検索した結果,104件の記事が見つかりました。

毎見山 景光寺(加茂郷88ヶ所霊場第30番札所)

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景光寺
 当寺は山下にあって、毎見山景光寺と号し真言宗醍醐寺三宝院の末寺であり、本尊は不動明王である。嘉永元年(1848)に安楽院法師が開基し、当時は物見にあった。明治18年現在地に移転した。昭和2年には、無住寺となっている。(『苫田郡誌』)(文:『加茂町史本編』より転載)(2022年10月4日撮影)(先達:木元林造さん)

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大砂地蔵堂(加茂郷88ヶ所霊場第42番札所)

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 公郷大砂(おおさこ)の大砂講組13軒は、7月24日と8月24日の年2回、地蔵様を祭る。
祭の日は、昼食後、各戸から地蔵堂に集まって念仏鐘をたたき、「南無阿弥陀仏」を合唱し、線香をたく。夕方まで念仏がつづく。念仏が済むと、昔は精進料理で、各戸から集めた金で酒を買ってきて飲んだ。子どもたちには「バゼ炒り」を特別に作ってきて配る家もあった。現在は「せんべい」を配っている。この講は伝染病、厄払い、その他病気除けを祈願するものであり、昔は法福寺住職を招いて先導してもらって唱和したが、現在は講組の長老がやっている(芦田薫談)(文:『加茂町史本編』より転載)(2022年10月20日撮影)

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中土居阿弥陀堂(加茂郷88カ所霊場第19番札所)

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 創建年代は不詳であるが堂内に享保11年(1726)丙午天の日附で28人の名前を書いた木札が残り、その裏面には寛延3年(1750)として念仏鐘一個を寄進した28人の名前が書かれている。更に享和2年(1802)と慶応元年(1865)8月の二度にわたり現高福寺によって再建の法要が営まれた祈禱札二枚が残されているところからみて、少なくとも享保11年以前の創建であると思われる。
 お堂の前の小径は現在では通る者は誰もいない廃道と化しているが、かつては大畑と西谷を連絡する主要な村道であり、これに面して建てられた阿弥陀堂は加茂谷88番札所でもあった。本尊は、阿弥陀如来(木彫立像、高さ70㎝を厨子に納める。全身に金泥の跡が残る)左側に弘法大師座像を並べている。(文:『阿波村誌』より転載)(2022年10月4日撮影)

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大畑大師堂(加茂郷88カ所霊場第20番札所)

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 創建年代は不詳である。堂内に残されている仏具の箱の蓋の表には「天保〇年十月、因洲大東郡大工」とありこのころ一度改築されており、間口二間、奥行四間萱葺き屋根のお堂となり地区の集会場と兼用で使われてきた。戦後、屋根をセメント瓦葺きに改造しているが、堂全体の老朽化と手狭なため昭和47年ごろ公会堂が別に新築されてからしばらくの間はそのまま放置されていた。屋根、壁、窓などの傷みもはげしいので昭和60年ごろ全面的な修理が行われたので、それまで地区の年配の女性の間で毎月20日個人の家を持ち廻りで開いていたお大師講がここで開かれるようになり今も続けられている。堂内には「明治3年6月14日没夏山妙清信女位」と記された簡素な木脾が残っている。
阿波村字薬師堂1701

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棚田阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第62番札所)

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 棚田阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第62番札所)津山市加茂町中原棚田
現在の建立場所は、加茂の原田さんの土地に建っていて「いまいち大師堂」と呼ばれているそうです。 
本尊は阿弥陀如来 高田理髪店の裏10m(2021年6月11日撮影)

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大ヶ原大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第31番札所)

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 大ヶ原大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第31番札所)は、標高756mの矢筈山の北西山麓に位置する津山市加茂町知和の大ヶ原に、戦国時代につくられた矢筈城(高山城)主草苅氏の大規模な居館跡の入口にあります。詳しい由緒などはわかりません。(2022年9月18日撮影)

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大杉地蔵堂(加茂郷88ヶ所霊場第22番札所)

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 大杉地蔵堂はもと字大杉地蔵堂2,739番地に方一間半の小堂を建てて地蔵菩薩を祀ってあった。戦前のことで年代は不明であるが、大杉地区の集会場を兼ねるためこれに増築しており、大般若経の奉読・ 大数珠まわしなどの仏教行事も行われ、加茂谷88ヶ所の札所でもあった。
 昭和25年ごろ、ここに大杉地区の公会堂を新築することになり、地蔵堂は公会堂に接続して北側に一室を設けて移転した。お堂の前にあった六地蔵も道路を隔てて向こう側に移転する。六地蔵は更に県道拡張のため、表橋の現位置に移転することになる。
 公会堂が単に集会場だけでなく、各種の用途に利用が増えるようになったので、地蔵堂の位置に調理室を増築することになり、地蔵堂は近くの表橋のたもとに昭和53年6月、方一間半の小堂を建てて本尊を安置し、現在に至っている。
 本尊は地蔵菩薩(木彫坐像、高さ51㎝、彩色のあとが残る)隣に石彫の弘法大師坐像を祀る。

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早栃阿弥陀堂と大高下大師堂(加茂郷88ヶ所霊場)

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早栃阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第24番札所)
 創建年代は不詳である。明治5年高福寺によって再建の法要が営まれている。西向山極楽禅刹(寺)と伝え、屋根は寄せ棟萱葺きであったが昭和30年代にトタン葺きとしている。
 お籠りや数珠まわしも行われていたが、数珠まわしは堂内が狭いので、中でちょっとまわしてあとはかついで外でまわしていた。ここも加茂谷88ヶ所霊場の一つとされ、阿波村内巡礼の最後の場所となっていた。本尊は阿弥陀如来(木彫蓮華台立像金色、高さ52㎝を厨子に納める)(文:『阿波村誌』より)(2020年11月14日撮影)2022年現在は大高下薬師堂も合祀されているようです。

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下沢釈迦堂(加茂郷88ヶ所霊場第15番札所)

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 創建年代は不詳であるが堂脇にあった銀杏の老木からみてかなり古い時代からここに建てられていたようである。
 堂は下沢地区の中央にあり、下沢公会堂が別に昭和52年に建立されるまでは、すべての集会・地区行事の時には堂内が使用されたので30有戸全員の集合できる広さがあった。
  百万編念仏・二夜三日念仏には当番が世話をしておにぎり煮物を持ち寄り、高福寺より大きな数珠を竹ノ下と交代で若衆が担いで帰り、堂内で輪をつくり念仏や心経を唱えながら数珠廻しの行事を行った。この行事は太平洋戦争中に中止された。
  加茂阿波88ヶ所霊場巡拝が盛んな頃は札所とし賑やかに利用さえた。現在のお堂は近年再建されたものである。
 堂脇の銀杏は周囲が4mからの大木で秋には黄金の葉色が殊に輝き阿波村入口の名木として村民から愛されていたが、人家の屋根の上まで枝が広がり古木のため台風や積雪による予期せぬ災害のおこることも憂慮して、阿波村はついに昭和55年惜しみつつ伐採したため堂は孤立し淋しくなった。
本尊は釈迦如来(金色木彫蓮華台座像、高さ53㎝を厨子に納める。)左側に弘法大師を並べて祀る。

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