作東高野山 摩尼院 法輪寺(美作市大聖寺)
天平年間に、行基菩薩が開創され、弘法大師も弘仁年間に巡錫されたと伝えられています。昔は五社明神の別当寺として、神社の近くにありましたが、天保5年現在地に移りました。
昭和28年、現在の本堂落成の際、高野山から、作東高野山摩尼院の称号を頂き、爾来檀信徒皆様の篤いご信心によって、山容が整いました。(文:高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより)2014年6月24日取材
天平年間に、行基菩薩が開創され、弘法大師も弘仁年間に巡錫されたと伝えられています。昔は五社明神の別当寺として、神社の近くにありましたが、天保5年現在地に移りました。
昭和28年、現在の本堂落成の際、高野山から、作東高野山摩尼院の称号を頂き、爾来檀信徒皆様の篤いご信心によって、山容が整いました。(文:高野山真言宗 美作八十八ヶ所霊場HPより)2014年6月24日取材
河辺町内中心地上の町(桝形)のほぼ中央に位置し、普段は広場になっていますが、河辺神社のお祭りの際には、御神輿の中継場所とし使われ、御神輿で運ばれたご神体が一時滞在し、お宮と同じく子供による舞が奉納されます。
今の場所へは戦後移転されたもので、昔は東坂のすぐ近くにあり、出雲街道を通る殿様への恭禮の場所として使われていたそうで、御禮場と呼ばれ屋号も残っています。
⑨岩神大明神様
腰の痛みによく効く神様として、多くの人がおまいりしています。
農作業等で腰が痛くなった時、岩神様の石を背負うと治ったそうで、社には蛇がまつられています。
以前この場所では蛇がたくさん住んでいたそうです。
昔河辺地区で、表面に露出した大岩は、現在の岩神様のところしかなく、信仰の対象となったものと考えられます。
⑦最上位経至大菩薩
最上様は五穀豊穣の御利益があり、日蓮宗の信徒の方々によりおまつりされています。
昭和4年までは、旧出雲街道脇(西坂付近)にまつられていましたが、建物が老朽化したため、今の場所に拡張し建て替えられました。
写真の石碑は、出雲街道沿いに有ったものを社と一緒に移動したものと考えられ、河辺地区にある石碑の中では、最も古いものと思われます。
石碑に元禄元年(1668年)と刻まれています。
河辺の氏神様で、御神体:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 御本尊:月夜見尊
(つくよみのみこと)がまつられており、境内には昔河辺村内に点在していた神様を移転し、まつってあります。本殿は、昔加茂川の近くにあった社を、山上がり(桝形に由来する)の際に、現在の場所に移転されました。
⑥八神三宝荒神社
この神社は、昔国分寺奥の院に至る道沿い(地蔵谷)にまつられていた八体の神様が、まとめられおまつりされています。
昭和初期の姫新線開通頃までは、今の場所より数百メートル西の八神地区(立花団地付近)にまつられていたそうです。
地蔵谷・国分寺奥の院跡は、現在山道は通行不可能と思われます。
国分寺奥の院は愛宕神社の山の南側(河辺と反対側)に位置し、木立の中に石積みがわずかに残っています。
⑩北向地蔵菩薩
北向き地蔵菩薩は、勝南霊場八十番に指定されており、社は小さいが有名なお地蔵様で、北を向いている所から、今の呼び名となっています。
今は合格祈願等でお参りされていますが、以前は疣(いぼ)・できもの取りの祈願がされていたそうです。特に子供におかげがあるそうで、素朴な地蔵がまつられています。
北に向かってまつられていることが、とてもめづらしいそうです。
塞の神の長い民間信仰の歴史の過程によって機能は複雑となり、色々な附会された伝承が各地域で受け継がれ、また他の神々と習合され、幸せや金運を授けてく れる神というような現実的な人生の希望を託す信仰にもなっている。岡山県下の塞の神は祠が多く、中北部で、咳、耳、脚の神とされ、塞の神にはその他、縁結 びの神、和合神、性神、道路の神、交通安全の神などさまざまの信仰や形態がある。(2014年5月14日取材)
津山市の城東地区は、旧出雲街道沿いに江戸時代の古い建物が残る町並み保存地区として国の「重要伝統的建造物群保存地区」(重伝建)に指定(平成25年度)され、景観の修景保存に力を注いでいる地域である。しかし、この地区は、高齢化率は40%を超えている。しかも空き家が目立ち、高齢者の独居世帯も数多くある。大きな社会変革の中で、普段は顔の見えない存在であった高齢者と子どもたちを主人公にしたふれあいイベント「じ・ば・子の文化祭」が過去4回実施され、地域に新たな活力を呼び起こし、改めて「優しさ」や「懐かしさ」といった人間優先の価値観を取り戻すきっかけ作りを目的にしている。
赤坂さんは、津山市出身で現在は、岡山市に在住されています。只今は、津山市観光ボランティア「お国自慢」のメンバーで大活躍しておられます。そんな赤坂さんにお話を伺いました。「津山といえば、歴史と文化と古い町、津山城がとても印象的な街だと思います。また、津山の魅力を写真で伝え、津山のPRに繋げてゆきたいと思っています。不思議、謎を見つけて皆さんに再発見してもらえたら楽しいかも?将来の夢は、写真を通して子ども達へ文化・歴史の継承をすること。」と明るい笑顔で語って下さいました。
また、瓜生原には生家があり、その一角に趣味で集めたものを展示しておられるそうです。