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2014年3月30日~4月9日の白加美神社のさくら

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2014年4月9日の桜

小田中に鎮座する天照大神を主神とした社で、作陽誌には白神社と記す。寛永12年森長継から大隅神社・八出天神社同様20石の知行を受けている。
  本殿は主神にふさわしく神明造(しんめいづくり)とする。しかも、他の形式の介在をまったく許さず、正統性をよく保っていることは、市内に数社ある神明造 社殿のうちでは抜群である。すなわち、平面は桁行三間・梁間二間とし、正面中央のみ扉口を設けること、軒、屋根面ともに反りはなくあくまでも直線的である こと、両面に棟持柱(むなもちばしら)を有すること、破風板上方に鞭掛(むちかけ)があること、棟には千木(垂直に切る)堅魚木をのせること、等どれを とっても正規の造りになる。

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三子山 泉水寺(津山市下田邑)

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開基
三子山泉水寺を作陽苫田郡田邑村の西南に在り四面皆山塵閙を隔て幽閙に志て精舎に適するの霊地なり、傳へ云ふ往昔行基菩薩諸國を修行志て此地に巡錫志給ふ其時光明燦然と志て山野に輝やき山麓の泉水碧泉溢れ阿弥陀如来泉水中より山々現志給ふ閻浮檀金の尊像あり菩薩深く垂跡を皈依志給ひ忽ち佛體を作りて體内に籠め草庵を結びて安置す之を當山の本尊と為す

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旧郷社 田神社(たじんじゃ)と荒神社

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田神社(たじんじゃ)由緒
 当社は貞観年中(859~877)に行教法師と田口信濃介統範が豊前宇佐八幡宮の御神霊を勧請して創建したと伝えられている。応神天皇、神功皇后を祭神とする。
 もと上采に所在したが、大正7年(1918)に田神社を主祭として天剣神社、千家里神社、天津彦神社を合祀して一村一社とした際に、現在の鎮座地 金粟(こんぞく)に移転した。2014年1月12日取材

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【津山人】白石 靖さん(バンブークラフト アーティスト)

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昭和60年(1985)の年賀郵便切手にも使用された竹細工の作州牛、その作州牛を作る白石靖(きよし)さんをお尋ねしてきました。「16歳の時に父親を助けようと思い、家業の竹細工の見習いを始め、約3年の修行を経て昭和32年父親と一緒に試行錯誤しながら考案した作州牛が今では津山の代表的な郷土玩具と言われるようになった。」そうです。(2014年3月11日取材。)

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【津山人】 白石 哲 氏(1924~2012)

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三鬼の最後の弟子 白石 哲さん、俳号は白石不舎(しらいし ふしゃ)

大正13年(1924)、津山市生まれ。西東三鬼に師事。遺言により津山に西東三鬼之墓を造立す。以後俳壇と無縁も上京後三橋敏雄らと交遊、俳諧滞らず、昭和61年帰郷と共に、西東三鬼顕彰を志す。「綱」主宰。句集「作州」。西東三鬼賞委員会副委員長。
平成24年2月27日、逝去。

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一宮街道の道標(下高倉東・下高倉西)

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▲後山の伴俊美宅の西側の三叉路に「右一ノ宮 左大たい寺道」、

 野村から高倉に入った揚船の四辻に「左一の宮 大たい寺」、後山の伴俊美宅の西側の三叉路に「右一ノ宮 左大たい寺道」、と刻まれた道標があり、この道が一宮街道であつたことを示している。「一宮」は美作国の一宮である中山神社で津山市一宮にあり、遠くから牛馬農耕の守護神として参詣される。「大たい寺」は「美作西国三十三カ所霊場」の第八番雲光山大帯寺で津山市勝部にある。2013年12月11日取材

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田殿神社(美作市田殿)

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 当社の創建は不詳であるが、正平16年(1361)11月辛丑、山名時氏が吉野郡田殿村鞍掛城主美濃守赤松氏の支族佐用貞久、有元佐久等を攻め降伏させた。その際、当社に戦勝祈願の報恩として鳥居、額面を奉納した。
 一級河川梶並川が神社前面(北側)で大きく歪曲し、水衝部となっていることから、度々冠水により田畑の被害があったと考えられ、氏子の治水祈願から主祭神である瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)を祀ったものと思われる。
 大正10年7月20日村社列格。(岡山県神社庁HPより)

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節分草(美作市田殿)

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2014年2月22日美作市田殿にある田殿神社へセツブンソウ(節分草)を見に行きました。只今、真っ盛りでございます。小さな花で一生懸命太陽を見上げております。

セツブンソウ(節分草) は、キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草。関東地方以西に分布し、石灰岩地域に多く見られる。高さ10cmほど。花期は2-3月で直径2cmの白い花を咲かせる。花弁に見えるのは萼片である。和名は、早春に芽を出し節分の頃に花を咲かせることからついた。可憐な花は人気が高く、現在は、乱獲や自生地の環境破壊によって希少植物になっている。(文:ウィキペディアより抜粋)

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綾部神社(津山市綾部)

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(2013.1022・10.30取材)

 本神社はもと字皇子に鎮座の皇子社と字宮の各鎮座地の國司神社とを欽明天皇30年に古事記山に合祀、創建して、國司神社と称した。清和天皇貞観2年9月に譽田別尊を勧請し、社号を八幡宮と称し、綾部郷の総社として尊崇された。
 当地は応神天皇御代に綾織りの職工を置かれた所で、、綾織りの業が盛大であったので、人民は天皇の御得を尊んで奉斎した。
 寛文12年9月に美作国主森長継公が崇敬し、本殿を再建した。明治6年2月に村社に列し、綾部神社と改称した。明治41年11月に稲荷神社・先山神社・日尾神社・杉神社を合祀した。(昭和2年6月25日郷社に列した。)

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