三子山 泉水寺(津山市下田邑)

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開基
三子山泉水寺を作陽苫田郡田邑村の西南に在り四面皆山塵閙を隔て幽閙に志て精舎に適するの霊地なり、傳へ云ふ往昔行基菩薩諸國を修行志て此地に巡錫志給ふ其時光明燦然と志て山野に輝やき山麓の泉水碧泉溢れ阿弥陀如来泉水中より山々現志給ふ閻浮檀金の尊像あり菩薩深く垂跡を皈依志給ひ忽ち佛體を作りて體内に籠め草庵を結びて安置す之を當山の本尊と為す

本尊出現の霊泉は當山麓津山より香々美へ通づる街道の傍に在り今尚玉泉滾々と志て盡きず往昔を忍ば志む
菩薩の弟子法基七堂伽藍を建立志更に東山の山に各一宇を建立志如来の石像を作りて安置す是に於て三尊を併せ唱へて三子山と稱志玉泉湧溜するを以て泉水寺と名づけ東之坊中之坊西之坊と号す 延歴二年(783)なり

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泉水寺入口

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正面                          楽寿観音

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境内

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本堂                            鐘楼

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階段                           奥の院

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拝殿と本殿                        本殿

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慶老石                          亀石


後鳥羽法皇の行幸と妙見勧請
第12世法山上人法性の息玉泉院と号す承久3年後鳥羽法皇西狩の途次駕を當山に狂け阿彌陀法を修志王は偶々霊験あり北 辰妙見山上亀石に降る即ち星形の石を以って此処に北辰妙見を勧請志亀石慶老石を以って玄武の体磐と為志且つ佛舎利を納めを以って壽金延長開通の守護と為志 勅願所に列志宝祚延長国体鞏固を祈り給ふ本尊供料彼岸田15石妙見供料福田15石を寄進志給ふと云ふ亀石は牛茶褐色に志て其形恰も亀に似たり慶老石は茶 褐色紋鮮碧砂固し其形恰龍頭の如く共に稀世の什宝なり(校正作陽誌所蔵)
彼岸田は今の上田邑彼岸田の地にあり福田は今不明なれども西奥之院の囲りとあれば其辺たるべ志

尼子氏との関係
文亀大永以降数代山陰5州の国主雲州富田の城主
尼子氏の祈願所となる(作陽誌所蔵)

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末社神

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天平の泉(本尊出現の霊泉)


神樂尾山妖怪降伏之事
天正6年冬11月妖怪あり夜々神樂尾城を龍ふ身長丈餘魁偉両眼烔烔鏡の如くそう總多井躰金麟を帯びて銛鍼の如く聲雷にも似て虚空を飛翔す城主大藏甚左衛門直治謂へらく神力の擁護を得るにあらざれば焉ぞ鎮むつを得んと則ち當山鎮守に祈願志国老荒尾これ棊を志て日参せ志む
是に於いて今月15日法印法佛城内に至り蟇目秘法を修む妖災忽ち除し城主大に喜び翌日宝刀波の平を當山に奉納す(資料提供:泉水寺 2014.1.7日取材)