北酒造場跡(中北上)
北酒造場跡(岩屋)
安政5年(1858)創業。「清酒岩滝」は岩屋城の山王宮の岩滝より命名。昭和5年転業まで70有余年地域の人々に愛された。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
北酒造場跡(岩屋)
安政5年(1858)創業。「清酒岩滝」は岩屋城の山王宮の岩滝より命名。昭和5年転業まで70有余年地域の人々に愛された。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
坪井金毘羅宮石灯籠(坪井)
安政2年(1855)寄進。灯籠には「村中安全」と彫られている。金毘羅宮は称念寺の南側の西山(古墳)」の頂上にある。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年5月30日撮影)
鶴坂頂上にあり、峠越えにふさわしい休憩所であった。「出雲街道 鶴坂」の石柱がある。鶴坂は津山から平坦な道が続く出雲街道の中では最初の峠で難所であった。かつてはこの峠に至る8本の小道があり、当時はこの峠が地域においても交通上重要な位置を占めていたようである。大井西村役場もあった所である。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)
明治6年創立で挙母藩陣屋官邸が校舎で、学区は坪井下村、中北上村の半村、南方村であった。明治20年中北上村の岩谷校(坪井上村、中北上村の半村が学区)を統合して尋常小学校となり、明治23年大井西村を学区とした。
児童数の増加により、明治27年鶴坂宮高下に新築移転。昭和22年喬松小学校と改称。昭和35年大井西中学校が格致中学校に統合されたため、その跡地に移転新築され現在に至っている。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)
首切り塚(磯尾)
天正の頃(1500年代)、この地で捕らえられた謀反者の塚といわれ、近くに「腹切り田」という所もあった。北側の山裾にあったが中国自動車道工事のため現在地に移された。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)
稲荷宮石灯籠・豊川稲荷宮・亀山城跡(坪井)
石灯籠は2基あり、左側は文政9年(1826)、右側は天保8年(1837)に寄進され、何れも坪井宿の中央を流れる水路のほとりにあったものである。
豊川稲荷は挙母藩陣屋に祀られていたもので廃藩置県後、亀山城跡に移された。
七森神社への途中約500m北にある七森宮石灯籠は嘉永5年(1852)に寄進。「是ヨリ七森宮へ九丁」と刻んである。これは坪井宿から約900mということであり、これも水路のほとりにあったものである。
津山街デザイン創造研究所が、津山の魅力を全世界に発信し津山を盛り上げたいと津山市城東地区に2019年2月3日オープンした津山チェンチサロン&178津山ファンクラブルームをお訪ねしてきました。ここには、稲葉浩志さんの高校時代のバンド映像や写真・雑誌の切り抜きなどが沢山あります。
新屋敷町内は旧出雲街道沿いの安岡町北方の竹林を開いて足軽屋敷が設けられたのが始まりと言われています。その後、藩の縮小により廃止されました。東に西新座西、西に西松原、北に神田、西陵団地と隣接しており城西通りが町内の中心を東西に通り、飲食店・衣料品店が並び昔の田畑は無くなりました。
町内の寺社は聖徳寺と荒神社があり、聖徳寺では7月30日に「われい祭り」が盛大におこなわれています。荒神社は夏・秋祭りの他に「いのこ」の行事が子ども達に受け継がれています。「薮の鼻」には「愛染寺奥の院」の大師堂があり、毎月20日には総代を始め檀家の皆様によりお参りがなされています。
城下町建設当初は、町場ではなかったのですが、寛文年間(1661~1673)城下町に編入されました。古名を「茅町」といいましたが、編入時に改名したと伝えられています。東側を流れる川沿いの通りを藺田町(湯田まちともいう)と呼び、岡山往来の出発点として繁盛しました。西今町には、翁橋があります。これは、津山城下の西部を北から南へ流れる藺田川に架かる橋で、旧出雲街道筋にあたり東側に西の大番所がありました。翁橋は、国の登録有形文化財で「この建造物は貴重な国民的財産です」と記されています。その西側には、作州民芸館があります。この建物は、大正9年(1920)、旧土居銀行本店として建設されました。外観は正円アーチと直線で構成されるルネッサンス様式を基本にした建築物で、国の「登録有形文化財」になっています。
2018年10月2日に出雲街道新庄村で山中一揆についてお話を伺って来ました。その後、がいせん桜通り、今井河原刑場跡等を見学してきました。約290年前に子孫や地域のために立ち上がった人々がいたことを後世にどう継承していくかが課題です。
江戸時代から現存し公開されている脇本陣は全国の中でも6ヶ所だそうで、ここ新庄村の脇本陣はそのうちの一つで、江戸時代後期に建てられています。また、ここには松江藩の飛脚の宿もおかれていたそうです。なんとも落ち着いた風情のある村です。