坪井金毘羅宮石灯籠(坪井)

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 坪井金毘羅宮石灯籠(坪井)
 安政2年(1855)寄進。灯籠には「村中安全」と彫られている。金毘羅宮は称念寺の南側の西山(古墳)」の頂上にある。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年5月30日撮影)

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 坪井の町は、現在も西と東の道沿いに祭られているアタゴ社を東西の出入り口に置いて火難防止とし、七森川から水を引き、町並みの中央に用水路を造って、道を北と南の二つに分け、水路沿いに金比羅の常夜灯四つ(『久米町史』から)を置いていたという。このうちの一基は、現在も町の南側に移されている。「金比羅宮、文政二年(1819)九月吉祥日」と刻まれているが、水路も南側になっている。
 水路が道の中央にあったのは、真庭郡新庄村、苫田郡鏡野町新町と坪井の三宿場で、真ん中に筋がある麦と似てるため、麦めし町と呼ばれていた。
 町の真ん中を流れていた水路は、現在のような溝ではなく、生活に密着した用水として利用されていたと思えるが、この水路を挟んで北と南の道路は、それぞれ二間(3.6m)の幅があった。(『久米町史』参考)(文:『出雲街道第3巻』より)

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金毘羅宮石灯籠