餝摩津斉七塚・鶴亀神社(鶴坂)

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 鶴坂の上り口にあり、寺城出身の力士の塚である。弘化4年(1847)の大坂番付に記載されている。本名は太田斉七といい、墓が寺城池の下にある。斉七塚のすぐ上は墓地になっており、疣神社、六体地蔵、供養碑がある。さらに進むと鶴坂の頂上付近の中国自動車道を横断する陸橋を渡るとすぐ左の小祠が鶴亀神社である。そばに三星城の家臣鶴之丞が妹亀の仇を討とうとしたが返り討ちに遭ったという哀話の説明板がある。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)

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鶴坂の上り口にあり、寺城出身の力士の塚です。  すぐ上に疣神社、六体地蔵、供養碑があります。

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弘化4年(1847)の大坂番付に記載されているそうです。


餝摩津(しきまず)斉七塚
 出雲街道沿いの鶴坂東上り口の道辺りに、亀趺(きふ)(亀の形に刻んだ台石)の上に立つ塚があります。斉七は坪井下寺城の人で、性は太田斎七 餝摩津は力士名で、姫路藩主酒井公のお抱え力士と伝えられています。
 弘化4年(1847)5月大阪番付の「上取り力士」になっています、顕誉院大力酒無量居士 行年六十八才の刻文がありますので、かなりの大酒のみであったようです。
 方趺(石碑の台石に方形のもの)に「門人」とあるので門人が建てたのではないでしょうか。斉七塚は坪井宿のはずれにあり、斎七の怪力をかりて外部からやってくる悪疫や魔物などの侵入を防ごうというものだ。際の守(道祖神)と同じ性格を持つ石仏である。(文:出雲街道坪井宿資料から)