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旧津山扇形機関車庫 「津山鉄道遺産2」


津山扇形機関車庫トップ 津山鉄道ミニガイド 津山鉄道史 津山鉄道遺産1 津山鉄道遺産2  鉄道資産について  津山扇形機関車庫(機関庫)とDE50-1 (2007年取材)


津山扇形機関車庫
●1936(昭和11)年建設
●転車台は1930(昭和5)年建設
●日本で13箇所しか残っていない扇形機関庫の1つ。
日本で2番目の大きさ(梅小路=20線、津山=17線)の現役機関庫。・・・旭川機関庫=23線=は解体中。
●1996(平成8)年に津山市や「津山まちづくり市民会議」が中心となって市民から公募した、『津山百景』の一つにも選定される。
●2005(平成17)-2007(平成19)年にかけて津山町並保存研究会が実測調査を実施。図面等を冊子として完成させ、図書館、関係先に寄贈。
●現在、DE50-1、DD51-1187の2台のディーゼル機関車が保存されている。

●2007年秋からは、キハ58、キハ28の2両のディーゼルカー(みまさかスローライフ列車)が加わる。
●機関庫見学会も定期的に開催されるようになった。(開催日時、期間等は要確認。)
  ※岡山県教育委員会「岡山県の近代化遺産」選定。
  ※社団法人土木学会「日本の近代土木遺産-現存する重要な土木構造物2800選」選定。

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旧津山扇形機関車庫 「津山鉄道遺産1」


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このページでは、津山で見ることができる鉄道関係の近代化遺産を紹介しましょう。
近代化遺産とは、幕末期から第2次世界大戦終了時にかけて、近代的手法によって建てられた産業・交通・土木等にかかわる建築物のことを言います。津山市に は城東むかし町屋、あけぼの旅館、作州民芸館をはじめとして58の近代化遺産があります。その中で鉄道に関係するものは19です。
これらは津山の町の発展とともに生まれ、発展を支えてきた歴史の証人であり文化遺産です。そして今では津山の景観に溶け込み、私たちの心に素敵な風景として定着しているものばかりです。
「いやー、津山って本当にいいところですね」・・・みなさんも津山の鉄道に乗って四季折々の素敵な風景を楽しんでみませんか。(参考文献:「岡山県の近代化遺産」岡山県文化財保護協会発行)

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津山さくらまつり2016  Vol.4

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2016年4月3日・4日の津山城(鶴山公園)のさくらです。やっぱりみごと!「日本さくら名所100選」に選定されている桜の名所。立派な石垣や中国山脈を背景に咲き乱れる桜は迫力満点。ライトアップされた夜桜も幻想的でおすすめです。津山市民として誇らしいですね。また、中国山脈にはコブシの花?山桜?が見えます。

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「つやま和牛」内覧会がありました。

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2016年3月24日(木)津山国際ホテルに於いて「つやま和牛」内覧会がありました。
 当日は生産者のみなさんや、流通業者、各メディアの方々大勢が招かれ「つやま和牛」の誕生を祝いました。津山国際ホテルの藤枝進総料理長は「捌(さば)いてみると、油がとても良質で、お湯でさっと洗い流せ、しかも手がつるつるになる。味も良質でとても美味しい。」と太鼓判を押されていました。本当に食すると実にうまい!ただし、まだ頭数が少ないので津山でしか味わえません。
 つやま和牛とは?「つやま和牛の定義:津山生まれ、津山育ち、月齢28カ月以上の牛、津山産小麦ふすまを300㎏以上給与」です。現在7戸の農家さんが41頭を肥育されています。

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2016年3月のイナバ化粧品店

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2016年3月31日(木)イナバ化粧品店に伺ってきました。早いもので3月も終わり4月のお花見の季節になってしまいました。今年は全国的にさくらの花も早めに咲いていますが、ここ津山市も既に咲いております。また、イナバ化粧品店内も可愛いキューピーがいて春が来たようです。ところで、この5レンジャーはなんという名前の5レンジャーでしょうか?

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津山圏域クリーンセンター竣工式

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 2016年3月21日(月) 8:30 〜 16:00.津山市、鏡野町、勝央町、奈義町、美咲町でつくる津山圏域資源循環施設組合(管理者・宮地昭範津山市長)の総合ごみ処理施設「津山圏域クリーンセンター」(岡山県津山市領家1446番)の竣工式が行われました。この日は途中からあいにくの雨模様になりましたが、1市4町の首長や地元住民ら多数の方が式典に参加しておられました。
 津山圏域クリーンセンターは、焼却灰のセメント原料化、及び焼却熱を利用した発電など、資源の有効活用により、循環型社会の一端を担うとともに、ごみの減量化、及び、リサイクルの推進に関する普及啓発並びに環境学習を推進する拠点施設として運営されます。

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REKUアート倶楽部展

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2016年3月18日(金)~20日(日)10:00~18:00まで津山市文化展示ホールアルネ4階で「RAKUアート倶楽部展(パステル画・水墨画・水彩画・鉛筆画・油彩画)」がありました。「RAKUアート倶楽部展」主宰の山形楽さんと生徒さん(作品100点と趣味のコーナーの作品展等)のパステル画など会場いっぱいに花開いていました。山形楽さんは「生徒の作品も色々と個性があっていいですね。益々レベルアップし、これからもパステル画をどんどん世の中に広めていきたい。」と語っておられました。

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京橋御門(山下)

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津山城への闖入者(ちんにゅうしゃ)
 城の警備は厳重を極め、不審者が入り込むことなどあり得ないというのが、一般的な城に対するイメージでしょう。確かに、城への出入りは簡単ではないですが、町人や農民からは全く隔絶した場所というわけではなく、さまざま人々が通行手形を得て、日常的に出入りしていました。そんな場所ですから、ときには不思議な事件も起きるのです。では、京橋門の番人の報告から、ちょっとした騒ぎのようすを見てみましょう。
 文化元年(1804)の8月17日、昼過ぎのことでした。京橋門の番人二人は不審な人物を目にして、声をかけました。その男は、単の着物を身につけ、尻をからげて鉢巻をしていました。そして、手には白木の箱を持っていました。ふだんだと京橋門は、城内の武家屋敷への用事で入る者も多く、厳しい監視はしていないのですが、このときばかりは少し気になったというのです。

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高瀬舟と舟着場の常夜燈(山下)

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高瀬舟とみなと町津山
 高瀬舟を使って吉井川を上下する輸送は、江戸時代になる前から行われていましたが、城下町津山の発展に、高瀬舟の活躍は欠かせないものでした。森忠政や家来たちは、木曽川の川みなと兼山の出身です。河川利用の豊かな知識や経験は、津山でも大いにいかされました。
 高瀬舟は底が浅くて平らで、あまり深くない川を行き来するのに適しています。馬1頭に積める荷が150㎏なのに比べ、高瀬舟は1そうで6トン「(長さ約15m・はば約2m)(米100俵)」も運ぶことができ、鉄道が敷かれるまで、吉井川や加茂川などは荷物や人を運ぶ大動脈でした。
 瀬戸内の塩や海産物、そのころはまだ珍しかったしょう油やみかん、瀬戸物の食器やたたみ表、明かりの燃料となる油も、高瀬舟で吉井川を遡ってはこばれました。また、米・大豆・小麦などの農作物とともに、なべ・かまなどの鉄製品が津山みなとから運び出されました。川みなとには、石灯ろうの常夜灯が設けられていました。今もこの常夜灯は、楢や船頭町、安岡町に残っています。(わたしたちの津山の歴史)(写真は昭和57年3月27日高瀬舟進水式の様子)

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神崎与五郎と勝間田宿、下山本陣

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 忠臣蔵といえば、赤穂浪士の復讐の物語で、全国津々浦々まで知れ渡っている。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのが、元禄15年12月14日であったため、現在に至っても年の瀬が近つくと、必ずといっていいほどメディアによって放映さている。
 私が太平洋戦争のさなかに勝間田国民学校に在学していた頃、毎年12月14日には、先生に引率されて、黒土地区にある赤穂浪士の1人神崎与五郎の両親の墓参りをしていた。その頃から神崎与五郎が私たちの郷里で、家族と共に何年か過ごした後、播州赤穂藩に仕官したのどということが分かり、子ども心にも誇らしく思っていたものである。
 神崎与五郎則休は、美作津山藩主森家に仕えていた神崎又市光則を父として、寛文6年(1666)津山城下で生まれた。生母は元禄3年(1690)8月に病没し、津山市愛染寺に葬られている。

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