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【津山人】桜の植樹に心血を注いだ福井純一

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桜の植樹 
 鶴山公園は岡山県内で唯一、全国桜名所百選に選ばれている桜の名所である。この桜の植樹に尽力したのが福井純一である。福井家はもと真庭郡久世町の在で、酢の醸造業を営んでいた。天保年間(1830~44)に分家して津山に移り住んだ。純一は明治11年(1878)1月31日、父・周二郎(別名・浪二)の長男として、津山市本町二丁目に生まれた。津山成器小学校から同志社中学に進むが、父が病で倒れたため、中退して帰郷する。

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 明治32年(1899)津山城を公園にする話が浮上する。当時のお城は、本丸に山岡邸があった他はほとんどが桑畑で、雑草が生い茂り鬱蒼とした状態であった。翌、明治33年鶴山公園になったのを機に、津山町議会に5人の公園委員が組織され、整備のあり方が検討された。

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 明治35年には、牡丹桜と染井吉野などが試験的に植えられた。明治38年、津山町議会に初当選を果たした純一もそのメンバーに加わり、桜植樹の中心的な役割を担うことになった。日露戦争の帰還兵が、苗を寄付したのが契機となり、明治40年(1904)頃には公園としての様相が一応整った。その後大正4年と昭和3年に2度の御大典記念植樹が行われた。大正4年は本丸と二の丸、三の丸の南側に、昭和3年には東側を中心に約二千本が植樹された。現在のように、全山が桜で覆われるようになったのはこの時からである。

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 純一はこれらの植樹にあたって「城跡を桜で全て埋めるなんて、阿呆の沙汰じゃ」と揶揄されながらも、私財を投じるとともに寄付集めに奔走した。そのことは城の清掃をしている人の「福井さんは今日は三度登られた」「いや四度だよ」という会話からも窺われるように、桜の植樹に心地血を注いだ。

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2016年4月満開のサクラ

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桜の植樹
 現在鶴山城址碑は、備中櫓復元整備工事のため50メートルほど北へ移動しているが、平成10年までは備中櫓跡にあった。この碑の完成は明治15年であるが、碑文は明治10年3月に起草されたものである。この碑文の中に「明治7年になると、城山は一変して桑、麻の畑となった。今や材木の切れ端も瓦のかけらもありません」という一文がある。この記事は少なくとも明治7年段階には、建造物を構成していた全ての部材までもがきれいに撤去され、さらに開墾され、桑と麻が植樹されている状況を伝えている。
 その後、桜の名所として多くの来訪者を迎えるに至った津山城跡の桜植樹の経過とはどのようなものだったのだろうか。
 明治24年2月に設立された鶴山城跡保存会の趣旨は、津山城跡を公園として整備していこうというものだった。しかし城内には、国有地、県有地、私有地が混在しており、中々思うように事が運ばなかった。明治33年になり、津山町が全ての土地を公有地化し、ようやくここに鶴山公園が誕生することになった。(文:平成21年12月津山市発行/津山城百聞録より)(2016年10月6日取材)