秀養山 法光寺(津山市西中)
山号は秀養山、日蓮宗で、寺伝によれば、明応年中(1492~1501)日蓮宗津山本行寺の日仙上人が、老後にこの地に隠れ住んで一寺を建立したのがこの寺である、と伝えられます。(勝北町誌「神社と寺院」より)
2012年10月2日取材
山号は秀養山、日蓮宗で、寺伝によれば、明応年中(1492~1501)日蓮宗津山本行寺の日仙上人が、老後にこの地に隠れ住んで一寺を建立したのがこの寺である、と伝えられます。(勝北町誌「神社と寺院」より)
2012年10月2日取材
山号は妙法山、日蓮宗・日蓮宗津山妙法寺の末寺でした。『下野田誌』によれば、本尊は三宝尊・宗祖尊像です。天正(1573~92)のころ、宇喜多氏の老職をつとめた岡豊前守家利が植月中村(現勝央町)小山の堡(宮城城)に住み、元亀時代(1570~73)に討ち死にした親せきや家来の菩提を弔うため、京都の日蓮宗妙顕寺に請願して宮山城跡の下に寺を建立し、妙法山経王寺と号しました。そののち本寺を下野田村に移転しました。(勝北町誌「神社と寺院」より)2012年9月28日・10月2日取材
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聖徳寺(岡山県津山市小田中1416)の和霊祭がありました。(2012年7月30日(月)午後5:00~)
和霊大明神の功徳と由来
当寺の鎮守、和霊大明神は厄除け の神として、また願い事は必ずかなえてくれると 言う津山地方で名高い神様で、祭神は山家清兵衛公頼公(やんべ せいべいきよ もりこう)といい、四国は 伊予の宇和 島藩の家老で、仙台藩主・伊達政宗の子、秀 宗に仕えた人。公は藩主を助け藩政上に手腕をふるい、大いに治績と名声あげま したが、その反面これを怨みに 思う者が出てきて、謀略にあい殺された。時に元 和6年夏清兵衛25歳でありました。 この時、公は死ぬ間際に、「われに救いを求め る者には、われ必ず、その願いを聞かん」と言い残して、息を引き取ったという。
その後藩主が山頼和霊神社として、公を祭神としてお祭りするにいたった。聖徳寺は この山家清兵衛公頼公を祭神とする和霊神社の分神を当寺の鎮守として祭っています。
毎年7月30日は縁日として、夜7時より和霊まつりをおこない、夏の夜に堂内で大般若転読法要また境内にて柴灯大護摩の祈願法要を行ないました。(情報提供:聖徳寺)
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県指定史跡 久米廃寺 津山市宮尾(2012年7月3日・25日取材)
この地には「唐臼」呼ばれる古代寺院の塔の心礎があり、小字名も「唐臼」と称されていました。
この寺院跡は、この地方が古代の美作国久米郡久米郷に属していたことなどから、久米廃寺と呼ばれていましたが、中国縦貫自動車道(当時)建設工事に伴って実施された発掘調査(昭和44~46年)により、説明板にある復元想像図のような寺院のあったことが明らかになりました。このため日本道路公団と協議して高架橋に設計変更して遺跡が保存されました。
この久米廃寺は、今から約1,300年前(白鳳時代)に創建された寺院ですが、火災にあい、平安時代の前半には廃寺となってしまったようです。最盛期の寺域は東西130メートル、南北110メートルの規模で主要な建物である金堂・塔・講堂が、回廊または築地塀の中に東西に並列して立てられ、東側の一段低い谷の部分に雑房(寺院関係者の生活場所)がありました。この場所に接して東方に「宮尾遺跡」があり、掘立柱建物など22棟が発掘されました。これは白鳳時代から奈良時代に存在した「久米郡衙(くめぐんが)」の跡と考えられています。
当時の郡衙の役人(郡司)には地方豪族が任命されることが多く、彼らは権威の象徴として、寺院を造営し、民衆に誇示しました。久米廃寺の建立にも、こうした背景がうかがわれ、初期仏教文化の地方における受容の姿を知るうえで、この久米廃寺は貴重な遺跡といえます。昭和52年04月08日県指定史跡
主な出土品/仏像(塑像仏・塼仏)・青銅製相輪、蓮華文軒丸瓦その他多数
平成2年3月岡山県教育委員会(文:案内板ほか)
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岡山県津山市大谷にある【浄土真宗大谷派】寂静山 教本寺 (2012.6.15日取材)
開基は、楪備前守右近正廣入道で、天正2年9月。真言宗備永寺を建立す。後、教本寺と改号する。享保14年真宗に改宗する。
教本寺の現住職、楪葉智章(ゆずりは ちしょう)さんは15代目だそうです。元々は高倉にあったお寺で約50数年前に大谷に来られたそうです。
ここのお寺の門は3つもあり、一つ目入り口の山門、二つ目が、地蔵院にあった松平家の門(松平家の門は文豪谷崎潤一郎が疎開していた地蔵院内の宕々庵を壊すときに買い受けた門だそうです。)で、もう一つは大変立派な龍が彫ってある門です。
▲東寺真言宗 清瀧寺本堂 天井の鳳凰図(2012年5月31日取材)
観音堂(本堂)の内部は華麗な装飾が施されています。天井は格子天井で、中央に算仙中村周介の描いた見事な鳳凰図が嵌め込まれています。
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曹洞宗 成興寺
沿革
そもそもの成興寺開基は、夢窓国師(京都天竜寺開山)と伝えられ、JR因美線美作河井駅から登る矢筈山上にありました。久しく廃絶していた寺を天文年中(1532~54)に、草苅加賀守衡継が矢筈山頂に居城を築く際、菩提寺として再興しました。(成興寺丸跡あり)
天正12年(1584)草苅氏退城後、寺も廃址に帰しましたが、文禄3年(1594)に草苅氏の家臣で、小中原の土豪中西孫左衛門が、現在地に再興しました。元禄2年(1689)津山西寺町長安寺三世白善嶺雲和尚が曹洞宗に改めて開山となりました。現住職小倉玄照和尚は、第十三世。(2012年4月21日撮影)文:曹洞宗 成興寺(津山市加茂町小中原41)
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また、今回は2012年4月28日のボタンの花です。まだつぼみが沢山あったので長く楽しめそうでした。■この他、愛染寺のぼたんが綺麗でした。(2010年取材)
清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。