2026 作楽神社「菖蒲を愛でる会」開催!
後醍醐天皇ご復活の宮である作楽神社において、令和8年5月3日から10日までの期間、「菖蒲を愛でる会」が開催されました。残念ながらイベントは拝見できませんでしたが、会期中は様々な奉納行事や催しが企画され、4日には琴の演奏をはじめ、弾き語り、民謡、日本舞踊、尺八、謡曲、詩吟などが披露されました。また、5日には「ちびっこ宝さがし」や紙芝居、6日には「笑いヨガ」の体験会が行われるなど、終始多くの人々で境内が賑わったそうです。(2026年5月8日撮影)
後醍醐天皇ご復活の宮である作楽神社において、令和8年5月3日から10日までの期間、「菖蒲を愛でる会」が開催されました。残念ながらイベントは拝見できませんでしたが、会期中は様々な奉納行事や催しが企画され、4日には琴の演奏をはじめ、弾き語り、民謡、日本舞踊、尺八、謡曲、詩吟などが披露されました。また、5日には「ちびっこ宝さがし」や紙芝居、6日には「笑いヨガ」の体験会が行われるなど、終始多くの人々で境内が賑わったそうです。(2026年5月8日撮影)
第21回大井東支部の文化祭が2026年2月15日に、大勢の地区の方が集い賑やかに開催されました。
今年の歴史探訪は、後醍醐天皇一行が此の地を通られた時に、一体どんな情景だったか、約700年前に想いをはせながら、大井東地区歴史探訪の驚きや魅力をスライドを使って解りやすく解説されました。また、ステージでは、文ちゃん一座の大道芸、生け花や臨床アートなどが催されました。
和室の展示コーナーでは、編み物や俳句、お茶席などがありました。愛育委員による豚汁の無料サービスがあり美味しくいただきました。
津山まちじゅう体験博2025~津山でしかできない特別な体験プログラム~
2025年10月27日、津山名産「初雪」とおかきを火鉢を囲んで焼き比べ、お抹茶もたててみよう!の言葉につられ、子どものころ「初雪や家で作ったかきもち」を焼いて食べていたのですが、焦げたり、しわかったりとうまく焼けなくて悲しかった思い出もあり、久しぶりにおいしく焼けた餅菓子を味わいたいと参加してきました。
案内文には「津山の伝統的な餅菓子「初雪」は焼くとサクッとした歯触りで口の中でスゥーと消えてゆき、まさに初雪が消えてゆくかのような食感が魅力。生地のままで食べられるのも特徴のひとつ。炭火の香りとともに、お好みの焼き加減やおかきとの食べ比べができる他にない機会です。」との説明もまた魅力的でした。
円応寺由緒
鎌倉後期から播磨に進出していた聖一派の大朴玄素を開山として、暦応2年(1339)赤松円心が創建したもので、室町幕府の官寺制度のもとで十刹につぐ諸山に位置づけられた。
住持の推挙は春日部流がおこなっており、外護は円心から貞範に受け継がれたらしい。
一時退転した後に近世に再興され堂が現存するとともに、大伽藍をしのばせる礎石、佐用範家の墓と伝承される南北朝期の宝筺印塔が残る。
(文:兵庫県立歴史博物館HPより転載)(2025年7月26日撮影)
後醍醐天皇が隠岐へご遷幸の時(1332)院庄の西、木の下に薬師如来が埋まっている事を告げたこの場所に寺を建て、この薬師如来像を本尊として安置し「金竜山天福寺」とした。
ふくらしの木の根っこでご本尊が見つかった事から、ふくらしの「福」をとって「天福寺」に、寺の後ろの池に金色の大蛇が住んでいた事から、山号を「金竜山」としたのだろう。
元は「金竜山天福寺」と称する寺院であったが、今は「天福庵」と称する小さな堂として残っている。(文:現地案内額より)(2025年9月20日・12月13日撮影)
元弘二年(1332)後醍醐天皇は隠岐配流の途中の3月15日にここでお泊りになったらしい。
後醍醐天皇御駐蹕の建立は、明治27年5月福地常太郎の発願により広く有志を募り、明治35年2月竣工式が行われたそうです。
後醍醐天皇宮(2025年11月15日撮影)
【由緒】後醍醐天皇が元弘の変で隠岐の国へ御遷幸の時に、山陽路を経て美作国真嶋郡宇南寺に入り、車駕を備中玉居野(大井野)に駐められ、元弘2年(1332)3月、この地に社殿を造営せられた。明治5年6月に村社に列格せられた。昭和18年6月5日に神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
(文:岡山県神社庁HPより転載)
大井野御所原公園
元弘の変(1331)で隠岐の島に流島となった後醍醐天皇一行がその途中休息され食事をされた場所として、この地を御所原、そのとき食卓がわりに使われた岩を「ご飯石」と呼ぶようになったという。そのとき近所の老婆が差し出した「わらび」の料理をことのほか喜ばれ賞味され、そのため今でもここに生える「わらび」は「アク」がなく甘いといわれている。 後世、村人たちが天皇の遺徳をしのびこの地に宮を建てたのがこの上にある後醍醐天皇宮である。大佐町教育委員会
(文:現地案内板より転載)(2025年11月15日撮影)
美作市指定重要文化財(天然記念物) 長内のムクノキ
後醍醐天皇が隠岐へ流される際、ここで食事をされ、そのとき箸を立てられたものが、根を下し、生長したとの言い伝えがある。
後醍醐天皇一行の経路が南であったとする南路説の証拠の一つとなっている。
樹齢は約700年(推定)で、目通り7.3m、樹高は15m
指定年月日 平成17年3月31日 美作市教育委員会(文:現地案内パネルより)
由緒
本神社の創建は第43代元明天皇の御宇(708)と伝えられている。和気郷の旧社で和名抄所載神社の一つで、古くは御本殿が3間4面あったと舊記に記されている。
慶長年間に火災に遭い、その時に仮に建てた御本殿が現在まで残っていたが老朽化が進み、平成9年から3ヶ年かけて募財を募り改築した。
明和4年5月但州出石城主仙石越前守の祈願所となり、銀20枚の寄進があった。元弘2年(1332)3月後醍醐天皇が隠岐に流され遷幸される時、当社の境内にあたかも爛漫と咲いた桜の花をご覧になって暫しの間休憩され旅の疲れを癒され、お喜びになったと伝えられている。その時の大木が安政5年の暴風で倒れ明治39年に屋舎を建てて「大御幸桜」として保存している。
御祭神は猿田彦大神で天孫降臨にあたり四方八方に分岐する道を守り教える神である。現代では交通安全の神としてまた、人の運命を開く神、全ての事を良き方に導く「みちびきの神」として信仰を集めている。(文:岡山県神社庁HPより転載)(2025年7月26日撮影)