200年前の江戸の眺望と東京スカイツリー「江戸一目図屏風」

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200年前の江戸の眺望に、現代の東京が重なります。(2012.3.14)
江戸一目図は、隅田川のやや東寄りの上空から眺めた、江戸の眺望と考えられています。そして、いま、まさにその場所にスカイツリーが建設されました。もし、江戸時代にスカイツリーがあったなら、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)には、この江戸一目図の眺望が、現実のものとして見えていた筈です。
 平成24年5月に開業するスカイツリーの展望台からは、江戸一目図の複製展示によって、江戸の眺望と現代の東京を見比べることができます。(資料提供:津山郷土博物館)
 津山藩松平家の御抱え絵師鍬形蕙斎が文化六年(1809)に描いた江戸の景観図「江戸一目図屏風」は、東京スカイツリーの2012年5月の開業に実物大の複製パネルが地上350メートルの展望台に設置されます。津山郷土博物館所蔵の紙本墨画淡彩江戸一目図屏風、岡山県指定重要文化財、3階展示室に展示

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江戸一目図屏風(えどひとめずびょうぶ)
文化6年(1809)、江戸の全景を詳細に描いた景観図で、隅田川東岸の上空から西方の地上を見下ろした鳥瞰図となっている。
 画面中央に江戸城、左に江戸湾、下に隅田川を配置。江戸城の周囲には大名屋敷が並び、外堀の外には入り組んだ街路や蛇行する用水路に沿って、民家や社寺がびっしりと描かれたいる。また、浅草寺、向島、新吉原など著名な江戸の名所が250ヶ所以上も描き込まれ、さらに、画面上方の遠景には秩父や丹沢の山々がかすむようにあらわされ、その中央には霊峰富士がひときわ大きく描かれている。
 当時の江戸は人口百万を超える世界でも指折りの大都市であった。本図は西洋画の技法を駆使しながら、19世紀初頭の江戸の繁栄を描いた肉筆画として、近世景観図の傑作と評価されている。

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鍬形蕙斎(くわがたけいさい)
鍬形蕙斎は、俗称を三二郎といい、生年は不詳であるが、明和元年(1764)説が有力視されている。浮世絵師北尾重政に師事して修行し、天明元年(1781)、北尾政美(まさよし)の画号を許された。ちなみに、著名な戯作者の山東京伝はその兄弟子である。
 浮世絵師としての政美は、武者絵や浮絵、あるいは黄表紙の挿絵を数多く描いて好評を博していたが、寛政6年(1794)、津山藩に絵師として召し抱えられる。町絵師からの破格の出世であった。津山藩の家臣となった後は、主に蕙斎と号している。また、お抱え絵師として狩野家への入門後は、紹真(つぐざね)とも名乗る。寛政9年(1797)には北尾の姓を、母方の姓である鍬形と改めた。
 お抱え絵師としての職務を果たす傍らで、様々な人物の様態や鳥獣魚貝などを、簡略化された筆致で描いた『略画式』シリーズや、傑出した江戸の鳥瞰図として著名な『江戸一目図』、様々な職業の人々を軽妙に描いた『近世職人尽絵詞』など、多くの傑作を残している。文政7年(1824)没。

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(文:津山郷土博物館説明より)