津山郷土博物館企画展示「江戸一目図屏風実物展示」・津山藩松平家に伝わる甲冑「朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足」

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 春はつやまの観光キャンペーンの一環として、津山郷土博物館において企画展示「江戸一目図屏風実物展示」を開催する運びとなりました。江戸一目図屏風は津山藩のお抱え絵師鍬形蕙斎が描いた江戸の鳥瞰図で、今回はその実物を展示します。本屏風は県指定の重要文化財である大変貴重な作品で、今回は平成29年度以来の実物展示になります。また、描かれている視点が、東京スカイツリーからとほぼ同じということで、同展望デッキに複製が展示されていることでも有名です。あわせて蕙斎のほかの作品も展示しておりますので、この機会に蕙斎ワールドをご堪能ください。
 また、先般津山藩松平家に伝わる甲冑「朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足」が岡山県重要文化財の指定を受けましたので、あわせて皆様にご披露させていただきます。江戸時代初期の特徴を残す貴重な甲冑ですので、あわせてご覧下さい。令和4年4月1日 津山郷土博物館

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朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足(しゅうるしぬりほんこざねたくぼくいとおどしどうまるぐそく)

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岡山県指定重要文化財 朱漆塗本小札啄木糸威胴丸具足
 津山藩松平の租、結城秀康が徳川家康から拝領したとの伝承をもち、津山藩の諸記録にも「御拝領御具足」として大切に保管されていた記述が見える。蒔絵装飾や金物装飾に葵紋・巴紋を多用する、格調の高さが特徴である。
 製作年代については江戸時代初期で、秀康が拝領した具足を模して製作されたと考えられている。江戸時代初期まで製作年代が溯る近世大名家の甲冑は極めて貴重であり、美術工芸品としてだけではなく、歴史資料としても価値が高く、この度岡山県の重要文化財に指定された。

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赤熊を兜鉢に植毛した兜。赤熊とは、ヤクの尾毛を赤く染めたもの。このような意匠の兜を「唐の頭」ともいう。徳川家康は「唐の頭」の兜を使用していたと伝わり、大分市にも松平忠直(結城秀康の子)が家康から拝領したと伝わる「唐の頭」の兜蓑が現存している。「唐の頭」は、徳川家康を強く連想させるものであったと考えられている。

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蒔絵装飾や金物装飾に葵紋・巴紋を多用する、格調の高さが特徴である。


津山景観図屏風(津山市指定重要文化財)鍬形蕙斎画 文化7、8年(1810,11)頃 六曲一双
 江戸で浮世絵師として活躍していた鍬形蕙斎(北尾政美)は、寛政6年(1794)にお抱絵師として津山藩に召し抱えられました。津山へ来たのは一度だけで、焼失した本丸御殿再建にあたって装飾画を描くためでした。この屏風はおそらくそのとき仕事の合間をぬって描かれたものと考えられています。

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左隻 春の二宮                 右隻 秋の津山城下

(写真左)津山景観図屏風 左隻 春の二宮
 第一扇の下方に描かれる広瀬橋は、津山城下と備前とを結ぶ備前往来に続く橋で、その名は、この付近の瀬に付けられた広瀬という名に由来している。
 第二扇の松原が始まるところには、紫竹川に架かる筋違橋が見える。
 第二扇から第四扇にかけて、みごとな松並木が描かれ、高野神社の森に続く。参道の大鳥居に覆い被さるように見える大木は、宇那提森の樹齢七百年といわれるムクノキであろう。高野神社左手には吉井川に衝きだした岩場があり、二人の人物が川をのぞきこんでいるように見える。ここは天王ヶ鼻と呼ばれ、吉井川が突き当り、流れを変えている。
 第五扇中央付近には、かすかに清眼寺の瓦屋根と、院庄の古跡が見える。院庄は、後醍醐天皇と児島高徳の伝承で知られる場所で、貞享5年(1688)、森家の重臣長尾勝明が石碑を建立した。
 第六扇の吉井川の対岸には、古来の歌枕といわれる嵯峨山が、その存在感を示している。

(写真右)津山景観図屏風 右隻 秋の津山城下
 右隻の中心となるのは、やはり津山城である。五層の天守は、実際の姿に忠実に描かれている。殊に、最上層の板張りや切りつめられた板庇などまで描かれていることは、注目に値する。備中櫓を初めとして、その他の櫓の位置や向きなどもほぼ正確に描かれている。
 城下町の南を流れる吉井川に架けられた今津屋橋(当時は鍛冶場橋)の北詰には、城下町を区切る関貫があり、その東脇には高札場が見える。今津屋橋の下手には、藩の船蔵があり、土手道の北側には長い大きな建物が描かれる。これは、川戸御蔵と呼ばれていた藩の米倉で、東西二棟の蔵に大量の年貢米が保管されていた。
 第五扇の中央付近には、田園地帯に浮かぶ島のように、当時御対面所と呼ばれていた松平家の別邸(現衆楽園)が描かれる。
 画面左手前に描かれているのは鉄砲町の大砲場の様子である。ここから、吉井川南岸の大谷村石山に向かって射撃を行ったのである。


江戸一目図屏風は津山藩のお抱え絵師鍬形蕙斎が描いた江戸の鳥瞰図

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江戸一目図屏風(2012.3.14)

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江戸名所の絵 鍬形蕙斎画(桜の名所、奈良県吉野山の図)
 江戸一目図屏風の六年前に刊行されたもので、同屏風に大変よく似た構図の一枚摺の浮世絵である。地名が詳細に書き込まれており、庶民向けの普及版として高い人気を得ていたらしく、再販を重ねた。

吉野山図 鍬形蕙斎画
 桜の名所、奈良県吉野山の図、「於津山」とあることから、文化7年(1810)~文化8年頃津山で描いた作品と考えられる。手前には、川を舟で渡っている人々が描かれている。

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『略画苑』鍬形蕙斎画             ↑ 右上の絵は釈迦の生誕を祝う花祭りでしょうか?

 年中行事を月ごとに絵で紹介した版本。少ない筆数で人々の動きをいきいきと描いている。略画とは、人物や動物、風景や植物などをユーモアあふれる軽妙なタッチで描き出す画法を指す。

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梅に鰈図 扇面 鍬形蕙斎画 大田蜀山人(南畝)讃

 梅の枝に魚のカレイが2尾つるされている様子が描かれている図。図の横には「山々の春の霞の山かれひ、つらぬ浜辺に匂ふ梅かえ」という大田蜀山人の賛がそえられている。蜀山人は、幕府の勘定所へ勤務する一方で、著名な文人であった。蕙斎と蜀山人は、『料理通大全』でも描かれている通り交友があった。二人の楽しそうな会話が聞こえてきそうな作品である。
(文:津山郷土博物館)(2022年4月1日撮影)