取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「碑」で検索した結果,401件の記事が見つかりました。

2025 作楽神社のメタセコイアの紅葉

2025-11-20sakura_kouyou4.jpg

 2025年11月21日に津山市院庄にある「作楽神社」へ、メタセコイアの紅葉を観に行ってきました。
メタセコイアは、ヒノキ科の落葉針葉樹で、和名を「アケボノスギ」といい、かつては絶滅したと考えられていましたが、1945年に中国で生きた個体が発見されたことから「生きた化石」として有名になったそうです。青空に映える作楽神社のメタセコイアは中国道からもよく見えますね。
 丁度散歩に来られていたご近所の方に伺うと、根が異様に長く縦横無尽に地面を張っているそうです。だから、こんなに大木になるんですね。
 また、神社内のもみじの紅葉も黄色く色づいたイチョウの木とコラボして綺麗でした。

2025 作楽神社のメタセコイアの紅葉の続きを読む

2025 因美線「美作滝尾駅」の秋

2025-11-14takio2.jpg

 因美線「美作滝尾駅」の移ろいゆく秋を撮ってみました。
 戦前に建築された古い木造平屋作りの駅舎は「男はつらいよ」シリーズの最終作となった「男はつらいよ 寅次郎紅の花」の冒頭のシーンに登場し、駅前には映画の撮影が行われたことを記念した碑も建てられています。(2008年11月に登録有形文化財に登録されております。)
寅さん最後の姿を映した駅舎でした。(2016年5月15日の取材はこちら

2025 因美線「美作滝尾駅」の秋の続きを読む

瑠璃山日光院 真福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第66番札所)

2012shinpukuji3.JPG

 瑠璃山日光院真福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第66番札所)は、加茂町行重坂元地内にあり、貝尾と青山の分岐点近くにある真言宗のお寺です。本尊は薬師如来です。(2012年4月17日取材撮影)

瑠璃山日光院 真福寺薬師堂(加茂郷88ヶ所霊場第66番札所)の続きを読む

津山郷土博物館特別展「考古学は語る!美作津山の古墳文化」

mimasaka_kofun176.jpg

 2024年10月12日(土)〜 2024年12月15日(日) まで、津山市山下の津山郷土博物館3階展示室で「考古は資料は語る!美作津山の古墳文化」と題した津山郷土博物館特別展がありました。
 特別展は、埴輪(はにわ)や須恵器など70点を展示、美作地域の古墳文化を紹介したものです。

mimasaka_kofun183.jpgmimasaka_kofun192.jpg

三角縁神獣鏡(田邑丸山2号墳) 

 田邑丸山2号墳(下田邑)から出土した「三角縁波文帯三神二獣博山炉鏡」は市内で唯一確認された「三角縁神獣鏡」の一種で、大きさ直径21.6センチ、3体の神と2体の獣、香炉の模様が特徴。
1960年ごろに盗掘被害に遭ってから長い間所在不明となっていたが、昨年11月に京都府で開催したオークションで発見され、同志社女子大学の山田邦和教授が入手して散逸を防いだことで今回初めて原物を公開できるようになったそうです。

津山郷土博物館特別展「考古学は語る!美作津山の古墳文化」の続きを読む

風神社(奈義町)

2025-7-13kazejin1.jpg

風神社 (祭神 :龍田神社・・・天御柱命・国御柱命)
    (祭神 :八坂神社・・・素盞鳴尊)
由緒:横仙地方(奈義町・勝北町)は、昔から広戸風(台風時期)と呼ばれる局地的強風が、 毎年のように吹き荒れる。これを鎮めるため、この地に奈良県生駒郡の龍田大社(風の宮)及び、京都市東山の祇園神社から御分霊を勧請した。 神社創建の時期は定かでないが 19世紀の初め頃か、と思われる。
横仙一帯の敬者らにより、龍田様または祇園様とも呼ばれているが 1952年 [風神社] という名称で神社本庁に提出された。
1997年国道53号の道路拡張に伴い、全社地が買取され、その南50 メートルの現在地に、同年7月28日 神社の新築移転が完成した。(文:現地案内板より転記)(2025年7月13日撮影)

風神社(奈義町)の続きを読む

高田地区元気プロジェクト「横野の滝などを風鈴で飾って高田を元気にしよう!」

2025-7-20yokono20.jpg

  2025年7月20日(日) 09:00 〜津山市上横野にある横野の滝「もみじ亭」界隈で、高田地区元気プロジェクトが実行されました。
 このプロジェクトは、令和6年度高田小学校6年生が卒業にあたり、6班に分かれそれぞれ「高田地区○○プロジェクト」を発表した中の一つ「横野の滝を風鈴で飾って高田を元気にしよう!」が、小学校関係者や連合町内会の賛同を得て、高田地区全体で応援しようと企画されたものです。
 とっても可愛い風鈴には地元の伝統応芸の「横野和紙」の短冊が吊るされています。そよ風にゆれる風鈴の音色を聞きながら食べる流しそうめんは格別に美味しいことでしょう。

高田地区元気プロジェクト「横野の滝などを風鈴で飾って高田を元気にしよう!」の続きを読む

狩衣清水(千貫清水・満願清水)の由来について

2025-5-17kariginu1.jpg

狩衣清水の由来について               (上記写真:狩衣清水の内上手の満願清水)

 狩衣清水の由来は、鎌倉時代末期元弘二年(1332)前年の元弘の乱により、隠岐の島に配流となった後醍醐天皇が途中当地の泉(清水)の傍で休息、御召の狩衣をぐいび(グミ)の木に掛けて洗顔の上、清水を飲まれた際に、京への早期遷幸を祈願し、満願清水と名付けられた。そして、出立の折、天皇方の目印にと狩衣を置いて行かれた。
 その故事により、当地を狩衣と称し、下手の井戸を千貫清水(洗顔清水)、上手を満願清水として現在も愛飲されている。
 今般、地元狩衣自治会では、地域の歴史遺産として守り伝えていく為に、上手井戸に石碑を新設しました。(下手井戸は石碑、案内板有)
 この歴史ある狩衣清水が末永く後世伝承される様願うばかりである。また、地元中正小学校校歌の一節にも「狩衣清水湧くところ」と歌われ親しまれている。

<関係年表>    
後醍醐天皇  京都進発   元弘二年(1332)3月7日(旧暦)
 〃     院庄館到着   〃      3月17日
 〃     〃  出立   〃      3月21日
 〃     〃  早朝  児島高徳十字の詩の出来事有
 〃    ※狩衣清水<休息>       3月21日
 〃     醍醐桜~大井野~千屋~根雨(ルートは諸説有)
 〃     隠岐の島到着         4月2日
 〃      〃  脱出 元弘三年(1333)2月24日
 〃     京都遷幸   建武中興(新政)

<参考書籍> 太平記・作陽誌・久米町史 他  令和6年 狩衣自治会(津山市宮部下字狩衣)

狩衣清水(千貫清水・満願清水)の由来についての続きを読む

2025 神楽尾公園のさつきと藤の花

2025-5-1kagurao1.jpg

 2025年5月3日の神楽尾公園です。さつきはやっぱり神楽尾公園でしょう。
岡山県津山市総社にある神楽尾公園は、津山盆地のほぼ中心に位置する神楽尾山(標高308m)に築かれた中世の山城(神楽尾城跡)への出発地点でもあります。市内を一望する場所にあり、四季折々の植物観察やゴーカートなどが楽しめます春には藤の花や、桜がきれいに咲くスポットです。

2025 神楽尾公園のさつきと藤の花の続きを読む

2025 尾所のさくら満開の頃

2025-4-21osonosakura1.jpg

 2025年4月21日、尾所のさくらが満開になり青空の中に美しく映えていました。
近年、少し傷んでいたのが気になっていたので、近くに用事があるたびに訪問していましたが、今年も綺麗に咲いてくれたのを見て安心しました。
 4月のはじめに立ち寄った時には、重機が根元にあり何事かと思いましたが、根を痛めないように根元にあった碑を移動しているところでした。傷んだ枝も綺麗に整えられすっきりした姿になっていました。綺麗に咲いたさくらの花を見て私も元気をもらいました。ありがとう。

2025 尾所のさくら満開の頃の続きを読む

2025 長継山 千年寺のさくら満開の頃

2025-4-9sennenji20.jpg

 2025年4月9日の長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2014年4月6日の取材

 現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三 箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。
(庫裡を取壊した後、大東亜戦中に疎開して来ておられ、昭和50年千年寺徒弟となった梅本南山翁が昭和61年まで居住)

2025 長継山 千年寺のさくら満開の頃の続きを読む