中宮1号墳の出土遺物
中宮1号墳の鉄刀と出土遺物
現在、岡山県が国道53号(津山南道路)改築に伴い発掘調査をしている丘陵の、皿川を挟んだ対岸にも数多くの古墳が知られています。これらの古墳の中で、近年津山市が少しずつ進めている鉄器の保存処置が完了したばかりの「中宮1号墳出土の鉄刀」を中心に、中宮1号墳出土遺物を展示します。
中宮1号墳の鉄刀と出土遺物
現在、岡山県が国道53号(津山南道路)改築に伴い発掘調査をしている丘陵の、皿川を挟んだ対岸にも数多くの古墳が知られています。これらの古墳の中で、近年津山市が少しずつ進めている鉄器の保存処置が完了したばかりの「中宮1号墳出土の鉄刀」を中心に、中宮1号墳出土遺物を展示します。
碁石 美作国府跡(津山市総社)
平安時代の後半(12世紀)に使われていた碁石です。白色または透明の碁石と黒色の碁石の2種類が出土しています。
碁石は、現在のように真ん丸なものは少なく、ほとんどが楕円形や少しいびつな円形です。石の厚さも薄いものから分厚いものまで様々で、自然石をあまり加工せずに碁石として使用していたようです。よく使われていたのか、石の表面はつるつるしています。
碁石は国府の建物があったと推定されている場所の近くで多く出土しているため、平安時代の役人たちの間では、休憩時間に囲碁をすることが流行っていたのかもしれません。
2020年1月13日(月・祝)10:00~16:00 於 津山総合体育館
津山商工会議所青年部主催のつやま綱引き大会は、平成29年度から始まり、本年度で第3回目の開催となるそうです。
地域間交流の活性化と、新たなる家庭間の繋がりを増やせる催し物として企画。市内在住の小学3年生~6年生を対象に始まったこの大会ですが、前回大会から新たに「大人の部」をもうけ年々参加者も増えて、本年度は出場チーム数「小学生の部10チーム」「大人の部16チーム」となりました。小学生は8人で、大人は5人で1チームを組みます。予選リーグは1本勝負、決勝は3本で対決しました。
小学生の部:福岡道場(2連覇)、 大人の部 :まっつんチーム(初出場初優勝)。
2020年1月13日、八出天満宮で合格祈願祭がありました。この日は青空の元朝早くから車で駆け付けた多くの受験生親子が訪れていました。受付をすますと順次拝殿に入り、吉田宮司からお札を受け取っていました。これから寒くなってきますので、体調に気を付けて受験に臨んでくださいね。どうぞご利益がありますように!
また、一日前の12日には境内でとんど焼きがあり、氏子の皆さんが家内安全を祈願しました。
2020年1月12日(日) 13:00 〜 14:00 八出天満宮の宮総代さんから案内を戴き、とんど焼きの行事を取材してきました。「とんど焼き」は、正月の松飾り・しめなわ・書き初めなどを各家から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。(2016年八出天満宮のとんど焼きの様子です。)
八出天満宮は菅原道真公が御祭神。古来この地に残る言い伝えによると、「天安元年(857年)美作の国司として赴任しておられた父是善が、この地に流行っていた疫病に罹り、父の病を心配した若き日の道真公(吉祥丸)が、遠く京都から見舞いに来られた全国の天満宮の中でも稀な縁起と最古に位置する起源を持つ由緒あるお宮である。
2020年1月9日に津山市沼にある津山弥生の里文化財センター 企画展『お正月』があり(2019年12月17日~2020年1月19日)2階の展示室にお邪魔してきました。津山弥生の里文化財センター内に収蔵されている品物の中から、お正月をテーマに、きらびやかな羽子板や着物など、おめでたく、彩り豊かな品を中心に集めて展示されています。(過去の取材)(2019年3月8日撮影)
木村家 木村治右衛門 勝南郡勝間田村 森藩~甲府領 完宿藩
大庄屋まで
木村氏の出自は諸説ある。その一つは毛利氏の家臣龍門帯刀が帰農し、その子孫与左右衛門が木村を称したといわれるものである。
大庄屋として
森藩の助成で、河原の多い勝間田の低地の大規模な開田工事が行われたとき、下山和十郎、木村治右衛門は、現在の新町、当時中河原と呼ばれた荒地を開発し、新田、井堰を造成した。その功績によって下山家は津山藩の本陣に、木村治右衛門は大庄屋に任命され、木村家は勝山藩、松江藩の本陣、脇本陣を勤めた。
坪井宿(別名「麦飯町」とも呼ぶ)
坪井の町は、津山から西へ3里(12㎞)北は国道181号線、南は七森川に挟まれた静かな町で、今も昔をしのぶ家並みが残っています。
◎坪井宿場の成り立ち
中世から戦乱により、天正7年(1579)河本城(構の城)が落城、続いて岩屋城も天正18年(1590)野火により廃城となり多くの武将・家臣団の帰農が始まり付近に居を構えた。これが集落の始まりではないかと言われている。集落は、久米川沿いの山根市場、後坪井、薬師堂一帯に作られたという。(故安藤貞郎氏が成人大学で受講記録より)
また、元亀元年(1570)・承応3年(1654)・延宝元年(1673)・延宝8年(1680)・元禄15年(1702)・放映4年(1707)と美作地方に、暴風雨・大洪水が6回あったと記録されており、久米川も大洪水となり、山根市場、後坪井、薬師堂一帯が流失、その後住民は現在の坪井に移住したと伝えられている。
2020年1月元旦午前8時、東田辺地区のお正月行事に伺ってきました。「黒澤山 萬福寺」で初日の出を迎えた後、元旦に町内15軒の方々が集まって、君が代をうたいながら、国旗掲揚をした後、東に向かって万歳三唱をするという昔ながらの行事が黙々と繋がってきているのです。町内の古老に聞くと、70数年以上たっているとのことでした。お正月に各家を訪問しながら挨拶するよりは、元旦にみんなで集まって挨拶したらということで始まったらしい。仲良し部落の行事をこれからも是非続けていって欲しいと願いました。
2019年の大晦日、津山市小田中笠松で新年を花火で迎えるカウントダウンイベントが行われました。
このカウントダウンイベントは、城西地区の青壮年が毎年行う行事です。多くの町内会の皆さんをはじめ、車で駆けつけてこられた方々、谷口津山市長、国会議員さんや県議、市議さんたちもお見えになっていました。それに、紅白歌合戦を観ながらいただく振る舞いは超豪華で美味しいのです。なんといっても新年を迎えるカウントダウン花火は、連発して打ち上げられとても奇麗で会場内には歓声が上がっていました。