パークロード白鳳の広場(宮尾)

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パークロード白鳳の広場(岡山県津山市宮尾561)
道の駅「久米の里」隣にパークロード白鳳の広場があり、五重塔が建っています。この五重塔は、久米廃寺跡の記念のモニュメントで、この地には「唐臼」と呼ばれる古代寺院の塔の心礎があり、小字名も「唐臼」と称されていました。
 久米廃寺は、今から約1,300年前(白鳳時代)に創建された寺院ですが、火災にあい、平安時代の前半には廃寺となってしまったようです。最盛期の寺域は東西130メートル、南北110メートルの規模で主要な建物である金堂・塔・講堂が、回廊または築地塀の中に東西に並列して立てられ、東側の一段低い谷の部分に雑房(寺院関係者の生活場所)があったところです。ここで出土された久米廃寺出土塑像仏及び遷仏が県指定重要文化財になっています。

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五重塔のモニュメントです。

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久米廃寺跡です。

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東隣にある宮尾遺跡からは同年代の掘立柱建物群と柵列が発見されました。

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一休みできる東屋があります。

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東屋                      トイレ

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これは何をデザインしているものでしょうか?

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隣はみなさんお馴染みの道の駅「くめの里」(2020年4月7日撮影)


久米廃寺跡と宮尾遺跡
 久米廃寺跡は、白鳳時代創建と推定される寺院跡です。寺院は、塔を中心におき、その東隣に金堂、西に講堂を配し、周囲を回廊で囲んだ独特の伽藍配置をとっており、寺跡は東西一三〇メートル・南北一一〇メートルと推定されています。
 また、久米廃寺跡の東約三〇〇メートルの丘陵上には、宮尾遺跡があります。遺跡は、東西約三〇〇メートル・南北約一五〇メートルの平坦地上に占地しており、昭和四十六年~四十八年にかけて、遺跡の北半分について、中国縦貫自動車道の建設に伴い発掘調査が実地されました。(現在、調査部分は高速道路となっています)その結果、溝・棚・門等と組み合わせられ、コの字形に整然と配置された多数の掘立柱の建物跡が検出され、さらに、それらの配置は時期により数回の変遷があることがわかりました。また、出土遺物等により、宮尾遺跡は、奈良時代を中心とする官衙(役所等)遺跡と推定され、古代美作国久米郡の郡衙に比定されています。
 奈良時代は、律令制度の成立発展期にあたり、地方豪族の国家体制への包括化が進んだ時代でした。中央から任命された国司のもと、地方豪族は郡司として国家に組み入れられ、当時、最新の思想であった仏教を取り入れ、盛んに寺院を造営したと考えられています。
 久米廃寺跡と宮尾遺跡は、共に古代出雲道を南に見下ろす丘陵上に、小さな谷を隔てて東西に並立した形となっており、建設にあたって企画性があったことをうかがうことができます。当時の地方豪族と中央との関係あるいは仏教とのかかわりを推測する上で、大変興味深いものがあるといえるでしょう。(文:現地案内板より)