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本源寺 御霊屋(津山市小田中)

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本源寺 御霊屋(おたまや) 国指定重要文化財 (2013年6月17日、7月3日取材)

 御霊屋は寛永16年(1639年)の建築で、桁行3間(8.2m)、梁間3間(8.2m)、屋根は宝形造、銅板葺である。正面に唐破風屋根の向拝を付け、柱頭部に金襴巻状の地紋彫、頭貫に亀甲模様の地紋彫を施し、破風や垂木は精緻な彫刻で飾る。


☆本堂西の御霊屋(おたまや)は、忠政公逝去の5年後の寛永16年(1639)に、二代長継公の建立。忠政公をはじめ二代長継、三代長武、四代長成、父可成、兄長可、乱丸、坊丸、力丸、忠政公奥方、子息、息女など、森家と関家と松平家、全28基の御霊碑を安置しています。(本源寺は津山城の真西にあります。)

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本源寺で森忠政公380年忌法要が行われました。

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津山市小田中にある東海山 本源寺の

本堂、庫裏、御霊屋、霊屋表門、中門が国指定重要文化財


  江戸時代 前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺が新たに国の重要文化財に指定されることになり、2013年7月1日(月)~7日(日) 午前10時~午後5時まで国指定重要文化財記念として一般公開されました。また、7月7日(日)は森 忠政公380年忌法要が行われました。(2013年7月3日・7日取材)

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本源寺 本堂(津山市小田中)

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▲東海山 本源禅寺 本堂 国指定重要文化財(2013年6月17日、7月3日取材)

 本源寺は、津山市街西部に位置する、臨済宗妙心寺派の寺院で、津山藩主森家の菩提寺である。境内中央に本堂が建ち、東に庫裏が並ぶ。本堂の北西が森家の墓所で、霊屋と霊屋表門を配する。
 本堂は慶長12年(1607年)に上棟され、桁行25.3m、梁間18.9mの方丈型本堂で、屋根は入母屋造、桟瓦葺とする。現在花頭窓が設けられている正面などは改変されているが、柱や梁組などの主要構造は当初の様子をよくとどめている。

詳しくは津山瓦版の過去取材の様子でご覧ください。

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本源寺国指定重要文化財記念一般公開に先立ちチャリティー

jpg 江戸時代前期までに建てられた津山藩森家菩提寺の東海山 本源寺が新たに国の重要文化財に指定されることになり、2013年7月1日(月)~7日(日)午前10時~午後5時まで国指定重要文化財記念として一般公開されます。また、7月7日(日)は森 忠政公380年忌法要が行われます。

そこで、本源寺国指定重要文化財記念一般公開に先立ち、2013年6月28日(金)~30日(日)まで「RAKU近作展」でチャリティーが行われます。

 山形楽さんが描いた本源寺の屋根に飾ってあった鬼瓦10枚を販売し、本源寺の活動資金として看板、ボードなどの購入資金とするそうです。是非、皆様お誘いあわせの上「RAKU近作展」にお越し下さい。

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毘沙門天堂(下高倉東字寄松)

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 広域農道の宮東バス停留場の東の堀切に架かった陸橋の北側に毘沙門天堂がある。古くは現敷地の南側にあったが、広域農道工事のため昭和49年4月現位置に新築移転した。

 このお堂は「寄松山多聞寺が焼かれた後、北之坊因明であった芦田新介が、焦土と化した境内の一隅に一宇(いちう)を建て、毘沙門天の仏像を安置して守護本尊とし、崇拝祭祀した」と伝えられている。建立は室町時代の嘉吉(かきつ)年間(1441~1444)、建っている場所は寄松山多聞寺(きしょうざんたもんじ)北之坊があったところと推察できる。

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法然上人 生誕の地 誕生寺(久米南町)

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誕生寺由来 (2012年11月18日取材)

 誕生寺は、浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人降誕の聖地、建久四年(1193)法力房蓮生(熊谷直実)が、師法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたもの、すなわち誕生寺である本堂須弥壇の位置は上人誕生の室のあった所。
 爾来九百年の星霜を経て法灯絶えることなく全浄土教徒の魂の故郷と敬仰されている法然上人(圓光大師)二十五霊場の第一番。
 境内には、誕生椋、片目川、産湯の井戸など、永き歴史を物語るものがある。(資料提供:美作之国 誕生寺)

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岩間山 本山寺(美咲町)法然上人ゆかりの地

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天台宗 岩間山本山寺(いわまさんほんざんじ)

 大宝元年(701)頼観上人の創建で、本尊は観世音菩薩である。当初は南方の山頂に在ったが、天永元年(1110)現在地に移り、大いに発展して百廿十坊と言われた。
古来、山岳仏教の道場として、又、庶民信仰の霊地として栄えた。長承元年(1132)稲岡ノ庄(誕生寺)の漆間時国公夫妻が参詣、祈願して生まれたのが、後の浄土宗の宗祖と仰がれる法然上人(源空)である。降って江戸時代になると、津山藩の祈願所として、尊ばれ、又、森候の時代には、美作の天台宗の触れ頭であった。山内寺院のうち、遍照院・仏性院・梅元院の三院が院内頭であったが、今では皆、合併して本坊一ヶ寺となった。現在の境内地は四千二百坪、十余棟の堂塔伽藍は、昔に変らぬ面影を伝えている。
国指定文化財、本堂(1350)、三重塔(1652)、宝筐印塔(1335)
県指定文化財、常行堂(1519)、御霊屋(1652)、仁王門(1686)、長屋(1845)、宝筐印塔(1399)、鬼面(1362)、六角型舎利塔(1344)、絹本著色両界曼荼羅図二幅(鎌倉末期)
美咲町教育委員会 (案内板より)

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2012年 美作総社宮の秋祭りがありました。

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2012年10月15日、美作総社宮の秋祭りが執り行われました。

 宮の略記:今を遡ること千四百年以上前の事ですが、欽明天皇の御代二十五年、大己貴命(オナムチノミコト=大国主命)を御主祭神として御祀りされたのがそもそもの始まりでございます。当初は、現在地よりも西の神楽尾公園の下あたりに祀られていたらしく、現在の場所にお遷しされたのは、元明天皇の御代、和銅六年に備前の国より美作の国が別れ、この地に国府が置かれ、相殿(アイドノ・同じ社殿内)に一宮(中山神社)の神と二宮(高野神社)の神を始めとして、美作の国九百十二社の神を合祀(ゴウシ)され、始めて総社宮と言う御社名が付けられたそうです。
 古くは国司等が祭典ごとに参列し、美作の国の総鎮守神として、地域内はもとより、国中の人々がこぞって参拝していたとのことです。
 その後、永禄五年(四百三十四年前)には、毛利元就公が今の御本殿の原型を造営され、社領をも寄進されました。元和八年には、森忠政公が、また明暦三年には森長継公が大修理を行いました。
 時は過ぎ、明治の時代になり、全国の総社の中で、当社のみが国宝に指定されました。

 指定の理由は、建築様式、彫刻などは言うまでもありませんが、御本殿本柱十六本の根元に、約一寸二・三分の根空が十文字に刻んであることです。理学博士・川村清一氏の発見に関わるもので、当時の大工が防虫に意を注いで刻んだものであります。全国の神社では、日光東照宮、大和談山神社の山門と当総社宮本殿の三ヶ所に在るのみだそうです。法改正により現在は国重要文化財に指定されていますが、国の宝、美作の地区の宝・氏子の宝であります。(文:美作総社宮造営記念誌より抜粋)前回の取材はこちら

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津山人 【陶芸家】天狗寺 陶白人氏

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 天狗寺 陶白人(てんぐうじ とうはくじん)さんは、岡山県苫田郡加茂町出身の陶芸家で、( 岡山県津山市にある山、天狗寺山が名前の由来だそうです。)
 天狗寺さんは、「美作地方(津山市綾部の土)の土単味でつくる」窖窯研究・美作土の造形研究38年だそうです。また絵画(洋画、日本画)、篆刻・彫刻・書・山水画・陶芸品の制作など多才な方で、いつもニコニコ笑顔が印象的な方です。お邪魔したときは、窯出し後で、焼きあがった作品がずらりと並んでいました。取材2012年11月6日

天狗寺 陶白人さんのプロフィール
2012 沖縄県 那覇市立壺屋焼物博物館企画個展
2011 岡山県 奈義町現代美術館企画個展
    鳥取県 重要文化財石谷家企画個展
2008 第25回 茶の湯の造形展
2005 第3回現代茶陶展
    第22回 茶の湯の造形展
    2005大滝村北海道陶芸展
    第17回 抹茶茶碗コンテスト『奨励賞』受賞
2004 第16回 織部の心作陶展
2003 第15回 織部の心作陶展
    第20回 茶の湯の造形展
2001 世界工芸コンペテション金沢
    第13回 織部の心作陶展
    金沢わんon大賞展
1998 第2回 益子陶芸展
1997 第8回 使ってみたい北の菓子器展 『大賞』受賞
    岡山県美術展 『地域奨励賞』受賞
    国際色絵陶磁器フェア79九谷
1996 第5回 バレンタイン美術展 『バレンタイン賞』受賞
    第7回 使ってみたい北の菓子器展
1995 現代茶陶展
1991 中国ガラスアート展1991
1990 第2回 しんわ美術展 『努力賞』受賞
1989 第18回 長三賞陶芸展
    第1回 しんわ美術展 『特別賞』受賞
1985 第2回 茶の湯の造形展
1980 天狗寺 陶白人の号を賜る
1974 天狗寺窯開窯Tenguuji Factory Of Artで働く
1972 藤川デザイン学院を卒業
1968 津山工業高等学校を卒業
1951 誕生日: 1951年2月16日

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物見神社(加茂)

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 物見神社は大正二年四月二十二日、浦栲の素盞鳴神社、天満神社境内にあった稲荷神社を合祀して旧天満神社跡にまつり、大字物見の名称を社号とした新しい氏神であり、祭日は四月十八日であった。その後、昭和二十四年、上加茂神社に合祀された旧氏神の天満神社を遷座して今日に至っている。氏子数は現在65戸で、祭日は十月二十五日である。

 なお、物見の秋祭りは注目に値する。花祭りとも呼ばれ、物見の三土居が、木箱、麦わら、川柳の枝、細い割り竹、色紙、大豆、藷で作られた、いわゆる「花」を奉納し、御神幸の先頭を飾る。御神幸の帰途、この「花」を打ち振り、打ち合い、氏子は「花」に飾ってある品々をわれ勝ちにと奪い合い、持ち帰って神棚・床にまつって、五穀豊穣を感謝し、家内安全を祈願する。また、魔除けだといって屋根に投げておいたりする。秋を彩る華麗な祭典であり、岡山県重要文化財に指定されている。(文:加茂町史より抜粋)2012.9.20取材

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