津山城(鶴山公園)の石垣についてその5
石垣が素晴らしい。
石垣が素晴らしい。
▲冠木門(公園になった為石段を作ったのですが、本当の姿は左右に防備のための石垣があったらしい)
「建武のころ(1334~1337)、すなわち足利尊氏が室町幕府を開いた頃、美作国の西北条部に鶴山という山があり、別名小篠山とも呼ばれていた。その南に留川(戸川)という清浄な川があった。付近には戸川町や林田町があって、毎月の一日と十五日には戸川の市と呼ばれる市がたち、美作国中の人々が群集を成して集まり、さまざまな商品の売買をした」(森家先代実録より)
ここでいう戸川町は吉井川の河原、あるいは川に面した安定し土地と考えられ、その町場を眼前にして、鶴山の中腹には福聚山妙法寺があり、その門前には門前町があったといわれています。
伝承では、妙法寺は津山城の「柳の檀」にあったとされています。この「柳の檀」というのは三の丸の段を指しており、鉄砲櫓の下の付近に大きな柳の木があったとされています。また、城内の煙硝蔵がった付近、現在の鶴山館が位置するあたりも妙法寺の院内であったと伝えられています。
そして、煙硝蔵の一段上の段には大きな桐の木があったことから「桐の檀」と称され、そこには鶴山八幡宮があったと伝えられています。また、戸川町には、後に城下の総鎮守となる徳守大明神が祭られていました。
慶長9年(1604)春、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い鶴山を城地と定めた森忠政は、まず「鶴山」の名称を「津山」改めたとといいます。そして、その年の秋には手斧始めとして徳守神社を造営し城下町の総鎮守としました。(津山城百聞録より抜粋)
▲裏門すぐの所にある菜の花の景色がきれいです。(2008春取材) 春には千本の桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人が花見に訪れる鶴山公園(津山城跡)。とくにぼんぼりに浮かぶ夜桜の美しさは幻想的です。また、新緑の頃の藤、ツツジ、秋の紅葉、雪景色など、四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。天守閣などの建物は明治7年に取り壊されましたが、本丸、二の丸、三の丸の石積みは、高さが45mもあり昔日の面影を今に伝えています。 昭和38年9月28日国指定重要文化財(史跡)指定 >>2011年4月のさくらの様子はこちら。/ SakuLoveも登場する2011年4月10日の様子はこちら。 |
▲本殿(国指定重要文化財)
鶴山八幡宮は 往古より鶴山頂上にありましたが、慶長8年森忠政公美作国々主に任ぜられ、この山に築城するに当たり、先ず八幡宮を一旦久米郡除山(現在作陽高校のある覗 山)に遷座されましたが、慶長15年藩主森忠政公霊夢により、府城の西北に当たる現在の地、山北八子不知夜山(いざやま)に再び遷座、寛文9年二代藩主森 長継公荘麗極彩色の社殿を建立(現在の社殿がこれで国の重要文化財)社領50石を寄進、寛永12年社領30石を加増、元禄元年に三代長成公又社領30石加 増し崇敬するなど森家代々ゆかりの深い神社です。
現在津山地方北部の大土産神です。