津山城(鶴山公園)の石垣についてその2

その1その2その3その4その5

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▲表中門(二階建ての門で、大阪城、名古屋城、江戸城を除いて一番大きな門で、登城する石段としては全国でもまれな石段の幅といわれているそうです。)

津山城の石垣は発掘調査で見つかった埋没石垣を除き、城内で観察することのできるものについては、おおむね3つの類型に分類することができます。
1、自然石あるいは自然石を打ち割っただけの石を用い、角の部分も不規則な石で構築するもの。
2、表のみ面をのみで平滑に加工した石を用い、石と石の間を小さな石(間詰め石)で詰め、角には大きさのそろった長方形の石を用いるもの。
3、表面を繋で平滑に加工し形をほぼ四角く整え、間詰め石をほとんど用いず、角の部分も長方形の石を規則正しく積み上げているもの。の3つです。これらはその石の加工の具合などから古い順に1→2→3と技術が進歩していったものと考えています。

1の特徴をもつ津山城で最古階段の石垣は城内のどの辺りになるのでしょうか?
それは本丸の東側の太鼓櫓や月見櫓が乗る石垣、本丸の入り口の切手門南側の石垣、あるいは搦手側(裏手側)になる七間廊下石垣および裏鉄門枡形内の石垣などに見ることができ、本丸およびその周辺に限られるようです。(津山城百聞録より抜粋)

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▲三の丸です。この門の敷石の大きさは並ではない。▲表中門の敷石

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▲正面の石が大きいのは、敵が来たとき大きな石を見て頑丈に作られた城と思わせた。

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▲「津山城跡外濠配置図(津山の文化財)より」 ▲「津山御城絵図(津山城百聞録)より」

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▲「京橋門」はこんな所に隠れていたのですね。▲津山城外濠跡に残る石垣

津山城外濠跡
 津山城の外周には、宮川が南流する東側を除き、堀と土塁が巡らされており、南側には、宮川門・京橋門・西側には二階町門・田町門・作事門、北側には北門の計6箇所の門とそれに連なる橋が架けられていました。
 このうち、大手口にあたる京橋門に至る橋は、唯一木造でした。この木造の橋を渡り切った北詰めは、石垣の枡形となっています。京橋門は、枡形の東側に位置する櫓門です。現在、京橋門は失われていますが、枡形西側の石垣と土塁の一部が遺存しています。津山城の土塁の中で往時を偲ぶことができるのはこの場所だけとなっています。(津山市の文化財より抜粋)

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▲津山城外濠跡には旧津山高等女学校が建っていたそうです。 ▲今でも土塁の高まりが残る。