
津山の今昔を辿ってみました。(1)

行啓道路(津山市山下)

明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

「従此千年寺道」の石柱(下田邑)

石垣が素晴らしい。
「裏鉄門」の枡形部分の石垣は三角形状になっています。ここは小書院の西側に位置する「植込之間」と「焼火之間」に該当します。小書院の北西角には「梯子上り口」という記載があります。これは本丸の段から下段石垣の上面に降りる梯子なのです。上段と下段のラインに挟まれた部分がいわば地下室のような形になっていたのです。
また、本丸御殿が枡形内にはみ出す形で建てられており、その柱を支えるために下段の石垣を築き、さらに上段石垣との間の空間を、地下室としているのです。御殿が枡形にはみ出すような構造は通常では考えられす、地形の制限により本丸に充分な広さが確保できないのが故の苦肉の策と思われます。(津山城百聞録より抜粋)
裏門の付近
▲宮川方面の階段(発掘中でした)
▲石垣が崩れないように栗石が沢山入っている。 ▲上から5段目森家の大きな刻印があります。