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鐘馗(しょうき)大神と虎の石塔(下高倉東字上揚舟)

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 向原(むかいばら)から東に一宮街道の坂道を上りきったところが、野村(のむら)と下高倉東の境に当たる揚舟(あげふね)の四辻である。この四辻の西北に見える山の頂に「鐘馗神」(しょうきじん)と呼ばれる自然石の塔が建っている。また四辻には「左一の宮・大たい寺」と記された道標がある。

 石塔の真中に、虎とその上に立つ鐘馗大神の姿が彫られていて、右側に「鐘馗大神 虎」、左側には「永口三月十五日延月」と刻まれている。裏面には、中央に「大日本国中口口成就」右に「天下太平十干之氏子息災延命」、左に「国土安全而牛馬安全」とある。

 「永口の3月15日に延月が建てた」と見えるが、地元に伝わる話はない。現在は揚舟・向原組合が管理し祀っている。

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市場蟹子川沿いの堀内家墓地-大庄屋代々の墓-

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 下高倉西市場の景山典子氏宅北側の蟹子川岸に堀内本家所有の墓地がある。石組みによって築いた台座の上に、南から五輪の塔が4基、蘭塔墓、位牌墓、蘭塔墓と7基の墓が並ぶ格式の高い墓地で、五輪の塔は欠けた部分があるが、蘭塔墓2基はよく保存されている。

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【津山人】国画会会員の画家 植月正紀さん

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津山市在住の国画会会員の画家植月正紀さん(76)は、昭和39年の国展入選を皮切りに中央画壇で活躍。(国展審査員歴40年以上続けておられます。)2010年にはスペインにある芸術家審査機関・AMSC(アートメゾン美術評論家選考委員会)が選出する最も評価すべき芸術家の一人として、「スペイン顕彰賞」を受賞したり、2012年フランス芸術委員会・評議員からフランス芸術最高勲章受賞、イタリア・ローマグレゴリアン大学名誉作家やキューバ芸術文化名誉大使に認定されるなど、海外からの評価が高い。(2013年4月9日取材) 2013年7月10日~植月正紀絵画展(喜寿記念展)はこちらをご覧ください。

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「なつかしの津山」池田泰弘きり絵展

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「なつかしの津山」池田泰弘きり絵展 3月1日(金)~3月24日(日)

江見写真館に残る昔の津山の風景を、池田さんがきり絵で表現した作品展です。
昭和初期のモノクロームの風景が、池田さんの感性により色彩豊かなきり絵作品になりました。津山の風景を知っている方から、若い方まで楽しめる作品展です。まぁ~、気が遠くなるほど細かい作業です。是非、ご自分の目でお確かめ下さい。オススメです。

棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)

入場料:無料(2F常設展をご覧いただく場合は500円となります。)2013年3月1日(金)取材

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福井 伝承の正伝寺(廃寺)本尊十一面観音様

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2013年2月3日(日)取材

 福井の土居地区に、新宮城とかかわって、古い伝承をもつ歴史的にも貴重な観音様が現存している。場所は、火のかま古墳の南、谷をへだてた通称山田といわれる林の中の墓地群の一角にある。ブロックに囲まれた倉庫風の観音堂に安置されており、人よりも大きい、お堂にふつりあいな立派な十一面観音様である。
 神宮山木下伝記によると、この観音様は、現福井八幡宮のできる以前に、その他に建立されていた宝昌山正伝寺ゆかりの本尊様と記されている。
 そもそも、八幡宮の前身宝昌山正伝寺は、新宮城ができたとき、清瀧寺地鎮和尚の勧めで、城の真東に禍事を払い武運長久を守護するお寺として建立された。その本尊として、清瀧寺と同様の十一面千手観音が、京よりわざわざ仏師を呼び寄せて製作され、長元6年(1033年)盛大な祭祀でもって安置され、以後多数の人々の参詣で賑わっていた言う。
 ところが、新宮城が落城した翌年の文治元年(1185年)、縁日の法要のさなか正伝寺が誇る五重の塔より出火し、お寺が全焼する大火となった。危うく本尊の観音様も焼失しそうになった時、熱心な信者により救われたと言う。
 以下、その伝記の記述である。「宝昌山正伝寺観世音縁日にて例年の法会あり、多くの善男善女参詣の最中 九つ下り、五重の塔の中央火の室より突然出火してにわかに燃え上がる。衆人驚き消さんとすれど宝昌山には水乏しければ防ぐ便なく瞬く間に本堂に燃え移りたり。土居平の中に長く仲間奉公して居りたりし岡西喜六と呼びなす者、常に観世音に信心して今日も参詣し居りしに出火に驚き、尊き観音様を焼きては恐れ入ると、直ちに本堂に飛び込んで応援の諸人と厨子を担ぎ出し、暫して土居の畝へ持ち来たり菰を敷いて其の上にも菰をかけて当分雨露をしのぎ、その後粗末なる堂を建立し安置し奉り信仰するところより、霊験あらたかなれば平中の者も追々信仰し~明治維新の神仏混合引き分けの達しにて、西の丘の現在地に移転さられたり。なお、表柱の突石は、正伝寺の突き石にて蓮華形あり。」

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法然上人 生誕の地 誕生寺(久米南町)

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誕生寺由来 (2012年11月18日取材)

 誕生寺は、浄土宗他力念仏門の開祖、法然上人降誕の聖地、建久四年(1193)法力房蓮生(熊谷直実)が、師法然上人の命を奉じこの地に来て、上人誕生の旧邸を寺院に改めたもの、すなわち誕生寺である本堂須弥壇の位置は上人誕生の室のあった所。
 爾来九百年の星霜を経て法灯絶えることなく全浄土教徒の魂の故郷と敬仰されている法然上人(圓光大師)二十五霊場の第一番。
 境内には、誕生椋、片目川、産湯の井戸など、永き歴史を物語るものがある。(資料提供:美作之国 誕生寺)

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2012年11月14日の衆楽園のモミジです。

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2012年11月13日・14日の衆楽園の紅葉の様子です。小雨が降っていたり、晴れたりと忙しいお天気でした。途中でであった中道中の生徒さんが、園内の句碑などを探しながら歴史の勉強をしておられました。過去の取材

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河面 清瀧寺天井の鳳凰図

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▲東寺真言宗 清瀧寺本堂  天井の鳳凰図(2012年5月31日取材)

 観音堂(本堂)の内部は華麗な装飾が施されています。天井は格子天井で、中央に算仙中村周介の描いた見事な鳳凰図が嵌め込まれています。

東寺真言宗 清瀧寺本堂(2009.4.12取材)

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200年前の江戸の眺望と東京スカイツリー「江戸一目図屏風」

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200年前の江戸の眺望に、現代の東京が重なります。(2012.3.14)
江戸一目図は、隅田川のやや東寄りの上空から眺めた、江戸の眺望と考えられています。そして、いま、まさにその場所にスカイツリーが建設されました。もし、江戸時代にスカイツリーがあったなら、鍬形蕙斎(くわがたけいさい)には、この江戸一目図の眺望が、現実のものとして見えていた筈です。
 平成24年5月に開業するスカイツリーの展望台からは、江戸一目図の複製展示によって、江戸の眺望と現代の東京を見比べることができます。(資料提供:津山郷土博物館)
 津山藩松平家の御抱え絵師鍬形蕙斎が文化六年(1809)に描いた江戸の景観図「江戸一目図屏風」は、東京スカイツリーの2012年5月の開業に実物大の複製パネルが地上350メートルの展望台に設置されます。津山郷土博物館所蔵の紙本墨画淡彩江戸一目図屏風、岡山県指定重要文化財、3階展示室に展示

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音楽祭9月24日市民コンサートブラスフェスティバルの報告

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市民コンサート Ⅳブラスフェスティバル

● 会 場:アルネ津山東広場/ 10:00 開演

中・高校吹奏楽部、一般の吹奏楽団が一堂に会しての市民コンサート。

出 演 : [団体名]久米中学校吹奏楽部、中央中学校吹奏楽部、津山高等学校吹奏楽部、津山西中学校吹奏楽部、作東中学校吹奏楽部、中道中学校吹奏楽部、鶴山中学校吹奏楽部、津山工業高等学校吹奏楽部、勝北吹奏楽団“Brass 勝北”、津山シティーブラス、ダークアイズジャズオーケストラ

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