鐘馗(しょうき)大神と虎の石塔(下高倉東字上揚舟)

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 向原(むかいばら)から東に一宮街道の坂道を上りきったところが、野村(のむら)と下高倉東の境に当たる揚舟(あげふね)の四辻である。この四辻の西北に見える山の頂に「鐘馗神」(しょうきじん)と呼ばれる自然石の塔が建っている。また四辻には「左一の宮・大たい寺」と記された道標がある。

 石塔の真中に、虎とその上に立つ鐘馗大神の姿が彫られていて、右側に「鐘馗大神 虎」、左側には「永口三月十五日延月」と刻まれている。裏面には、中央に「大日本国中口口成就」右に「天下太平十干之氏子息災延命」、左に「国土安全而牛馬安全」とある。

 「永口の3月15日に延月が建てた」と見えるが、地元に伝わる話はない。現在は揚舟・向原組合が管理し祀っている。

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 鐘馗神は、中国で疫病神を追い払い魔を除くと信じられている神である。その鐘馗神を、交通の要衝(ようしょう)一宮街道の東の村境に持ってきて、東方を 見下ろすように建てたのは、街道を入ってくる疫病神と悪魔を封じ「平和と安全・息災延命」を願ったものであろう。また、彫られた「虎」には、「虎の威を借 りてでも外敵は通さないぞ」という意気込みがある。

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 隣村の野村にも、揚舟の交差点の東南に、「大鬼神」と呼ばれる石塔が西向きに建てられている。この場所は村境であるばかりではなく、高倉庄と高野郷、東 北条郡と東南条郡の境にも当たる。この重要な村境で「鐘馗神」と「大鬼神」が東と西に向き合い対峙(たいじ)しているのには、疫病・外敵から村を護ろうと する先人の強い願いが感じられる。

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(2013年3月21日取材)(文:高倉の歴史と文化財より)