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取材記事内を検索ワード「寺」で検索した結果,923件の記事が見つかりました。

美作の大庄屋「青井家」

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青井家 青井平内 勝南郡岡村 出石藩
大庄屋まで
 青井家の家伝によれば、赤松円心に仕え、今井姓を名乗っていたが、母方の青山氏の姓とあわせ青井に改姓したという。のち、宇喜田直家に従い、天正5年(1577)岡村に移住したという。岡村など8か村が出石藩領になった延享4年(1747)、青井平内は明見村古田氏とともに大庄屋に任命された。平内の父は祠に祀られている道林禅定門という。
大庄屋として
 青井平内の子軍太は、寛政10年(1798)、岡村絵地図を作成している。出石藩は、岡、為本、明見、入田、金井、中原、百々、周佐8か村を支配し、青井氏、古田氏が管轄した。

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美作の大庄屋「中島家」(高野本郷)

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中島家 中島九郎兵衛 東南条郡高野本郷村 森藩
大庄屋まで
 中島氏の記録は、鎌倉時代末に中島隆家が高野郷の地頭職であったことに始まる。康永3年(1344)に出された足利直義の安堵状から中島隆家が元徳2年(1330)息子幸家に高野郷の地頭職を譲ったことがわかる。その後、信長の中国攻めに従い、天正6年には羽柴秀吉の配下となり、高野・広野・林田・田中・新野などで1150貫文の知行を安堵された。秀吉の三木城攻めに従軍している。高野城に居城したという。九郎兵衛が森藩の大庄屋を勤めた。
大庄屋として
 九郎兵衛のあと六郎兵衛・五郎兵衛が大庄屋を勤めたが、詳細は不明である。享保年間本家は絶家した。一宮中島家はここから分家した。

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2021年清眼寺の「ぼたん祭り」

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 2021年4月21日の清眼寺のぼたんの花を見に行ってきました。
 清眼寺は、美作88ヶ所第56番札所・美作国七福神毘沙門天霊場として、多くの参拝者で賑わいます。別名ぼたん寺ともいわれ、毎年のぼたん祭りには、色とりどりの美しい大輪の花を咲かせ、参拝者を楽しませています。行った日は風が強くてゆらゆら揺れる中を撮ってまいりました。

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笛吹川歌碑公園(久米南町)

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 笛吹川歌碑公園は岡山県久米郡久米南町にある誕生寺に隣接した公園です。
2020年9月13日に誕生寺に取材に伺った時、門の外で何気なく周りを見渡すと公園という文字が書かれた看板が眼に入り、つられて行ってきました。公園内は2千坪もあるそうです。その中には正岡子規をはじめとする文化人の文学碑・歌碑が沢山並んでいます。また、美しい公園内ではほたるも観察できるそうです。

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鳥羽野の道標(勝央町)

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 勝央町の鳥羽山萬福寺近くの道標が新たに見つかったと、勝央町文化財保護委員長を務めている赤木耕三さんからの情報提供があり訪ねてきました。勝央町の鳥羽野というところは、色々と伝説や遺跡があるところでもあり、嘗てこの地が繁栄していた証拠になるとのことでした。
 この道標は、鳥羽山萬福寺近くの県道側にあり、見せて頂いた地図と重ね合わせてみると道が交差していて、昔は賑やかでここが繁栄していただろうと思われました。また、近くには「昭和4年8月20日 秩父宮殿下御休憩所」の石柱がありました。

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愛染寺の牡丹の花と仏画教室生の作品展

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 愛染寺(津山市西寺町98)で早咲き~遅咲きまでの牡丹が随意開花しています。
今年も鮮やかな牡丹の花が迎えてくれました。少々風が強くて牡丹の花がゆれてうまく撮れていませんがご了承を。また、寺内では仏画教室生の作品展が開催されています。2021年4月18日(日) 〜 2021年5月4日(火)まで。
 愛染寺は、津山市城西地区の国の重要伝統的建造物保存地区内にあり、出雲街道に面しています。また、鐘楼門付仁王堂は岡山県重要文化財に指定されています。

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方谷庵(新見市)

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岡山県指定史跡 方谷庵(阿哲郡大佐町小南 金剛寺境内 指定 昭和40年2月24日)
 この庵は幕末の政治家、学者、教育者で備中聖人と呼ばれた山田方谷(1805~1877)が明治5年(1872)に外祖父母の霊を弔うため、母の生家西谷家の菩提寺である金剛寺境内に建立したものです。外祖父母の位牌を祀る仏間(三畳)と炉のある床の間(三畳)を中心とした平屋建、切妻造、棧瓦葺(もと柿葺)の簡素な茶室風の建物で正しくは継志祠堂と呼ばれています。
 山田方谷は、文化2年(1805)に阿賀軍西方村(現高梁市)に生まれ新見の儒者丸川松隠に学んだのち、備中松山藩に召出され、藩校有終館の会頭・学頭として子弟の教育に当たりました。
 嘉永2年(1849)藩主板倉勝静の信任を得て藩政改革を進め藩財政の立直しに貢献し、また勝静が幕府老中首座のときそれを援けて活躍しました。
 明治維新後は当小阪部に隠棲し、小阪部塾を開いて子弟の教育に当たるとともに、しばしば当庵を訪れ、祖先の霊を弔って晩年を過ごしました。 新見市教育委員会 岡山県教育委員会(文:現地案内板より)

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イタリアの風 武藤順九の宇宙

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 武藤順九氏は1973年からイタリアにアトリエを構え、国内外で彫刻、絵画を発表してきました。彫刻作品はバチカンや仏教の聖地インドブッダガヤ、ネイティブアメリカンの聖地でアメリカ合衆国最初のナショナル・モニュメント、ワイオミング州デビルズタワーなどに永久設置され、これら一連の人類の聖地への設置は世界芸術史上、初めての偉業といわれています。
また、絵画作品もパリのユネスコ本部にコレクションされる等、世界的アーティストとして知られています。かつて松島瑞厳寺での特別展の折、故平野宗浄御老師が東洋のミケランジェロと絶賛されました。2019年には東京都昭島市に『昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園』が開園となり、国内外から注目を集めています。
 この度、日本における制作の場として、津山にアトリエを構えられることになり、PORT ART&DESIGN TSUYAMAにおいて特別企画展を開催していただける運びとなりました。是非、この機会に多くの方々に御覧頂けますことを願っています。
PORT ART&DESIGN TSUYAMA 館長 飯塚 洋平

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日吉神社(勝央町)

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社説 旧郷社 日吉神社
 本社創立の年代は不詳、社伝並びに古老の口碑によれば天平9年11月、従五位下美作守阿部帯磨より受継ぎをなせる、美作守大伴兄磨が、近江國阪本鎮座の日吉神社より天平10年4月、分霊を奉祀し、翌11年3月7日、御遷座勅許を得て荒田七反歩を寄せ、植月郷総鎮守となしたりとも、或は、内田菅磨、が近江國日吉神社を、旧社地植月中河内山王谷に奉祀し、永正9年、宮山城主植月彦次郎この地に遷し奉ると云う。
平成6年3月本殿・幣殿・拝殿共に著しく老朽せしを、平成の御大典記念として改築なせるものなり
祭神 大山咋命・大巳貴命・豊受大神・味須岐高彦根命・少彦名命・猿田彦命
境内社 稲荷神社・厳島神社(文:現地案内板より)(2020年9月10日撮影)

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宮川河川敷のさくら並木が満開です。

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 2021年3月31日ですでに満開のさくら並木です。
今年はコロナ禍で自粛生活が長引いているので春のさくらの花の下でお花見を楽しみにしてきた人も多いと思います。でも今週末までどうにかもってほしいと願っていたら、天気予報が無常にも雨を知らせている。

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