<古墳時代> いろいろな須恵器
市内から出土した須恵器です。日常的に食器として使われる杯から、古墳でしかみかけない提瓶、いわゆる珍品である取手のついた碗や子持ちはそうなど、一口に須恵器といっても用途やかたち、土や焼きの質がさまざまです。
★再発見
同じ須恵器でも普通使いの品と特別に作った品とでは大きな違いがあります。杯蓋といった普段使いの須恵器では、器の面を整える際に胎土に含まれる小石が動いて出来た凹みをそのままにしていますが、子持ちはそうなど特別に作った須恵器ではそうした凹みがありません。最後まで丁寧に仕上げていたことがうかがえます。
子持ちはそう 提瓶
<古墳時代>
★祇園畝古墳群 皿川の西岸、嵯峨山東南の山裾に位置する古墳群です。
昭和26年(1951)に岡山大学によって調査されました。
1号墳は、古墳のほとんどが壊されており、須恵器と鉄製品の破片がわずかに残るのみという状況でした。
2号墳は、直径7mの円墳で、横穴式石室を備えています。盗掘を受けていましたが、石室内からは陶棺2基、須恵器や土師気が20点、陶棺の中から耳飾りと玉が出土しました。
展示品では、2号墳のでと出土遺物の一部です。須恵器の杯身、杯蓋、高坏、はそう、平瓶、台付壺、台付碗を展示しています。
★再発見
昨年まで岡山県古代吉備文化財センターが調査していた、桑山古墳群・桑山南古墳群の出土遺物では、高坏の出土数が多く、少し変わったかたちの須恵器が1点出土する傾向があります。祇園畝2号墳でも同様に杯よりも高坏が多く、少し変わったかたちの須恵器で、ワイングラスのような台付碗が1点出土しています。皿川西岸の地域的特色といえるかもしれません。
弥生時代の展示品 土製勾玉
<弥生時代>
★アクセサリーとお祀り
弥生時代のアクセサリーの大半は、色のついた石やガラス製です。勾玉は地元で採れる石で作られることもありますが、勾玉は島根県などで採れる碧玉という緑色の非常に硬い石で作られました。ガラスは当時貴重だったため、大事に使われていたようです。展示品の中には割れてしまったガラス小玉にもう一度穴をあけて、ビーズとして再利用しているものがあります。
土製勾玉は、アクセサリーではなく、お祀り用です。お祀りのときには、土器やアクセサリーをそのままお供えすることもありますが、土で手のひらサイズのお祀り道具は表面をあまり整えておらず、粘土をこねて作った痕跡がよく観察できます。
管玉 ガラス小玉
★再発見
アクセサリーの素材の色に注目してみると、石は緑色、ガラスは青色ないし緑色です。漢字で表現するならば碧色を好んでいたようで、赤色や黄色のアクセサリーはあまり出土していません。お祀り用の土器は赤色に塗ってあるものが多いので、赤色の多い空間で反対色の碧色を身に着けると映えたからでしょうか。赤色や黄色のアクセサリーは古墳時代の後半頃から出土が増えてきます。
<古代>
☆役所と墨書
古代の役所では油性のボールペンではなく、墨と筆で文字を書きます。紙は貴重品なので、木の板が使われていました。これを木簡といいます。間違えたら小刀で削って消します。発掘調査でみつかる木簡や文字の書かれた土器には、建物や部署、役職の名前、荷物の送付先、なかには勤務評定などいろいろなことが書かれており、当時の仕事の様子をうかがい知る手がかりになります。
墨が消えることなく長く残ることは、古代の役人も知っていたと思われますが、1000年以上も残って、このように展示されていると知ったら驚くかもしれません。
☆再発見!☆
展示品には、左奥から順に「郡」、「清」、「相」、「宅」、「田」、「厨」、「苫」と書かれています。「苫」は墨書ではなく、スタンプです。1000年以上昔にかかれた文字なのですが、意外と読みやすいのではないでしょうか。
昔の筆で書かれた文字というと、字の形が崩れて読み難いというイメージがありますが、実は、古代の文字は形の崩れが少なく、文献史学の専門家でなくともある程度読むことができます。もちろん正式な評価は専門家にお願いしますが、ある程度我々考古学学芸員でも価値づけできる親しみのもてる文字資料といえます。
祇園畝古墳群出土遺物
祇園畝古墳群出土遺物
塼
<古代>
☆瓦と塼
瓦は6世紀中ごろに仏教とともに日本に伝わり、最初は寺院の屋根、のちに宮殿や役所の建物の屋根に葺かれました。このころの日本の一般的な建物は、板葺き屋根の倉庫や、居住用の竪穴住宅だったので、瓦葺きの建物は一目で全く新しい技術で造られていることがわかる、重々しさのある立派なものとして人々の目に映ったと考えられます。
塼とは瓦と同様の素材で作られたタイルのことです。建物の床や壁、基礎などに使われました。大部分は文様のない実用的なものですが、なかには文様を型押ししたり、釉薬をかけたりするものもあります。
古代の鬼瓦 縄文土器と弥生時代の石器です。
古墳時代の須恵器
案内くださったのは弥生の里文化センター宮崎さんです。
(文:現地展示案内より)(2020年9月7日)