お散歩 衆楽園の朝
2016年8月22日の衆楽園をぐるりと回りお散歩してきました。蒸し暑い日が続く8月後半ですが、それでも幾分朝夕が涼しくなり、過ごしやすくなってきました。衆楽園のもみじも少し色づいておりましたが、これは紅葉の始まりではなく、暑さのせい?ところで、スイレンが可愛く咲いていたのですが、池を覆い尽くすのはどうだろう。それとガマガエルの子ども沢山いて、時々息継ぎに浮かんできます。
2016年8月22日の衆楽園をぐるりと回りお散歩してきました。蒸し暑い日が続く8月後半ですが、それでも幾分朝夕が涼しくなり、過ごしやすくなってきました。衆楽園のもみじも少し色づいておりましたが、これは紅葉の始まりではなく、暑さのせい?ところで、スイレンが可愛く咲いていたのですが、池を覆い尽くすのはどうだろう。それとガマガエルの子ども沢山いて、時々息継ぎに浮かんできます。
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。
2016年5月30日の衆楽園の様子を見て来ました。園内にはサツキの花やスイレンの花が綺麗に咲いていました。また、この頃は園内が緑に覆われてとても綺麗です。(前回の取材)(「曲水の宴」とロバートキャンベルさん)
長福寺の文化財 (2015年7月4日取材)
当寺は奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚が真木山頂に開基し、弘安8年(1285年) になり天台宗の円源上人が中興した。明徳年間(1390年頃)に真言宗の寺となり、山上に65坊が建ち並び隆盛をきわめていたが、享保16年(1731年)寺領を30石に減らされたため、僧坊を22ヵ寺に合併した。その後明治維新で4ヵ寺となり明治9年奥の院の長福寺ただ1ヵ寺となった。大正14年焼失 し昭和3年現在地に移転した。(文:長福寺案内板より)
2015年7月7日は森忠政公の命日なので本源寺では法要が行われました。朝から小雨が降っていて遠くがかすんでいますが、とても今の季節にマッチして綺麗なのではと衆楽園に足を運んでみました。案の定、池には鷺が石の上で羽を休ませていていい感じです。雨の衆楽園もおつなものです。(2008年の衆楽園の記事はこちら)
廣戸神社(大吉字平野)
ここには古くから植えられている尼子杉尼子藤という杉と藤の木が現存ししている。「天和3年(1683年)美作國主森伯耆守長義より神社再建費及び琴壹面を寄進せらる明治5年に社名を廣戸神社と改稱す」だそうです。弁天池にはスイレンの花が咲いている。(2014年7月1日取材) →前回の取材はこちらから
衆楽園の池を覆い尽くしそうなスイレンの花。この日は蒸し暑い日でしたが、倉敷からおいでになった方が、「雰囲気がいいですね。」とカメラのシャッターをしきりに押しておられました。その他の団体のお客様も園内を説明してもらいながら回っておられましたよ。
2014年6月9日取材
(2012年5月7日の衆楽園)衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。
衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より)
春夏秋冬いつ来ても見ごたえあります。(過去の取材)