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取材記事内を検索ワード「史跡」で検索した結果,186件の記事が見つかりました。

メタセコイアと記念植樹

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 2023年11月21日メタセコイアの紅葉を求めて、グリーンヒルズの丘を回ってきました。
 それというのも、「2023津山ビッグマルシェ」があったときに偶然見かけた「記念植樹2003年2月20日津山市・在日本朝鮮人総聯合会美作支部」の石銘板の説明を読んで、どこにメタセコイアの木が植えてあるんだろうと巡って来ました。それに、少し遅かったけど紅葉も見てみたいと思ったからです。全部が該当するのかどうかは分かりませんが、一応メタセコイアかな?と思われる木を見つけて撮ってみました。

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衆楽園「竹あかり」

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 2023年7月29日(土) 〜 2023年7月30日(日) 津山市山北にある衆楽園(旧津山藩別邸庭園)で、竹が奏でるほのあかり「衆楽園 竹あかり」が(一社)津山青年会議所主催で執り行われました。
 「津山藩初代藩主・森忠政公の奥方・お岩の初盆に竹を使い万灯をともしたと言われ、それから 76 年間、庶民らの手によって万灯会は続けられてきたそうです。先人の想いを馳せると共に、衆楽園の魅力発信にもつなげられれば」との思いからだそうです。

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平櫛田中美術館(井原市)・平櫛田中彫刻美術館(小平市)

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平櫛田中(ひらくし でんちゅう)昭和54年12月30日逝去(107歳)
 岡山県民が誇る井原市にある田中美術館を初めて訪れたのは十数年前で、今とは違う雰囲気の美術館でしたが、その時「幼児狗張子」(ようじいぬはりこ)に出会って衝撃を受けたのを覚えています。それはなんとも言い難い、田中さんの幼くして亡くなった長男をモデルにした彫刻でした。田中さんの作品を通して、だれもが田中さんの生き方、考え方そのものに感動するのだと思います。

 また、田中さんが約20年間かけて制作した大作「鏡獅子」を、東京の国立劇場に飾るとき、国が2億円で買い上げようとしましたが、「お金はいりません。この作品は私一人で作ったものではなく、六代目菊五郎さんと2人でこさえたもんです。お金をとったら、あの世で六代目さんに会ったとき、あいさつのしようがないですよ。」と答えたそうです。(平櫛田中美術館HP)(平櫛田中彫刻美術館HP

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「国指定史跡」利神城跡(りかんじょうあと)(因幡街道宿場町平福)

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 利神城跡は、ここ佐用町平福にある中世から江戸初期にかけての城跡で、現在見られるような石垣造りの姿になったのは、慶長5(1600)年のころになります。
 播磨52万石を領し、姫路城主となった池田輝政は、領内に六つの支城を築いたとされ、その一つが利神城であり、城主となった輝政の甥、由之が山頂の城と麓の館を大改修したと伝えられています。
 城は周囲に総延長700m近くの石垣を巡らし、山頂に天守を築きあげた姿は「雲突城」とも呼ばれています。
 元和元(1615)年には池田輝政の六男、輝興が作用郡2万5千石を領して入城。このころ城下町の整備も進み、のちの"宿場町平福"の繁栄をもととなったといわれています。
 しかし寛永8(1631)年、輝興が赤穂へ移り、領地が山崎藩(宍粟市)に組み込まれると城主不在として廃城になったと伝えられます。(文:現地案内板より転載)

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西登山 金屋寺(加茂郷88ヶ所霊場第18番札所)

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西登山金屋寺は、西谷の奥の山腹、木ノ口にある。(昭和46年2月10日村指定史跡)
 金屋寺創建の由来については明確ではない。人口に膾灸されているところによれば、阿波村はこの地からタタラ稼業の集団によって開発された。
 阿波村の地は、良質な砂鉄を含んだ真砂土(風化花崗岩)の山が多く、タタラ製鉄の跡と思われる鉄滓の散乱したところや、タタラ製鉄にまつわる地名も多く、古代から近世にかけてタタラ製鉄が行われていたことがしのばれる。
 本来、タタラ製鉄に従事した稼業集団の人たちの信仰したのは金屋子神を祀る習慣をもっていた。金屋子神は自分たちの稼業の安全と加護を願って信仰する神であった。したがって、金屋子神も社はいわゆる自分たちの職場のところに建立されたものと考えられる。

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2023 千年寺の満開のさくら(下田邑)

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2023年3月30日の千年寺の満開のさくら
 長継山千年寺は、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されています。(2009年4月5日取材)(2014年4月6日取材)

 徳川幕府と後水尾法皇は中国よりの渡来僧隠元禅師に帰依され宇治の地(後水尾法皇のご生母中和門院の別荘)を付与し、摂津国麻田藩主(青木氏一万石)を普請奉行として黄檗山万福寺を創建されました。
 美作の国主森長継公(十八万六千五百石)も又隠元禅師に帰依し、領内に教義を具現する長継山千年禅寺の造営を発願されました。それは「泰国安民武運長久」を祈念すると同時に一種の公共事業でもありました。鎌田源太兵衛を普請奉行として農閑期に作業をし手当ては毎日支給をするように・・・又戦乱に備える要害としての機能も持たせています。
 神楽尾の山城を一望に治める千年寺は鶴山城とも連繋されていたのです。千年寺一帯は西に紫竹川が流れ周囲の山を利用して進入路を大門(田邑川東向公会堂)に集結させ龍吟径を通って寺に入るようにし、他は谷の湿田を利用して侵入を防げました。
 寛文八(1668)年十一月七日、長継山千年寺は創建され翌年の春、二月五日開山鉄堂和尚(美濃の出身)が入山致しました。

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史跡津山城跡二の丸東側石垣修理工事見学会

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 国史跡の津山城跡整備事業の一環として、令和元年度から津山市が行っていた二の丸東側石垣の修理工事が終了したので、2023年3月11日に現地見学会が行われました。当日はお天気も良く汗ばむくらいの中、普段は入れない所での見学会でした。この工事で一番大変だったのは、東側は狭くて大きな重機が入れないので、石垣を挟んだ見えない本丸からのクレーン操作だったそうです。
 この石垣修理工事は令和元年12月~令和5年3月、工事金額は171,523,000円、解体した石のは約950個(築石および大きめの間詰石含む概数)、解体面積は242㎡(表面228㎡、背面14㎡)、取り替えた石は(築石サイズ)約70個(破損によるものと、花崗岩の取り替え)
2021年11月28日の二の丸東側石垣修理工事の現地見学会の様子

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衆楽園 2023二度目の雪景色です。

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 2023年2月21日衆楽園の雪景色
朝起きてみると市内一面が雪景色となっていてびっくりしました。でも、通勤途中の道路の雪は解けてきていましたので、前回の1月25日の大雪とは違いすぐに解けてしまいました。今年に入って二度目の積もる雪でしたが、園内では松の剪定作業が始まっていたり、雪帽子を被った可愛い山茶花に近づいている春を感じながらほっこりしました。

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2022つながる「出雲街道」を歩こう会(最終回)

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 2022年10月23日「出雲街道を歩こう会」に参加してきました。
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第6弾(最終回)として、福力神社附近より津山(津山市役所)までを、東から西へと主催者の「勝間田宿の会」と共催で、「城東まちづくりの会」と「勝山宿の会」で歩きます。
「勝山宿の会」では平成24年より、真庭市内の「出雲街道(7回)・大山みちを歩こう会(6回)」を踏破して、国交省より「夢街道ルネサンス」に認定され「つながる出雲街道」と命名され、東部(美作市・勝央町・津山市)に活動の場を求めて、歩こう会を開催し、記念すべき第6弾の最終回を迎える事が出来ました。
特別企画(第6弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第4区)
福力(福力荒神社附近)~津山(市役所)間7.5km(実質8.0km)
主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:城東まちづくり協議会(津山市)、共催:出雲街道勝山宿の会
協力:津山観光ボランティアガイドの会、助成:(一社)中国建設弘済会

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2022さら山時代祭

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 2022年11月13日(雨)今年のさら山時代祭りは、事前に雨の予報があり、時代行列は中止となり、やむなく平福の佐良山公民館での「縮小開催」となりました。雨の降る中でしたが、駐車場のテントの中では、子ども達がにゲームを楽しんでいました。また、佐良山公民館内のバザーでは多くの方が訪れ大賑わいでした。また、展示コーナーでは、地区のみなさんの研究成果や、津山南道路建設に伴う発掘調査での出土品、写真のパネル展などあり充実した内容でした。

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