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取材記事内を検索ワード「法然上人」で検索した結果,22件の記事が見つかりました。

JR西日本 誕生寺駅(津山線)

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 誕生寺駅は、岡山県久米郡久米南町里方にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)津山線の駅である。
1898年(明治31年)12月21日 - 中国鉄道本線(現在の津山線)開業時に設置される。
1944年(昭和19年)6月1日 - 中国鉄道の鉄道部門が国有化され、国鉄津山線の駅となる。
1971年(昭和46年)11月15日 - 無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
 津山方面に向かって右側に単式ホーム1面1線を持つ地上駅(停留所)。写真にもあるように、かつては相対式2面2線のホームであったが、交換設備は撤去されている。棒線駅のため、津山方面行きと岡山方面行きの双方が同一ホームより発車する。(文:『Wikipedia』より)(2017年9月15日撮影)

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誕生寺二十五菩薩練供養(会式法要)

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 2017年4月16日誕生寺で、日本三大練供養の一つ「会式法要」が行われました。この会式法要(二十五菩薩練供養)】は、元禄13(1700)年から続いており、日本三大練供養の一つに数えられ毎年4月第3日曜日に行われます。この法要は古く室町時代から始められ、正式名称は「法然上人ご両親追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」です。会式の法会に御縁を結ぶと、厄病魔は去り、やがて臨終の暁には無苦大往生が得られると、全国各地より参詣されるそうです。(詳しくは、2012年12月26日の取材をご覧ください。)

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立石家(立石岐について)

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自由民権と産業振興で活躍した立石岐 ~作州発展につくした時代の先覚者~
 幕末から明治時代のはじめにかけては、開国の影響と新政府による近代化への改革で、世の中が大きく変わりつつありました。そのころ作州(美作地域)で、近代産業を発展させようと立ち上がったのは、豪農といわれる人たちでした。明治11年(1878)、立石岐、中島衛、内田饒穂、安黒基たちが、養蚕・製糸業をすすめようと「共之社」を結成しました。さらに彼らは、岡山県議会議員となり、自由民権運動を積極的にすすめました。
 彼らの運動は「豪農民権」といわれていますが、その中心となって活躍したのは、立石岐でした。岐は、国会が開設されると、最初の議員となりました。その後も、中国鉄道の建設や学校教育の推進、キリスト教の伝導などで活躍し、作州の産業・文化の発展に大きな業績を残しました。

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奈義の菩提寺2015.11.2

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2015年11月20日の菩提寺の様子です。(観音様、お位牌、かぼちゃ頭の法然上人座像など
 当山は、お念仏「南無阿弥陀仏」の元祖で、浄土宗を開宗されました「圓光大師法然上人」が、初めて仏教を学ばれた聖域にして、浄土宗史蹟であります。殊に法然上人(幼名勢至丸)9才(1141)から13才まで、父漆間時国公の遺言によって、母方の叔父、勧学得業上人のもとで学問を始められた史実は、勅修「法然上人行状絵図」(四十八巻伝)に伝えられる処です。

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阿弥陀堂の大イチョウ(奈義町)

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阿弥陀堂の大イチョウ(奈義町指定天然記念物 昭和44年7月7日指定)
 勢至丸(後の浄土宗の開祖法然上人の幼名)が修行のため菩提寺の叔父の下へ行く時、この木の枝を杖にし、「学成れば根付けよ」と突き刺したのが、菩提寺の大イチョウになったという伝説があり、大イチョウの親木とも伝われている。
 落雷で一部が焼けるなどしているが、枝から垂れる気根は3mにもなり地中に達している、県北を代表する巨樹である。(2015年11月7日・11月20日取材)

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菩提寺の大イチョウ(奈義町)

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国指定天然記念物 菩提寺のイチョウ 昭和3年1月18日指定(2015年11月11日・20日取材)
 このイチョウは、浄土宗の開祖法然上人(幼名:勢至丸)が、仏教の手ほどきを受けるために、この菩提寺に入山の際、麓にある「阿弥陀堂の大イチョウ」の枝を杖にし、学業成就を願い挿し根付いたと云われる名木です。平成25年に奈義町教育委員会が行った樹勢診断調査の中で、「菩提寺のイチョウ」と「阿弥陀堂のイチョウ」そして隣り合って立つ「天明のイチョウ」は同じDNAを持つことが判明しました。この事は、記の育った環境を知り、今後の樹勢維持の検証するうえで貴重な発見となりました。皆さんもこの木を見上げ、900年の歴史に想いを馳せ、奇跡の生命力を感じていただければと思います。(樹高:40m、目通り幹囲:13m、樹齢:推定900年)

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2014年11月20日の菩提寺

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菩提寺略縁起 2014年11月20日
 当山は、お念仏「南無阿弥陀仏」の元祖で、浄土宗を開宗されました「圓光大師法然上人」が、初めて仏教を学ばれた聖域にして、浄土宗史蹟であります。
  その草創は、持統天皇(41代)朱鳥6年(692)役の小角神変大菩薩が名木の神山(那岐山)に霊地を求め、この地に修験道場を開き、後に天平年中、聖武 天皇(45代)の勅願によって行基菩薩が自ら十一面観音像を刻んで中堂に安置し、「元明天皇(43代)の菩提寺」として再興開基し、七堂伽藍三十六僧坊を 建てめぐらし、四宗兼学の学問道場として各地から学僧が蝟集し、その興隆数百年に及んだ。l(前回の取材の様子

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菩提寺の国指定の天然記念物 大イチョウ

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 浄土宗の開祖、法然上人が学問成就を祈願してさした杖が芽吹いたといわれる。この天を覆う銀杏の巨樹は、国定公園那岐山の古刹、菩提寺の境内で歴 史の重みをかさねながら静かに息をひそめつつ立っている。目通り周囲約12メートル、高さ約45メートル、樹齢推定900年といわれ県下一の巨木である。 昭和3年、国の天然記念物に指定され、また全国名木百選にも選ばれている。町では、イチョウを町木に指定し、その保護に力を注いでおり、町民一人ひとりの 心の中に大銀杏が息づいている。(奈義町教育委員会案内板より)2013年11月28日取材 (2012年11月にも詳しく取材しております。)

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2013年本山寺 枝垂桜と逆木櫻(美咲町)

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本山寺の枝垂桜と逆木櫻を一度見てみたいと足を運びました。境内地は四千二百坪、十余棟の堂塔伽藍は、昔に変らぬ面影を伝えています。ここは、国指定文化財、本堂(1350)、三重塔(1652)、宝筐印塔(1335)、県指定文化財、常行堂(1519)、御霊屋(1652)、仁王門(1686)、長屋(1845)、宝筐印塔(1399)、鬼面(1362)、六角型舎利塔(1344)、絹本著色両界曼荼羅図二幅(鎌倉末期)があります。(詳しくはこちらで

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法然上人が修行した 高貴山 菩提寺

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菩提寺略縁起
 当山は、お念仏「南無阿弥陀仏」の元祖で、浄土宗を開宗されました「圓光大師法然上人」が、初めて仏教を学ばれた聖域にして、浄土宗史蹟であります。
 その草創は、持統天皇(41代)朱鳥6年(692)役の小角神変大菩薩が名木の神山(那岐山)に霊地を求め、この地に修験道場を開き、後に天平年中、聖武天皇(45代)の勅願によって行基菩薩が自ら十一面観音像を刻んで中堂に安置し、「元明天皇(43代)の菩提寺」として再興開基し、七堂伽藍三十六僧坊を建てめぐらし、四宗兼学の学問道場として各地から学僧が蝟集し、その興隆数百年に及んだ。
 その間"法相""天台""浄土""真言"と各宗変遷をたどり多くの名僧を輩出したが、殊に法然上人(幼名勢至丸)9才(1141)から13才まで、父漆間時国公の遺言によって、母方の叔父、勧学得業上人のもとで学問を始められた史実は、勅修「法然上人行状絵図」(四十八巻伝)に伝えられる処です。
 往古の伽藍の様相を、僅かに残る中古の記録によると、'本堂九間四面""観音堂五間四面""鎮守堂四間四面""不動堂二間六面""鐘堂二間四面""通堂九間"等々記されており、広大な規模を彷佛とさせられるものがあります。
 数百年の繁栄も、この地が険要であったが為、地方豪族の拠点として菩提寺城等の城砦を築き、戦国乱世に頻りに災禍を受けてついに天文2年、尼子義久の焼打によって、悉く灰燼となって以来衰微の一途を辿り、江戸末期僅かに残る草庵も焼失し、無檀、無禄につき復興のめどなしとして、一旦は廃寺となったが、法然上人遺蹟地の故、明治十年寺名再興浄土宗復宗の官許を得て作因両州近郷近在の檀越、信徒共々信心を凝して本堂再興(明治十三年)、以来現在に及んでいる。
1、本尊:十一面観世音菩薩 座像、嵯峨大覚寺から文久元年招来。
2、阿弥陀如来:芝増上寺から蔓延元年招来
3、勢至丸像:勢至丸様(法然上人幼名)の霊像で、阿弥陀如来と共に奉納された唯御一体の圓光大師少年姿、冷泉為恭の作。
4、守護神:摩利支天王を勤請し、境内の守護神として巌上に御鎮座
5、観覚塚:勢至丸様初学の師、観覚得業上人の御墓、熊谷蓮生(直実)の建立と言われる、石塔は近年の建替え。
6、大公孫樹:勢至丸様9才入山の際携えた、いちょうの杖を「我、未来に弘めんとする法門盛んならば、必ず繁生せん」と本尊に誓って挿し木したと伝えられている。
果たして念仏の興隆と共に繁茂し、目通り13m余高さ40m余の巨樹となり、昭和3年国の天然記念物に指定された。
資料提供:高貴山 菩提寺(2012年11月14日取材)

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