取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「碑」で検索した結果,394件の記事が見つかりました。

御代官 池田仙九郎・重田又兵衛様塚

2024-6-14daikantsuka6.JPG

 幕府の出先である代官が苛歛誅求(かれんちゅうきゅう)を行なったり、凶作や飢饉に際して救助の手段をとらなかったりの場合が多くあった為か、代官とは冷酷無比と印象づけられている。しかし多くの役人の中には温情をもって政治にあたった者もまた多く、前に述べた早川八郎左衛門のように名代官と慕われているものもある。
 町内にも滝本及び宮内に代官塚が建てられている。文化12年に之を建てたと記されて、寛政末から文化の初めに勝北の地を支配していた代官を祀ったもので、善政を布いた代官の頌徳碑(しょうとくひ)と伝えられている。
 碑面に 御代官 池田仙九郎 重田又兵衛様塚と刻まれている。建碑の経緯はさだかでないが、役人と百姓の温かいつながりが感ぜられる。(文:『奈義町史』)(2024-年6月14日撮影)

御代官 池田仙九郎・重田又兵衛様塚の続きを読む

名代官 早川八郎左衛門正紀(久世)

2024-6-13hayakawadaikan4.jpg

早川代官の経歴と施政の大要
 代官のうちで早川八郎左衛門正紀(まさとし)は名代官と仰がれ、久世ではいくたの遺徳をしのぶ物語が伝えられている。
 早川が久世を支配したのは天明10年(1787)6月から享和元年(1802)10月関東地廻代官に転ずるまでの14か年であった。この在任年数は数多い代官のなかでも群を抜く、すなわち他の代官では初代窪島の9年、平岡・武島の7年、藤本の5年が長い方で、16名のうち半数は1~2年で交代している。早川に対する管下百姓たちの敬仰の念は、もとより早川の他と異なる施策に対するものであるが、その施策の実現は1~2年の在任では不可能で、この長期在任を基盤にはじめて可能であったということができる。
 しかし、長期在任必ずしも名大官としての施策を生むとは限らない。代官にその人を得ること、教養と経験に富む代官にしてはじめて可能であることはいうまでもない。早川はその点でも秀れた代官であった。

名代官 早川八郎左衛門正紀(久世)の続きを読む

川柳公園で除幕式がありました。(久米南町)

2024-4-7senryu_sugiyama22.jpg

 2024年4月7日、岡山県久米南町にある川柳公園(泰西寺の奥の院・川柳公園)であった除幕式に参加して来ました。この川柳公園には、およそ300基以上の句碑があり、全て自然石で刻まれているそうです。句は地元柳人だけでなく、全国からの応募作や著名人のものも多くあります。
 当日は眩しいほどの青空の下、久米南町の副町長をはじめ教育長など関係者が集い除幕式が行われました。「㈱井戸屋」社長の従兄で津山市在住の杉山武明さんの句碑「稲を刈る初陣の孫従えて」と、津山市在住の「元津山市文化連盟会長」八木芙卯さんの句碑「わたくしの乾きに届くひと雫」です。どちらも素敵な句ですね。

川柳公園で除幕式がありました。(久米南町)の続きを読む

津山商工会議所女性会2月例会で淡路島日帰りバス旅行

awajishima_jyoseikai.jpg

 2024年3月7日津山商工会議所女性会の2月例会(親睦委員会主催)で、淡路島日帰りバス旅行に参加してきました。午前9時津山を出発して一路淡路島へ向かい、昼食会場のオーベルジュフレンチの森にて昼食をいただき、昼食会場から淡路島の沿岸のリゾート施設を眺めながら約30分後、目的地の水仙の丘へ到着、早速清々しい空気を胸一杯吸いながら水仙の丘を散策。その後、すぐ近くの伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)に参拝。途中から語り部の方がバスの中で絵本を見ながら説明をしてくださいました。伊弉諾神宮では神社の由来や君が代、さざれ石の由来、神宮参拝の作法など多くの事を学ばせて頂きました。そして、たこせんべいの里、淡路ハイウエイオアシスでお土産を買い込み帰路へ着きました。皆さん、大変楽しい旅で大喜びでした。

津山商工会議所女性会2月例会で淡路島日帰りバス旅行の続きを読む

史跡 大谷・定古墳群(真庭市)

2021-5-12otanikofun14.jpg

 2021年5月12日「第1回さららバス研修 古道をたずねる」北房方面~多和山峠~の研修に参加してきました。大谷1号墳遺物見学の様子を記しておきたいと思い組んでみました。


 真庭市上中津井の地では7世紀に入ってから、定東塚・定西塚・定北・大谷1号・定5号・定4号という6基の横穴式石室の方墳が次々と築かれました。これらを総称して大谷(おおや)・定(さだ)古墳群といいます。
 6基の各古墳はいずれも、石垣状の列石を有する段構造の方墳であることを大きな共通点としており、技術的に一連の系譜上にあることを示しています。
 出土遺物をみても、大谷1号墳の環頭大刀や定東塚古墳の全製品に代表される豪奢な副葬品などから、大谷・定古墳群の被葬者がこの地域を治めていただけの首長にとどまらない、かなり広域に影響を持つ特殊な立場の人物であったことが十分に考えられます。
 7世紀代という、この時期の古墳が特定の地域に集中し、連綿と築かれるというありかたは西日本でも大変珍しく、そのことから大谷・定古墳群は国の史跡に指定された。真庭市教育委員会(文:現地案内板より)

史跡 大谷・定古墳群(真庭市)の続きを読む

2023「津山まつり(徳守神社)」

mikoshi2023-51.JPG

 津山市を代表する「津山祭り(徳守神社)」が2023年10月22日執り行われました。汗ばむほどの陽気に恵まれた津山市内を、総勢約160人が1.1トンの重さの神輿を担ぎ、市街地を練り歩きました。また、催し会場の奴通りでは「田町奴保存会」による奴踊り、「津山情緒保存会」による津山民謡、「備州岡山城鉄砲隊」による火縄銃古式砲術発砲演武などが披露され、賑やかなお祭りとなりました。
 また、催し会場に各町内のだんじり20臺が勢ぞろいした姿は圧巻でした。その後、催し会場でのイベントが終わると順番に威勢よく飛び出して行っただんじりは、商店街を駆け抜けた後、各町内会を巡りました。
 このほか、徳守神社境内で行われた、雅楽の演奏や琴の演奏などの印象深い奉納演舞もあり、大いに盛り上がったお祭りとなりました。関係者の皆様長時間にわたりお疲れさまでした。

2023「津山まつり(徳守神社)」の続きを読む

桑原大師堂(加茂霊場本部)(加茂郷88カ所霊場38番札所)

38ban1.jpg

 2022年10月20日、津山市加茂町桑原6班地内にある、桑原大師堂(加茂霊場本部)(加茂郷88カ所霊場38番札所)を訪ねてきました。ここは加茂霊場本部でもあります。桑原の大杉への坂道の三叉路付近にあり、木造瓦葺の新しい立派な建物です。道路より少し上に位置していて、入り口には大きな木が植えられています。ご本尊は弘法大師です。(先達:木元林造さん)(2022年10月20日撮影)

桑原大師堂(加茂霊場本部)(加茂郷88カ所霊場38番札所)の続きを読む

河井観音堂(加茂郷88カ所霊場14番札所)

14ban5.jpg

 津山市加茂町河井の河井観音堂(加茂郷88カ所霊場14番札所)を訪ねてきました。民家より100m程入った山の中にあるのですが、木元さんに案内して頂かないと中々わかるところではありませんでした。ここは、観世音菩薩がお祀りされています。また、鶏の鎮魂碑もあるそうです。
(先達:木元林造さん)(2022年10月4日撮影)

河井観音堂(加茂郷88カ所霊場14番札所)の続きを読む

2023 横野滝(二の滝)

2023yokono18.jpg

 友人が来たので、津山市横野にある横野二の滝までドライブに行ってきました。残念ながら、そうめん流しはお休みで食べれなかったのですが、緑に囲まれた横野滝はシンとしていて厳かでした。
 ここは津山市の北、市街地から約20分(16km)の、横野川の上流に一の滝二の滝三の滝があり、三の滝の上流には、四の滝があるそうです。また、夏には二の滝にある「紅葉亭」のそうめん流しは有名です。秋の紅葉もまた素敵な所です。(2023年6月15日撮影)

2023 横野滝(二の滝)の続きを読む

西知和大師堂(加茂郷88カ所霊場11番札所)

senro11ban13.jpg

 西知和大師堂は、加茂町知和西知和にあり、内田さん宅の裏側の線路を渡った所にあります。ここは、内田さん宅の宅地内を通らせていただかなくてはならないので、木元さんがお手配くださいました。線路を渡らないといけない場所なので少し緊張しました。お祀りしてあるのは毘沙門天です。
 この日は、運よく内田さんが居られて案内していただき無事にお詣りすることが出来ました。(先達は木元林造さん)(2022年10月4日撮影)

西知和大師堂(加茂郷88カ所霊場11番札所)の続きを読む