嵯峨山城跡とは

▲津山駅では雛めぐり期間中(2011年3月5・6日)、臨時列車「JRひなまつり列車」が運行されました。新見駅=岩山駅=中国勝山駅=美作千代駅=津山駅。(10:42発のお内裏様号と14:15着のお内裏様号)華麗な踊り連がお出迎えとお見送りをしてくださいました。
塩手池の礫岩と化石(2010.12.25)
塩手池周辺には幅5m長さ100mにわたり基盤となる帯黒色の礫岩層(れきがん)がみられます。この層には海生の貝化石などが多く含まれています。これは今から約2000万年前の地質時代新第3期中新世に、津山盆地が古瀬戸内海と呼ばれる海だったためです。その内海には海生の貝が生息していただけではなく、パレオパラドキシアやヒゲクジラなどが泳ぎまわっていました。現在、礫岩塊群が露出する一帯は公園として整備されています。(津山市市場161-1番地)
記念物(天然記念物)【文2008津山市教育委員会発行:津山市の文化財より】
津山城を築城した森忠政は信州川中島の海津城から慶長8年(1603)に美作国1円18万6500石を与えられ、美作に入封しました。そして翌慶長9年(1604)に津山城築城を開始したのです。まさに関ヶ原以降の大名の転封、それに伴う新規築城という全国的な大きな流れに乗ったものです。
参考までにこの時期の外様大名による築城例をあげると、加藤清正の熊本城、細川忠興の小倉城、加藤嘉明らの伊予松山城、池田輝正の姫路城、藤堂高虎の伊賀上野城、伊達政宗の仙台城など日本を代表する城があり、津山城もそれらの城と匹敵する規模の城郭でした。さらに、津山城の築城は元和2年(1616)まで続くのですが、これは元和元年の武家諸法度の公布により築城を終了し、一応津山城の「完成」としたものと思われます。(津山城百聞録より抜粋)
▲津山城の石垣。扇の勾配(65度前後が人の目からみて一番美しいといわれている。)
▲冠木門(公園になった為石段を作ったのですが、本当の姿は左右に防備のための石垣があったらしい)
「建武のころ(1334~1337)、すなわち足利尊氏が室町幕府を開いた頃、美作国の西北条部に鶴山という山があり、別名小篠山とも呼ばれていた。その南に留川(戸川)という清浄な川があった。付近には戸川町や林田町があって、毎月の一日と十五日には戸川の市と呼ばれる市がたち、美作国中の人々が群集を成して集まり、さまざまな商品の売買をした」(森家先代実録より)
ここでいう戸川町は吉井川の河原、あるいは川に面した安定し土地と考えられ、その町場を眼前にして、鶴山の中腹には福聚山妙法寺があり、その門前には門前町があったといわれています。
伝承では、妙法寺は津山城の「柳の檀」にあったとされています。この「柳の檀」というのは三の丸の段を指しており、鉄砲櫓の下の付近に大きな柳の木があったとされています。また、城内の煙硝蔵がった付近、現在の鶴山館が位置するあたりも妙法寺の院内であったと伝えられています。
そして、煙硝蔵の一段上の段には大きな桐の木があったことから「桐の檀」と称され、そこには鶴山八幡宮があったと伝えられています。また、戸川町には、後に城下の総鎮守となる徳守大明神が祭られていました。
慶長9年(1604)春、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い鶴山を城地と定めた森忠政は、まず「鶴山」の名称を「津山」改めたとといいます。そして、その年の秋には手斧始めとして徳守神社を造営し城下町の総鎮守としました。(津山城百聞録より抜粋)
岩角さん宅(津山市上野田322-3)
子どもが喜ぶから飾ったのが最初だそうで、今ではご近所の方が催促されるそうです。突然の訪問にも笑顔で応対くださいましてありがとうございました。
田邊城(年末砦)
田邊城は津山市中北上と宮部下の境界線上の、標高231米の山上、600米にわたって砦は構築されている。
この城の縄張りは、縄張図でわかるように馬場曲輪をふくむ19ヶ所の曲輪から成立ってている。主郭は東西が22米、南北17米の長方形で周囲を土塁で囲んでいる。
主郭の東側に曲輪があり、その曲輪の東側に二筋の堀切が掘られ主郭の備えが堅固となっている。二の郭は三ヶ所の曲輪から成り、中心になる曲輪が東西43米、南北が18米あり、両側に小曲輪を一段ずつ持っている。三の郭には4段の曲輪があり、中心になる曲輪が18米の正方形を成し、西側に三段の小曲輪が続き、四の郭えと通じている。四の郭は中心になる曲輪が東西24米、南北14米の長方形をなし、北西の端に大きな井戸を掘っている。井戸の直径は7米もあり、深さは長い年月、土・木の葉で埋まって不明である。都合5カ所の郭からこの城は成っており、それどれの曲輪に3米から5米の切岸を備え、切岸の下に犬走りが取巻き、互いに連絡がとれるようになっている。
その他、掘切り.のある箇所から南側と北側に堅堀が下がっている。東の端に東西200米、南北最大幅75米の馬場と呼ばれている平地がある。以上が田邊城の概要である。(情報提供:田邊九吾)
この記事はイベント紹介記事「INCN 親善大使イルカが描く絵本の原画展(2010年4月~6月)」に移動しました。
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2010年4月25日(日)~6月27日(日)
M&Y記念館では、一昨年の岩合光昭写真展、昨年の真珠まりこさんの「もったいないばあさん」の絵本原画展に引き続き、本年度の企画展として、歌手であり、IUCN親善大使、津山市市政アドバイザーでもあるイルカさんの絵本原画展を実施します。
今回の原画展は、イルカさんの絵本「真冬の天使」の原画を中心にイルカさんの描く世界を楽しんでいただけます。
また、5/23(日)には、イルカさんのサイン会も予定しています(50名限定)。
入館料=500円(大人、2F常設展への入場も可能です。)
2010年4月 25日(日)~6月27日(日)
M&Y記念館では、一昨年の岩合光昭写真展、昨年の真珠まりこさんの「もったいないばあさ ん」の絵本原画展に引き続き、本年度の企画展として、歌手であり、IUCN親善大使、津山市市政アドバイザーでもあるイルカさんの絵本原画展を実施しま す。
今回の原画展は、イルカさんの絵本「真冬の天使」の原画を中心にイルカさんの描く世界を楽しんでいただけます。
また、5/23(日)には、イルカ さんのサイン会も予定しています(50名限定)。
入館料=500円(大人、2F常設展への入場も可能です。)
もしもし奥さんですか、私は警務官の小暮です。旦那さんからの伝言をあずかっているので伝えます。胡瓜を大事にしてくれとのことです。失礼します」受話器から「はい・・・・・はい・・・・すみません」震えるようなか細い声が聞こえた。
伝言は、破局をを前にした若い自衛官の唯一良心の発露のようでもあり、被疑者の妻の弱々しい答えはなんとも憐れを誘い、読み手に余韻を抱かせる。
小暮は、罪を憎んで人を憎まず、その目を犯罪の側面に対してじっと注ぐのである。そこには得も言われぬ温かさがあった。
「警務官小暮孝」なかなか読ませるミステリーファン必読の短編四話収録。
(フィクション)
ミステリー作家
ペンネーム小暮孝(61)昭和24年3月14日美作市生まれ
自衛官として全国各地を回った後、34年近く津山に住んでいる。
趣味はテニス、盆栽(山野草)
現在は悠々自適
人間味のある人生や
家族の愛について書いている。
警務官の本は面白いんじゃなないの?と言われ書き始めた。
津山市在住のペンネーム、小暮孝が世に出すミステリー小説「警務官、小暮孝の事件簿」
内容は、日夜、日本の安心、安全のため活躍する自衛官達、彼等もまた人の子、時に犯罪を起してしまう。そんな彼等を罪を憎んで人を憎まずの精神で次々に事件を解決してゆく小気味よさ。
表紙には、N山の狼岩より月に向かって雄叫びをあげる狼が一匹。今迄になかったキャラクター警務官、小暮孝の誕生である。短編が四話収録で日本文学館より発売された。
フィクション (fiction) とは、架空の物事。または、真偽が定めら得ていない伝承や推論なども広義では含まれる。
ノンフィクション (Non-fiction) とは、史実や記録に基づいた文章や映像などの創作作品。また、その形態。ドキュメンタリーやインタビューなど多肢にわたる。