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津山郷土博物館特別展「ノスタルジア ー少し昔の津山ー」

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2023年11月4日~12月17日まで津山郷土博物館3階展示室にて、「令和5年度津山郷土博物館特別展ノスタルジアー少し昔の津山ー」が開催されました。
 津山郷土博物館で収集、把握している津山地域関連の古い写真約70点をいくつかのテーマに分けてパネル展示し、少し昔の津山の姿をご紹介します。
 上記写真に写っている津山駅(現津山口駅)は、岡山-津山を結ぶ中国鉄道の駅として、明治31年(1898)に開業し、大正12年(1923)に、現津山駅の開業に伴い津山口駅となりました。津山町内池田貸自動車部の自動車(1918年型、Over land Model 90)が写っています。駅名が「津山駅」となっており、大正8年~12年の写真でしょう。(文:津山郷土博物館特別展「ノスタルジア ー少し昔の津山ー」より)(2023年11月19日撮影)

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和蘭堂の仲良しひな様 2025

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 2025年3月1日から津山市内で「津山城下町雛めぐり」が、2025年3月1日(土) 〜 2025年4月3日(木)まで行われています。中心市街地では「おかみさんの雛まつり」、城西地区では「城西雛めぐり」、城東地区では「城東雛めぐり」となっており各エリアで開催されています。
 ここ和蘭堂では、格子越しにお内裏様やおひな様、官女などが個性あふれる宴会をしていて「こういった飾り方もいいなぁ~」と楽しく拝見させていただきました。

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レアンドロ・エルリッヒの作品《まっさかさまの自然》

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 岡山県北エリアで開催された「森の芸術祭 晴れの国・岡山」(2024年9月28日~11月24日開催)
奈義町の屋内ゲートボール場「すぱーく奈義」に展示されていたレアンドロ・エルリッヒの作品《まっさかさまの自然》が、特別に2025年1月10日~2月2日まで延長公開されているとのことで、1月13日に奈義町の屋内ゲートボール場「すぱーく奈義」へ出かけてきました。
 屋内に入るとすぐ森に囲まれた中に吊り橋が掛けられていて、下をのぞくと、空の上から森を見ているような不思議な感じがしました。実際は、天井から吊るされた木々が下の鏡に映りこみ、周りには本物の木々が植えられていました。

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美和山古墳群現地見学・説明会

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 2024年12月21日(土)13:30~、ボランティアガイド歴史セミナー「美和山古墳群現地見学・説明会」がありました。講師は、郷土史家の橋本惣司さんです。
 卑弥呼邪馬台国(弥生時代末期)から、古墳時代に入って生まれたヤマト王権初期のころに築かれたと言われる美和山古墳群の現地見学・説明会。古墳の時代背景と立地、古墳の構造、葺石・ハニワの話、埋葬施設と埋葬者、副葬品、王位継承の儀式など、又、謎の4世紀と言われる古墳時代前期の興味ある話を聞くことができました。また、このセミナーは、二宮地区のボランティアガイドを養成するためのものだそうです。

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津山市昭和町の国道沿いの「安黒一枝翁之碑」

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 津山市大篠にある、最後の大庄屋安黒家、一族から出た安黒一枝は、津山市の吉井川右岸地域の開発に尽力した。津山市昭和町の国道沿いに「安黒一枝翁之碑」が建てられ顕彰されています。


 安黒一枝の日記は、明治32年から昭和38年まで日記帳48冊と大学ノート23冊、その他の綴り14冊が残されている。これらは故小谷善守氏の遺族が文化財センターへ寄贈された資料の中に含まれていたものである。生前故人の日記を紹介して欲しいとの要請を受け、今回、第1回目として昭和5年~昭和9年までの日記から大谷区画整理組合に関する記述を取り上げる。
 安黒一枝は明治12年東北条郡大篠村に安黒盛人の長男として生まれる。父盛人は、明治18年東北条郡第3戸長役場の戸長となり、明治24年、高田村の村長に就任する。その後、津山中央銀行監査役などを努めた。
 一枝は、明治43年大篠産業組合を創立し、常務理事となる。その後、妹尾銀行、津山貯蓄銀行、中国信託会社、作備銀行、山陽銀行、美作木材酒造、津山商事などの役員を歴任する。閑谷黌では大原孫三郎と同窓である。
大谷土地区画整理組合
 昭和4年津山町から津山市に移行する中で、久山、安尾、井汲、高岡、橋本、田口、西川 柴田、平井らと毎日のように熟談を重ね区画整理組合を運営して行った。
 最初に「川向土地」の話が出るのは大正15年。次に昭和6~8年にかけて準備が進められ、昭和8年大谷地区土地区画整理組合が創設。昭和9年から本格的に事業が開始される。現在の大谷地区を当時は「川向」と呼んでいた。
(文:年報津山弥生の里16号 大谷土地区画事業の一側面~安黒一枝の日記から(1)~ 岩本えり子)

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新畑毘沙門堂(加茂郷88ヶ所霊場第61番札所)

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 新畑毘沙門堂(加茂郷88ヶ所霊場第61番札所)は、加茂町中原新畑(にいばた)地内にあり、加茂川の東西橋を西に越えて坂を上がった山すその新畑公会堂の横にあります。本尊は毘沙門天です。木造瓦葺き、白壁、道路そばにあります。
(先達は木元林造さん)(2022年11月10日撮影)

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第46回 津山納涼ごんごまつり in 吉井川の花火大会

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 2024年8月4日(日)「第46回 津山納涼ごんごまつり in 吉井川」が津山市吉井川河川敷周辺で執り行われ、県下最大級の打ち上げ花火が夜空を彩りました。
 当日はとても暑い日となりましたが、花火直前に雨が降り、花火のころには暑さも和らぎ過ごしやすくなり、花火の観覧にはもってこいでした。河川敷では
ライブやステージイベントが盛りだくさんで、大勢の方が集まり身動きが取れないほどの人込みでした。また、今年は偶然出会った「エイコ美容室」社長のご厚意でビルの屋上で観覧させていただきました。手振れの多い画像ですが花火の様子を載せてみます。

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再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿2)

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 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)からの続きです。
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

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再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)

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 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿)
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

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御代官 池田仙九郎・重田又兵衛様塚

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 幕府の出先である代官が苛歛誅求(かれんちゅうきゅう)を行なったり、凶作や飢饉に際して救助の手段をとらなかったりの場合が多くあった為か、代官とは冷酷無比と印象づけられている。しかし多くの役人の中には温情をもって政治にあたった者もまた多く、前に述べた早川八郎左衛門のように名代官と慕われているものもある。
 町内にも滝本及び宮内に代官塚が建てられている。文化12年に之を建てたと記されて、寛政末から文化の初めに勝北の地を支配していた代官を祀ったもので、善政を布いた代官の頌徳碑(しょうとくひ)と伝えられている。
 碑面に 御代官 池田仙九郎 重田又兵衛様塚と刻まれている。建碑の経緯はさだかでないが、役人と百姓の温かいつながりが感ぜられる。(文:『奈義町史』)(2024-年6月14日撮影)

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