取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「春」で検索した結果,386件の記事が見つかりました。

津山城(鶴山公園)の石垣についてその1

その1その2その3その4その5

mon.jpg

▲冠木門(公園になった為石段を作ったのですが、本当の姿は左右に防備のための石垣があったらしい)

「建武のころ(1334~1337)、すなわち足利尊氏が室町幕府を開いた頃、美作国の西北条部に鶴山という山があり、別名小篠山とも呼ばれていた。その南に留川(戸川)という清浄な川があった。付近には戸川町や林田町があって、毎月の一日と十五日には戸川の市と呼ばれる市がたち、美作国中の人々が群集を成して集まり、さまざまな商品の売買をした」(森家先代実録より)

ここでいう戸川町は吉井川の河原、あるいは川に面した安定し土地と考えられ、その町場を眼前にして、鶴山の中腹には福聚山妙法寺があり、その門前には門前町があったといわれています。
伝承では、妙法寺は津山城の「柳の檀」にあったとされています。この「柳の檀」というのは三の丸の段を指しており、鉄砲櫓の下の付近に大きな柳の木があったとされています。また、城内の煙硝蔵がった付近、現在の鶴山館が位置するあたりも妙法寺の院内であったと伝えられています。
そして、煙硝蔵の一段上の段には大きな桐の木があったことから「桐の檀」と称され、そこには鶴山八幡宮があったと伝えられています。また、戸川町には、後に城下の総鎮守となる徳守大明神が祭られていました。

慶長9年(1604)春、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い鶴山を城地と定めた森忠政は、まず「鶴山」の名称を「津山」改めたとといいます。そして、その年の秋には手斧始めとして徳守神社を造営し城下町の総鎮守としました。(津山城百聞録より抜粋)

津山城(鶴山公園)の石垣についてその1の続きを読む

山桜、彼岸花、くちなしが咲いています。

sakura_2.jpg800.jpg
▲毎年春先には咲く山桜がなんと9月の彼岸に咲いています。
お彼岸のお墓参りに行って、はたと正面を見るとなんと、山桜が咲いているではありませんか。
あまりにも可愛いので撮影してきました。異常気象で狂い咲きでしょうか?くちなしの花も、彼岸花と一緒に咲いています。稲刈りが終わった田んぼには白鷺がわんさかいました。
それにしても、この桜いつまで咲くのか楽しみです。

山桜、彼岸花、くちなしが咲いています。の続きを読む

ホルモンうどん研究会総会での決意表明!

800_1.jpg
津山ホルモンうどん研究会に頂いた各表彰状が披露されました。(向かって右から)
中国地方地域ブランド評価委員会=中国地方 春のとっておきの地域 認定証(津山の鉄道文化遺産とホルモンうどん岡山県津山市)上は春の季節にふさわしい景色と食を有していることから中国地方春のとっておきの地域として認定します。(H22.3.2) 
岡山県美作県民局(局長 角田保彦)=貴団体は市民と行政が力を合わせて社会づくりを進める協働の取組を通し「新おかやま夢づくりプラン」の推進に多大の貢献をされましたのでその功績に対し表彰します。(H22.6.9)
岡山県観光連盟(会長 石井正弘)=あなたは観光事業の重要性を深く認識され地域特産品の開発に努められ多年にわたり観光おかやまの発展に尽くされた功績は誠に大きく他の模範となりますので表彰します。(H22.5.26)

ホルモンうどん研究会総会での決意表明!の続きを読む

ふるさと資料館「温故懐館」特別展

14.jpg
▲津山市総社の小林敏隆さんのお宅の、ふるさと資料館「温故懐館」で春の特別展が5月1日~5日まで開かれました。
当日は晴天で鯉のぼりも勢いよく泳いでいるなか、大勢の園児やお年寄りが来られて交流を深めておられました。
小林さんはとてもユニークな方で、何でも自分で作ってしまうのだそうです。ユニークな看板を見よう見まねで作ったり、ユニークな収集物も数多くあるのです。これらを年に一度だけ一般の方に開放して見せてくださるのです。(2010.5.1取材)

ふるさと資料館「温故懐館」特別展の続きを読む

ふるさと資料館「温故懐館」特別展(2010年5月)

温故懐館正面
▲津山市総社の小林敏隆さんのお宅の、ふるさと資料館 「温故懐館」で春の特別展が5月1日~5日まで開かれました。
当日は晴天で鯉のぼりも勢いよく泳いでいるなか、大勢の園児やお年寄りが来られて交流を深めておられました。
小林さんはとてもユニークな方で、何 でも自分で作ってしまうのだそうです。ユニークな看板を見よう見まねで作ったり、ユニークな収集物も数多くあるのです。これらを年に一度だけ一般の方に開 放して見せてくださるのです。(2010.5.1取材)

ふるさと資料館「温故懐館」特別展(2010年5月)の続きを読む

史跡 美作国分寺跡

史跡美作国分寺跡とその特徴
  美作国分寺は、総国文寺となる東大寺と伽藍配置が極めてよく似ています。また、寺域(お寺の範囲)も二町(約220m)四方で、国分寺の基本的な規模に一 致するといわれています。その上、創建時に屋根に葺かれた軒瓦の文様は、平城宮で用いられた瓦の文様と瓜二つという特徴があります。
  美作の国は、713(和銅6)年に備前の北部6郡を分割してつくられた新しい国で、その国府(国の中心の役所)は津山市総社に置かれました。美作国分寺の特徴である都との密接な関係は、そういった事情を反映しているかもしれません。
  奈良時代中ごろに建立された美作国分寺は、その後変遷を重ねながら、平安時代末には衰退したようです。
  美作国分寺と対になり建立された美作国分尼寺は、発掘調査の結果、国分寺の西方約500mのところに存在していたことが明らかになりましたが、伽藍配置等の詳細はまだ分かっていません。

 平成16年2月27日国指定重要文化財(史跡)指定

2009.9.2
史跡 美作国分寺跡の続きを読む