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取材記事内を検索ワード「後醍醐天皇」で検索した結果,80件の記事が見つかりました。

町川神社(奈義町)

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 町川神社は、後醍醐天皇が隠岐へご遷幸の時、後を追ってこられた側室の広橋の局が町内西原で追治皇子を出産され、その後皇子の住まわれる御所を現在の地に造営したのが起こりといわれています。
 本殿は桧皮葺中山造様式(正面入母屋妻入、背面切妻)の建築で、数段の斗供によって屋根を支え、正面に唐破風の向拝を取り付け、軒下には手の込んだ彫刻を施しています。向かって右の扉には皇室の紋章の16葉の菊、向かって左の扉には皇室より下賜された57の桐の紋章を配しています。
明和6年(1769)の建立で、寺社では町内最古の建造物です。
拝殿の前の2基の灯籠は、宝暦3年(1753)氏子中の寄進で、本殿前の「御所宮」の神額は明和8年(1771)出雲大社宮司千家尊徳氏より寄贈されたものです。
奈義町教育委員会 昭和53年12月1日町指定史跡 (文:現地案内板より)(2018年1月20日撮影)

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南朝作州七忠臣竝忠死者二十人総忠魂碑(久米南町)

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 2020年9月13日・14日と浄土宗開祖・法然上人生誕地である栃社山 誕生寺(岡山県久米郡久米南町里方808)の駐車場に建てられている記念碑を訪ねてきました。
 正面「南朝作州七忠臣竝忠死者二十人総忠魂碑」、側面左「樞密院副議長從位勲一等男爵平沼騏一郎謹題」、側面右「民部介菅原尚忠竝室法然上人叔母君秦氏彰徳」が、誕生寺境内に昭和9年4月3日に建立され、その後、平成7年に第二駐車場に移設されたそうです。若い住職にお伺いすると「詳しくは存じ上げませんけれど、碑文を保存しております。」と碑文の写しをくださいました。

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洗顔清水周辺の景色(種)

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 津山市種にある洗顔清水周辺の景色はいつ見ても心が癒されます。後醍醐天皇が通られたという説に納得してしまいます。
 この道は、毎年「さらやま時代まつり」のイベントが行われる所でもあり、歩くと道の両脇に季節が感じれます。山々の景色、また、野菜や庭先のお花など自然がいっぱいで大好きな所です。(2020年7月25日撮影)

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後醍醐天皇が渡った「姿見橋」

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 出雲街道は、徳川時代に参勤交代の諸大名が、華々しい大名行列の絵巻物を繰り広げた道筋であり、その昔は官道と呼ばれ、都から石見・出雲地方に文化を運んで作州を東西に貫いた重要路線であった。
また、この道筋は、元弘の乱(1331年)には、後醍醐天皇が北条高時のために至上の御身を、遠流の鳳輦に委ねられ、隠岐の狐島に遷幸の砌、史蹟をとどめられた哀史の道でもある。
 元弘の乱後(1332年)、後醍醐天皇は播州今宿より杉坂峠を越えて梶並川の東岸「火の神」の渡し場に着かれた。この渡し場から川を渡り、渡里・上相を経て、岡の高塚山南麓の丘上に、間山の高福寺の寺領であった草庵を仮の行在所と定められ、仮寝の夢を結ばれたということである。
 翌朝、天皇は行在所をご進発にあたり、その南にある池畔の野橋の上に、暫くご駐輦になり、幾度かの敗戦に、おやつれになった龍顔を、池水に写された。
 この古事を伝えて、後にこの橋を「姿見橋」と名付けたとされている。
 この橋は、昭和47年の構造改善事業のために取り壊されたが、後醍醐天皇をしのび、史蹟碑が建てられ現在に至る。(木村増夫著 『勝央今昔滝川のほとり』より)
平成9年4月 岡地区史蹟保存会

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石造無縫塔(加茂町塔中)県指定重要文化財

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石造無縫塔(津山市加茂町塔中) 県指定重要文化財
 無縫塔とは、鎌倉時代に禅宗とともに中国大陸から伝えられた石塔で、基礎の上に卵形の塔身が置かれており、卵のように縫い目のない作りから無縫塔または卵塔とも呼ばれています。基礎と塔身の間に柱状の笠と中台をもつ複雑な形状のものを重制、それがないものを単制といいます。禅宗寺院の僧の墓にしばしば用いられています。
  この無縫塔は、津山市加茂町塔中にある文殊堂の裏手にあり、隣の宝篋印塔とともに県の重要文化財に指定されています。かつてこの場所には、天龍寺(京都市)を本山とする末寺があったとされています。総高123㎝で、八角形の基礎、笠、中台の上に塔身を置く重制の無縫塔です。銘文はありませんが、その様式から室町時代初期に建てられたものと考えられます。宝暦12(1762)年に天龍寺がこの地を調査して、無縫塔を夢窓国師のもの、宝篋印塔を開山宝山和尚のものと認定したということが脇に建てられた石碑に刻まれています。

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高貴山 奥之院 宗傳寺(美咲町)

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第十五番 高貴山奥之院 宗傳寺
 宗傳寺は開創盛時、七間四面の本堂をはじめ七堂伽藍が整い、支院は七十二を数えた作州の名刹であります。弘仁六年(815)弘法大師御年四十二才の行脚の折、美作和気郷に仏法弘通の霊地があるのを見定められ、国家鎮護の祈願所として一宇を建立、行基菩薩の御作開眼仏なる六観世音像の安置された霊験あらたかなる聖地であります。
 当山鎮守「高龍権現」は弘法大師入唐の時、育王山清瀧寺鎮守高龍権現に誓願、帰朝の後当山に勧請されたものと作陽誌にあります。元弘二年(1332)後醍醐天皇隠岐にご遷幸の途次、当山にお立ち寄りになられたと伝えられており、南麓には「古御帝」の遺跡があります。
 文安元年(1444)尼子の兵火に罹り堂塔悉く焼失し、唯塔頭「自性院」(現華蔵寺)のみ南麓に下りて草庵を結び、難を免れた聖観世音菩薩を本尊とし、「高貴山華蔵寺」と号して法灯連綿と継承しております。

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史跡 院庄館跡発掘現場

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 2019年8月8日立っているだけでくらくらするような炎天下、院庄にある作楽神社東側の発掘現場にお邪魔してきました。ここは住宅地になるそうで、その前に発掘調査がなされていました。現場で作業されているみなさんご苦労様でした。

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作楽神社 古筆感謝祭(神戸)

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 2019年1月14日13:00~、岡山県津山市神戸にある作楽神社の境内に於いて、達筆であった後醍醐天皇と児島高徳にあやかり、古筆感謝祭(筆まつり)が行われました。
地域住民の方々が綺麗に洗った使い古した筆を持参して神事の後、とんど行事と合せて焼却しました。

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正守の土居家のお墓(下田邑)

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 土居氏は河野氏から分かれた豪族で、河野水軍の系統をひき、伊予の国から西瀬戸内海では相当な力を持った勢力であったようである。南北朝期には南朝方に与して、後醍醐天皇から綸旨がくるまでの力を持っていたようである。その後も地頭領主級の豪族であった。それは河野水軍から出た村上水軍、河野氏から出た土居・得能両氏が力を合わせたことにもよると思われる。婚姻関係を見ても、それぞれ山城の城主、地頭級の家と結ばれ、中には権大納言の息女と結ばれている。311年間続いた土居氏も、長曾我部氏の四国統一、秀吉の四国攻めによって潰されていった。毛利氏を頼って神楽尾城まできたのが、土居の一族である。(文:『美作の中世山城神楽尾』より)
(2014年5月7日撮影)

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