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取材記事内を検索ワード「後醍醐天皇」で検索した結果,65件の記事が見つかりました。

2017年 さら山時代まつり

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 2017年11月12日津山市さら山地区一帯で「第20回 歩いてみんちゃい さら山 さら山時代祭」がありました。毎年行われる時代祭は雨で泣かされることもしばしばでしたが、何とか天気ももって午後には日差しもあり、ウォーキングするには好都合でした。カキ谷古墳~洗顔清水の約3.5kmですが、歩いているのは年配者が多かったようです。周囲の景色を愛でながらウォーキングをすると健康的かつロマンを感じまう。また、お腹いっぱいで良い事ずくめでした。さら山地区の皆様お世話になりました。
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観音様(津山市種)

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 津山市種地内県道449号線沿いに、後醍醐天皇が隠岐へ配流の際に立ち寄り洗顔したことから「洗顔清水」と呼ばれる所があります。そのすぐ上の道沿いに観音様がおられますが、いつ行っても綺麗なお花が供えられていて地区の人々に大切に祀られています。(2015年11月11日撮影)

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噫忠義桜十字詞之碑塔(作楽神社)

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噫忠義桜十字詞之碑塔 (前回取材:「作楽神社」と後醍醐天皇
 戦艦大和の建造者である海軍技術中将庭田尚三を会長とする忠桜会が、昭和46年4月18日に建設したものである。表面に「天莫空勾践時非無氾范蠡」と、後醍醐天皇御製二首および斉藤監物の七言律詩「題児島高徳書桜樹図」を、裏面に道家大門の和歌二首を記してある。(文:現地案内板より)

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【津山人】国学者 道家大門(旧津山藩士、万葉調歌人 1830-1890)

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 道家大門(ひろかど)は天保元年(1881、旧暦天保元年11月18日が西暦1831年1月1日にあたる)12月10日津山藩士遠藤浦右衛門正利の四男として生まれた。幼名弥作、のち助十郎、順と名乗った。伯父にあたる同藩津田七太夫文行は藩の料理番を務めていたが、津田家の長男真一郎は学問修行のため廃嫡、次男鉄次郎は早逝したため、従兄弟の大門が養子となって津田家を継いだ。一時期津田弥作儲美と称していたが、津田の本姓が道家であることを知り、文久元年(1861)に道家と改姓した。その後料理番より進み、慶應4年(1868)に御刀番、明治維新後に作事奉行となる。同年藩より国学修行を仰せ付けられ、平田鎮胤(平田篤胤養嗣子)に入門した。

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夢中山 幻住寺のさつき(美咲町北)

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幻住寺(げんじゅうじ)由緒(2017年6月4日撮影)
 昔、後醍醐天皇が幕府により隠岐島に流された。その道中、津山の院庄に一週間程滞在された。ある夜、夢枕に老僧が立ち、「私は西の方角にある髻山の僧です」といい、「ご落胆なさいますな」と励まし、「きっと救われましょう」といって消えた。天皇は翌朝目を覚まされ、供の者にこのことを話され、さっそく供の者を西方にあたる髻山(もとどりやま)に行かせたところ、古寺があり、昨夜の夢に出た僧が住んでいたという。(続きはこちらから)

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出雲街道を歩こう会「新庄宿」(レポートその2)

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2016年10月22日(土)第7回出雲街道を歩こう会(主催:出雲街道新庄宿町づくりの会・出雲街道勝山宿の会)があり参加して来ました。レポートその2は、嵐ヶ乢~新庄宿までです。秋の日、暑くもなし寒くもなしのハイキング日和で、ワイワイガヤガヤ賑やかに歩いてきました。後鳥羽上皇旧跡では、地元の方が甘酒を用意して待っていてくださり感激でした。また、しだれ栗の木にはビックリでした。

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北家と後醍醐天皇説(中北上)

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 出雲街道に沿って大きなお宅があるのでお尋ねしてきました。当主の北平也さんにお尋ねしたら、この北家はおよそ900年前から続いておられるのだそうです。当所北家はここから2kmほど東にあったそうですが、火災に遭い200年前に現在地に移って来られ、その後、約80年前に大修理をなさったそうです。向かって右隣には造り酒屋で北家の分家の北酒蔵があったとのことです。(2016年8月11日撮影)

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第19回歩いてみんちゃいさら山「さら山時代祭」

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2016年11月13日(日)午前9時~午後3時30分、第19回歩いてみんちゃいさら山「さら山時代祭」佐良山小学校、皿~種(カキ谷古墳~洗顔洗水)に行って来ました。ここ数年は雨が続いていましたが、今年はやっと晴れてくれて道中が暑くもなく寒くもなく快適に過ごせました。また、後醍醐天皇の配流をイメージした時代行列、ステージイベント、バザー、抽選会や餅まきなど、様々なイベントが催されました。またみんなが楽しみにしている屋台もたくさん出店していて楽しんで来ました。

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棚田暁山筆「伊能忠敬」 津山にやってきた伊能忠敬

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棚田暁山筆「伊能忠敬」㊤ー津山にやってきた伊能忠敬ー
 明治11年、西北条郡津山町元魚町(現津山市元魚町)に生まれた歴史画家・棚田暁山(たなだ ぎょうざん)は本名を梅吉といった。元魚町にあったという生家の場所や何を営んでいたこということは不明。少年期より古画や有職故実への関心が高く、上京して模写修復の技能を学んだ。
 この過程にあって当時歴史画の大家であった小堀鞍音の知遇を得て明治33年に入門。以後主に土佐派の大和絵の画風を学びつつ、鞍音の助手として古美術品の収集などにあたった。同門には安田靫彦らがいたが研鑚を重ねて各種の共進会などに出品、入選や褒章(ほうしょう)を受けた。
 昭和14年には号を暁山から真楯に改めた。戦時中、津山に疎開していて作品を残したがそれらには、この真楯という号がかかれている。師ゆずりの綿密な歴史考証にもとづいて緻密で迫真に富んだ歴史画を書いているが、先般、笠岡の竹喬美術館で開かれた「岡山の近代日本画展」には代表作の一つ「伊能忠敬」が出品されていた。(文: 竹内佑宜)(画:岡山県立津山高等学校蔵)

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「隠岐帝祭」表敬訪問をしてきました。

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2016年(平成28年)10月17日後醍醐天皇の流刑地隠岐島で恒例の「帝祭」が開催されました。同じ後醍醐天皇をテーマにして、「さら山時代祭り」を開催しているさら山時代祭り実行委員会の面々16名は、昨年時代祭りにご参加いただいた帝祭実行委員長松浦会長へのお返しの意味もこめて、16名の大部隊で隠岐島に降り立ちました。
 2年に一度行われる「帝祭」は鏡開き・餅撒きから始まり、子ども神輿や御所車行列、国賀ドント節踊り大会や抽選会、フィナーレは花火大会と盛り沢山の内容で開催されますが、当日は生憎の雨模様でいま一つの盛り上がりでした。
 イベントのオープンに先立って行われた今回初回の「後醍醐天皇サミット」には、地元西ノ島町を初め、大山町、琴浦町、津山市等が参加して、賑やかに開催されました。
 「隠岐の島」宣言も満場一致で採択され、今後も「後醍醐天皇」をテーマにしたサミットをいき長く継続していくことを、参加者一同で確認しました。

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