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中山神社の夏越祭がありました。

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2016年7月17日に一宮にある中山神社で恒例の夏越祭がありました。

民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。6月のものを「夏越の祓」、「名越の祓」(なごしのはらえ)または「夏祓」「夏越神事」「六月祓」などとも呼ばれ、12月のものを「年越の祓」と呼んでいる[9]。拾遺和歌集に「題しらず」「よみ人知らず」として、「水無月のなごしの祓する人はちとせの命のぶというふなり」という歌にも見える。

夏に挙行される意味として、衣服を毎日洗濯する習慣や自由に使える水が少なかった時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で、残りの半年を疫病を予防して健康に過ごすようにする意味があったのではと考えられている。またこの時期は多くの地域で梅雨の時期にあたり、祭礼が終わると梅雨明けから猛暑と旱(ひでり)を迎えることになるが、この過酷な時期を乗り越えるための戒めでもあった。(文:ウィキペディアより抜粋)

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美作国万灯会ー333年ぶりに甦るー 翔鶴・悠久・宴・深山

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「美作国万灯会(みまさかのくにまんとうえ)ー333年ぶりに甦るー 翔鶴・悠久・宴・深山 監修 山形楽」が、2016年7月2日(土)午後6時~9時(※雨天順延)が臨済宗妙心寺派 東海山本源寺に於いて執り行われました。
 「万灯会」とは、夕方から夜にかけて、数多くの灯明をともして、仏様や御先祖様を祀り、御供養する仏教法要の一つです。今からおよそ1270年前の奈良時代744年(天平16年)に、東大寺の前身の金鐘寺(こんしゅじ)というお寺で、万灯を灯したのが、日本に於ける万灯会の始まりとされています。
  津山に於いては、本源寺が森忠政公によって現在の場所に建立された年の慶長12(1607)年、5月3日に忠政公の奥方、お岩の方が亡くなり、本源寺にお祀りされました。
その年のお岩の方の初盆、旧暦の7月14日・15日に、桶屋町・吹屋町から本源寺のお岩の方の墓所まで、万灯が灯されました。そしてその翌年には、吉井川の川向うから墓所まで、津山の町中に灯明が灯されました。現代のように電気のない時代ですから、さぞ美しかった事と思います。

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岩井滝に行って来ました。(鏡野町)

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2016年6月26日の小雨が降る中を行って参りました。「岩井滝と名水100選・「岩井」
 中津河の山並を「通り岩」と称する安山岩が南北に連なり、鳥取県境まで約25㎞続いている。岩井滝は、通り岩の一部で岩盤が突き出て岩屋を形成し、不動明王が祀られており、数少ない裏見の滝の一つです。
 むかし、この地に住んでいた忠左エ門は、子宝に恵まれなかったので、岩井滝不動に願掛けをし、お告げによって「岩井」の水を21日間飲んで念願の女の子を授かり、美しく成長して養子を迎え、家業の木地挽(木工)によって長者となりました。
このことから、娘が生まれた7月10日を岩井滝祭りと定め、「岩井」の水は美と健康・子宝に恵まれる水として語りつがれています。
 なお、この場所は中津川山国有林で氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されております。
 鏡野町 上齋原」(文:看板より)
※ご注意:2016年6月18日(土)~7月10日(日) 車、徒歩通行可能(岩井滝まつりのため、ただし普通車のみ)詳しくは、鏡野町HPへ

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嵯峨用水にかかる水車(平福)

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2016年6月21日に水車を見たくて行って来ました。雨上がりの少し蒸し暑い日ですが、たんぼに植わった稲の清々しさにひとめぼれです。寛永9年(1632年)津山藩主森忠政が改修を命じたのが始まりとされていますのでおそらく、森忠政公も同じ風景を見ていたことでしょう。何百年も続いて来た風景にロマンを感じました。
(嵯峨井堰を源に、本線は小桁まで14k。二宮分2kを含めて全長16kに及びます。網の目のように張り巡らせた支線を含めればゆうにその倍はあろうかという、津山では最長の用水路です。)

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2016年、長法寺の紫陽花

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長法寺(ちょうほうじ)初夏の風情「紫陽花」
 明治6年津山城が取壊しになった時、城からアジサイの絵を描いた腰高障子を贈られたのを記念して境内に植え、現在は30種、約3000株が群生し、初夏の風情を求めて訪れる人の目を楽しませています。阿弥陀堂(説教堂)は、阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子がある。(2009年6月4日)(2010年の様子)(2015年の様子)(2016年6月9日、6月13日撮影)

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浅野家と義士の寺 台雲山 花岳寺(かがくじ)

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花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)。
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓所、義士墓所がある。浅野家、赤穂義士に関する宝物を展示する宝物館、義士木像堂には、大石家代々の持仏・千手観音を祀り、四十七士の木像を安置する。
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直公が浅野家菩提寺として創建した。元禄14年(1701年)、浅野長矩公による江戸城松之廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった。翌、元禄15年(1702年)赤穂義士による吉良邸討ち入りが起きた。(赤穂事件)その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。赤穂義士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂義士50回忌にあたり、大石主税と幼な友達であった龍野の藩儒藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた忠義塚が建立された。明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在山門は、赤穂市文化財に指定されている。(2016年5月5日撮影)

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備中松山城(高梁市)

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備中松山城跡(高梁市内山下)国指定史跡
 備中松山城跡は、高梁市にある山城です。江戸時代に建てられた天守閣が現在も残る城は全国に12ありますが、そのうち最も標高の高い場所にある城がこの備中松山城で、天守閣は臥牛山の峰の一つ、小松山の山頂標高約430mに建てられています。
 備中松山城跡がある臥牛山には、南北に延びる尾根上に中世から近世にかけて城が築かれていて、それら全体が国の史跡に指定されています。史跡指定地は、臥牛山に8ヶ所点在しています。また、天守閣、二重櫓、三の平櫓東土塀は国の重要文化財(建造物)に指定されています。

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立石家(津山市二宮)

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2015年9月26日(土)の立石家に於いて「観月とマンドリンの夕べ」が開かれた当時の昼間の様子です。当日夜は、今年8月に発足した「二宮の史跡と自然を 活かす会」の皆さんが地元住民に地元の良さを知ってもらい二宮地区を活性化させたいと、灯ろうで中庭に幻想的な雰囲気を作り出し大勢の方たちが楽しんでお られました。(2015年9月26日取材)

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Fukuyasu Okuda 展「青の世界」の後期展示

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Fukuyasu Okuda 展「青の世界」の後期展示が2016年6月5日(日) (10:00 〜17:00)棟方志功・柳井道弘記念館 (M&Y記念館)で行われています。
後期は「青の世界」と題し、奥田氏の好きな色の1つである「青」から連想される様々な形やイメージを、自由な発想で作品にしたものを展示いたします。
 食器、花器、茶器類などとは違った不思議な印象の作品群を、それぞれの人がそれぞれに感じ、想像し、楽しんでもらえる作品展です。休館日 :毎週水・木曜日、入館料 :一般500円、大学・専門学校生300円、高校生以下は無料
 あわせて津山市野村にある『ギャラリーふう』も訪問いただきたく思います。
 築80余年の古民家を改装したギャラリーでは、また当館の展示とは違った素敵なふだん使いのうつわなどを楽しんでいただけます。(2016年5月29日撮影)

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頼久寺(らいきゅうじ)庭園 (高梁市)

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頼久寺由来
天柱山安国頼久禅寺は、臨済宗永源寺派に属し、その草創は不詳であるが、暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。当時、中国より帰朝して備中備後路を巡錫中の寂室元光禅師(正燈国師)を迎請して、開山第一祖とした。後に永正年間(1504年)松山城主上野頼久公が大檀越となり寺観を一新し大永元年逝去したので、頼久の二字を加えて安国頼久寺と寺号を改称した。 尚、当山御本尊は、聖観世音菩薩で備中西国第五番の札所であり、昭和60年3月に開創された瀬戸内観音霊場第十三番の札所である。(2016年4月23日取材)

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