![津山の今昔を辿ってみました。(1)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/miyagawa-thumb-120x120-91196.jpg)
津山の今昔を辿ってみました。(1)
![鶴亀神社(津山市久米)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2014/11/tsurukame-thumb-120x120-91447.jpg)
鶴亀神社(津山市久米)
![明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/1-thumb-120x120-91748.jpg)
明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。
![アルネが出来る前の五番街附近](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/05/7-thumb-120x120-92087.jpg)
アルネが出来る前の五番街附近
![今(2015)から約20年~80年前の津山市内の様子](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/04/%E4%BA%AC%E5%BE%A1%E9%96%80%E5%89%8D_%E6%98%9402%28%E7%B4%8450%E5%B9%B4%E5%89%8D%29-thumb-120x120-93234.jpg)
「美作国万灯会(みまさかのくにまんとうえ)ー333年ぶりに甦るー 翔鶴・悠久・宴・深山 監修 山形楽」が、2016年7月2日(土)午後6時~9時(※雨天順延)が臨済宗妙心寺派 東海山本源寺に於いて執り行われました。
「万灯会」とは、夕方から夜にかけて、数多くの灯明をともして、仏様や御先祖様を祀り、御供養する仏教法要の一つです。今からおよそ1270年前の奈良時代744年(天平16年)に、東大寺の前身の金鐘寺(こんしゅじ)というお寺で、万灯を灯したのが、日本に於ける万灯会の始まりとされています。
津山に於いては、本源寺が森忠政公によって現在の場所に建立された年の慶長12(1607)年、5月3日に忠政公の奥方、お岩の方が亡くなり、本源寺にお祀りされました。
その年のお岩の方の初盆、旧暦の7月14日・15日に、桶屋町・吹屋町から本源寺のお岩の方の墓所まで、万灯が灯されました。そしてその翌年には、吉井川の川向うから墓所まで、津山の町中に灯明が灯されました。現代のように電気のない時代ですから、さぞ美しかった事と思います。
この万灯会は、慶長12(1607)年のお岩の方の初盆から始まり、寛永11(1634)年に忠政公が亡くなってからは、忠政公とお岩の方の二人の供養の為に行われ、天和3(1683)年の、忠政公の50回忌の年まで76年間毎年続けられました。
この万灯会の素晴らしい所は、大名である森家や家臣たちが始めたのではない所です。桶屋町、吹屋町の方々が始められたのです。そして翌年には、吉井川の川向こうから町中の方が賛同して灯明が灯されました。いかに忠政公や奥方が、津山の人々から慕われていたかが分かります。
天和3(1683)年から数えて、333年ぶりの本年(2016)に復活された法要
大勢のボランティアスタッフに支えられて。
美作国主にして津山藩初代藩主 森忠政公の御命日である7月7日に合わせて、平成25年より毎年7月1~7日までの一週間、森家菩提寺の本源寺にて「本源寺特別拝観」を行い、7日当日に「毎歳忌法要」を行っています。
本年の平成28年は、森忠政公をはじめ森家一門、並びに美作国の全ての祖霊の為に報恩謝徳の祈りを捧げ、美作国を灯す一灯となればという思いを込めて、初日の1日午後6時より9時まで、「万灯会法要」を行いたいと思っています。(文:案内パンフレットより)
大勢のボランティアスタッフに支えられて。
お国自慢のみなさんのお顔をあちこちで見かけました。
お線香をあげる市民の皆さんです。
忠政公の奥方、お岩の方が亡くなり、本源寺にお祀りされました。(左がお岩の方、右が忠政公)
徐々に日が暮れだして灯りも入れられ、雰囲気が盛り上がってきました。
森家御紋鶴丸印に想う 熊本震災の鎮魂と復興祈願を込めて
御成門 本堂の中では法要が行われています。
本堂の中で奉納演奏が行われています。
忠政公、お岩の方の墓前にお参り お霊屋にもお参り
お岩の方の墓前 竹の提灯 竹の燈籠
提灯に魅入る少女 鐘楼と庫裏の灯り
多くのボランティアに支えられた333年目の「万灯会」でした。皆様本当にお疲れ様でした。