中山神社本殿
天文年間戦火で炎上後、永禄2年尼子晴久により再建され元文、寛保、天保、明治、大正、昭和と大修理された。建築の大要は永禄の原形を損することなく室町の特長を残している。桁行き梁行きは各五間四尺五寸で共に三間に造り、単層入り母屋造り檜皮葺き、正面に大唐破風造りの向拝を突出し、軒には重繁垂木を分布し、軸部には総円柱板壁、斗拱は三手先、斗拱の間には正面と左右側面とに草花の透彫を挟んだ蟇肱を配し、後面中備には万束を配している。腰四方には和様の高欄をつけた廻椽を繞らし基底の下部には亀腹を作り、その下に石段を設けている。
また正面の向拝は、その棟が入母屋の裾深き甍壁より出て規模頗る雄大である。