稲葉邦子様 Happy Birthday 稲葉浩志
2020年6月11日今日の津山地方は梅雨に入り雨が降っています。83歳になられたママの誕生日を1日遅れでお祝いにと伺ってきました。ママはとてもお元気でお過ごしでした。
「こうして毎年贈ってくださることに本当にありがたいと感謝してます。新型コロナウイルスの自粛が全国で解除されたら是非おいでくださいね! 解除されてもまだまだ油断はできないけれど、三密を避けながらお待ちしております。」とのことでした。
2020年6月11日今日の津山地方は梅雨に入り雨が降っています。83歳になられたママの誕生日を1日遅れでお祝いにと伺ってきました。ママはとてもお元気でお過ごしでした。
「こうして毎年贈ってくださることに本当にありがたいと感謝してます。新型コロナウイルスの自粛が全国で解除されたら是非おいでくださいね! 解除されてもまだまだ油断はできないけれど、三密を避けながらお待ちしております。」とのことでした。
今日の津山の気温は30度と真夏日、そこで横野の滝のそうめん流しを食べに行こうという話になり、今年も行ってきました横野の滝入口の「もみじ亭」のそうめん流し。津山の山奥にある知る人ぞ知る涼スポットです。細い山道をくねくね上がっていくと緑豊かな景色の中にもみじ亭が見えてきました。もみじ亭ではそうめん流しの他、津山の郷土料理をいただくことができます。また、そうめん流しの場所の向かいの小屋ではジンギスカン料理もいただけます。川のすぐそばにあるので、とても涼しい天然の涼が楽しめます。.(撮影2020年6月6日)
可愛い薔薇の花が咲いていると友人から電話をいただいたので、早速お邪魔してきました。
ピンクの可愛いお花や一重の美しいバラの花をはじめ、色とりどりのバラの花が咲いていました。
お友達から頂いたものや、挿し木で育てられた約40種類のバラの花が、お庭で所狭しと咲いていました。特に紫色のバラの花がお好きだそうです。また、テラスでお茶しているとバラの花が香ってきて、ずっとここにいたいくらい素敵でしたよ。(※一般の方には解放されておられません。)(2020年5月13日・5月25日撮影)
2020年5月22日にイナママと久しぶりにお会いしてきました。
お元気で何より。「こんなに長いことお休みしたのは初めての出来事で前代未聞じゃわ。家の中で断捨離したり、仕事したり元気にしとったよ!もうすぐ6月になったらお店も開けるけんな。」とのことでした。また、母の日には全国から沢山のお花が届いたそうです。「みなさん。ありがとうございました。」
奥津川ラビンの里は、津山市奥津川867の津川ダム下流川沿いにあります。夏にはアマゴのつかみどり、水遊び、バーベキューガーデン、テントサイトなど、アウトドアライフが楽しめるレジャー施設です。また、津川ダムは岡山県三大河川の一つで、一級河川吉井川水系加茂川の支川津川に位置しています。春にはさくらで楽しみ、秋にはみごとな紅葉が楽しめます。(津川ダム周辺の紅葉)(2020年4月4日撮影)
「第23回さくらのうた憂愁作品展」及び「岸田夏子展」が令和2年4月10日~4月12日までアルネ津山4階「津山市立文化展示ホール」でありました。
美咲町の町木である「さくら」をテーマに短歌・俳句・川柳を募集し、応募された作品の中からさくら大賞、さくら準大賞、さくら賞が選ばれ、日展特選書家の寺坂昌三さんが揮毫した作品が展示してありました。また、「桜の画家」として知られ、現在、清春白樺美術館名誉館長の岸田夏子さんは、洋画家の岸田劉生さんの孫娘です。また、曽祖父は岸田吟香さんです。(上の絵画「櫻香」は岸田吟香記念館で見られるそうです。)
2020年3月20日のお彼岸で春分の日です。新型コロナウイルスで世界中が恐怖に震え、学校も休校、親も休日となり、家族がストレスを発散させに来られているのでしょうね。親子で遊ぶ方がいたり、子ども達はそれぞれ遊具で遊んだり、サッカーをしたり、自転車に乗るなどして遊んでいました。また、大人は足湯で読書などしながらのんびりと過ごされていました。なお、足湯とレストハウス内休憩室は、新型コロナウイルス感染症防止対策のため、2020年3月24日から一時閉鎖なっています。(2019年4月28日取材時のもの)
作東誌(文化十二年 西暦一八一五年)によれば、文殊堂は、小中原村成興寺持で松渓庵と称し、文殊菩薩木像を安置するとある。ここにはかつて獅子吼山法音寺(安政四年 西暦一八五七年初屋文書によれば法苑寺とも、文久四年 西暦一八六四年新調の振亀箱には法音寺と記されている)という京都の天龍寺の末寺の禅寺があったが、創建された時期などつまびらかではない。現在の堂宇は、明治時代に火災に遭遇し再建されたものである。往時は御開帳を、旧正月二十五日に大般若経の転読の奉修が行われていたが最近では毎年三月第一日曜日に甘酒供養を、夏七月二十五日には大念珠まわし供養が行われ、知恵の文殊と崇拝されている。堂裏の墓地の一角には、岡山県指定重要文化財(昭和三十四年三月指定)があり、室町初期から南北朝期の様式をとどめる、石造無縫塔と石造宝篋印塔の二基がある。石造無縫塔は京都の天龍寺の開祖の夢窓国師のもの、石造宝篋印塔は松渓庵開山の宝山大和尚のものであると、宝暦十二年六月(西暦一七六二年)に本山天龍寺から来山し古記録と照合認定したという自然石の碑が塔前に建っている。松渓庵をつつむ自然のたたずまいの中に、時の流れの今昔をしのんでいただきたいものである。
塔中部落・加茂町観光協会
平成三年三月吉日
坪井宿(別名「麦飯町」とも呼ぶ)
坪井の町は、津山から西へ3里(12㎞)北は国道181号線、南は七森川に挟まれた静かな町で、今も昔をしのぶ家並みが残っています。
◎坪井宿場の成り立ち
中世から戦乱により、天正7年(1579)河本城(構の城)が落城、続いて岩屋城も天正18年(1590)野火により廃城となり多くの武将・家臣団の帰農が始まり付近に居を構えた。これが集落の始まりではないかと言われている。集落は、久米川沿いの山根市場、後坪井、薬師堂一帯に作られたという。(故安藤貞郎氏が成人大学で受講記録より)
また、元亀元年(1570)・承応3年(1654)・延宝元年(1673)・延宝8年(1680)・元禄15年(1702)・放映4年(1707)と美作地方に、暴風雨・大洪水が6回あったと記録されており、久米川も大洪水となり、山根市場、後坪井、薬師堂一帯が流失、その後住民は現在の坪井に移住したと伝えられている。
大御堂 -おみどうー
大御堂が創建されたのは、寿永4年(1185)と伝わりますが、定かではありません。2018年度に実施した放射性炭素年代法による測定で、部材の一部は、12世紀末、平安時代後期に伐採されたものであることがわかりました。岡山県内最古の木材を使った建造物ということになります。
当時、大御堂ほど大きいお堂を村だけで作ったとは考えにくく、京都の仁和寺の資本が入って建てられたものと思われます。また、大御堂は現在、「堂ノワキ」という場所に位置し、北側に「堂ノモト」という地名があることから、本来は現在地のやや北へ建てられていた可能性があります。
建築された当初は、一辺が8間(約14.5m)あったものの、その後、江戸時代初期に3間に縮められたとも伝えられます。現在は吹き抜けですが、柱には、かつて板戸で仕切られていたことを示す跡が残されており、幾度かの再建・修復を繰り返しているものの、部材には室町時代以前に遡る古材も多く残されています。(文:真庭市観光協会HPより)(2019年10月9日撮影)