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取材記事内をタグ「津山城(鶴山公園)」で検索した結果,154件の記事が見つかりました。

映画「ホルモン女」撮影風景【津山城(鶴山公園)編】

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▲330名のエキストラさんにおいでいただきました。当日は、雪が降りそれが雨になり、日が照りまた雪になりと大変な天候の中での撮影となりました。スケジュールも大幅にずれ込み皆さん大変でした。

沖縄国際映画祭 津山編 2011年2月12日(土)「ホルモン女」津山城(鶴山公園)での撮影風景

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津山城(鶴山公園)さくらまつりのイベントの様子です。

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津山さくらまつり 津山城(鶴山公園)
毎年春に行われる「津山さくらまつり」。大きく立派な石垣の上に約1,000本の桜が咲き乱れ、日本のさくら名所100選にも選ばれています。
期間:平成23年4月1日~15日 入園料金:300円(小中学生は無料 30人以上2割引)
開園時間:さくらまつり期間中は7:30~22:00 (4月~9月は8:40~19:00) (10月~3月は8:40~17:00)

関連リンク:
津山観光協会 津山さくらまつり2011(会場図などこちら)
津山市公式サイト

津山市駐車場情報(空車状況がわかります)

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津山城(鶴山公園)の石垣についてその2

その1その2その3その4その5

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▲表中門(二階建ての門で、大阪城、名古屋城、江戸城を除いて一番大きな門で、登城する石段としては全国でもまれな石段の幅といわれているそうです。)

津山城の石垣は発掘調査で見つかった埋没石垣を除き、城内で観察することのできるものについては、おおむね3つの類型に分類することができます。
1、自然石あるいは自然石を打ち割っただけの石を用い、角の部分も不規則な石で構築するもの。
2、表のみ面をのみで平滑に加工した石を用い、石と石の間を小さな石(間詰め石)で詰め、角には大きさのそろった長方形の石を用いるもの。
3、表面を繋で平滑に加工し形をほぼ四角く整え、間詰め石をほとんど用いず、角の部分も長方形の石を規則正しく積み上げているもの。の3つです。これらはその石の加工の具合などから古い順に1→2→3と技術が進歩していったものと考えています。

1の特徴をもつ津山城で最古階段の石垣は城内のどの辺りになるのでしょうか?
それは本丸の東側の太鼓櫓や月見櫓が乗る石垣、本丸の入り口の切手門南側の石垣、あるいは搦手側(裏手側)になる七間廊下石垣および裏鉄門枡形内の石垣などに見ることができ、本丸およびその周辺に限られるようです。(津山城百聞録より抜粋)

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津山城(鶴山公園)の石垣についてその3

その1その2その3その4その5

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津山城を築城した森忠政は信州川中島の海津城から慶長8年(1603)に美作国1円18万6500石を与えられ、美作に入封しました。そして翌慶長9年(1604)に津山城築城を開始したのです。まさに関ヶ原以降の大名の転封、それに伴う新規築城という全国的な大きな流れに乗ったものです。

参考までにこの時期の外様大名による築城例をあげると、加藤清正の熊本城、細川忠興の小倉城、加藤嘉明らの伊予松山城、池田輝正の姫路城、藤堂高虎の伊賀上野城、伊達政宗の仙台城など日本を代表する城があり、津山城もそれらの城と匹敵する規模の城郭でした。さらに、津山城の築城は元和2年(1616)まで続くのですが、これは元和元年の武家諸法度の公布により築城を終了し、一応津山城の「完成」としたものと思われます。(津山城百聞録より抜粋)

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▲津山城の石垣。扇の勾配(65度前後が人の目からみて一番美しいといわれている。)

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津山城(鶴山公園)の石垣についてその1

その1その2その3その4その5

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▲冠木門(公園になった為石段を作ったのですが、本当の姿は左右に防備のための石垣があったらしい)

「建武のころ(1334~1337)、すなわち足利尊氏が室町幕府を開いた頃、美作国の西北条部に鶴山という山があり、別名小篠山とも呼ばれていた。その南に留川(戸川)という清浄な川があった。付近には戸川町や林田町があって、毎月の一日と十五日には戸川の市と呼ばれる市がたち、美作国中の人々が群集を成して集まり、さまざまな商品の売買をした」(森家先代実録より)

ここでいう戸川町は吉井川の河原、あるいは川に面した安定し土地と考えられ、その町場を眼前にして、鶴山の中腹には福聚山妙法寺があり、その門前には門前町があったといわれています。
伝承では、妙法寺は津山城の「柳の檀」にあったとされています。この「柳の檀」というのは三の丸の段を指しており、鉄砲櫓の下の付近に大きな柳の木があったとされています。また、城内の煙硝蔵がった付近、現在の鶴山館が位置するあたりも妙法寺の院内であったと伝えられています。
そして、煙硝蔵の一段上の段には大きな桐の木があったことから「桐の檀」と称され、そこには鶴山八幡宮があったと伝えられています。また、戸川町には、後に城下の総鎮守となる徳守大明神が祭られていました。

慶長9年(1604)春、吉井川と宮川の合流点を見下ろす小高い鶴山を城地と定めた森忠政は、まず「鶴山」の名称を「津山」改めたとといいます。そして、その年の秋には手斧始めとして徳守神社を造営し城下町の総鎮守としました。(津山城百聞録より抜粋)

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