北山円応禅寺跡 観音堂(作用町)

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円応寺由緒
 鎌倉後期から播磨に進出していた聖一派の大朴玄素を開山として、暦応2年(1339)赤松円心が創建したもので、室町幕府の官寺制度のもとで十刹につぐ諸山に位置づけられた。
 住持の推挙は春日部流がおこなっており、外護は円心から貞範に受け継がれたらしい。
 一時退転した後に近世に再興され堂が現存するとともに、大伽藍をしのばせる礎石、佐用範家の墓と伝承される南北朝期の宝筺印塔が残る。
(文:兵庫県立歴史博物館HPより転載)(2025年7月26日撮影)

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円応寺                     円応寺の宝筺印塔

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南北朝期の宝筺印塔
 円応寺宝篋印塔は、赤松一族の作用三郎兵庫介範家の墓と伝えられ、中世動乱の中で建武の忠興に大きな貢献をもたらした業績に見合った立派なものである。この塔の高さは、約2mあり、郡内一の大きさを誇る。南北朝時代の特徴をよく表しており、昭和47年(1972)、県指定文化財となった。塔身は、後に新しくつくられたものである。(文:現地説明版より)

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途中に観音堂の石碑               観音堂は修復中

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境内                     観音堂

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                        鉢に菊のおご紋?

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円応寺の礎石(作用町指定文化財)
 円応寺には、かって北山円心禅寺があり、暦応2年(1339)に開山、応永7年(1400)には著山の寺格を持つ大寺になったといわれる。現在、観音堂の礎石等に転用されているが、寺院の存在を示す考古資料である。今確認できる礎石は18個で、造出円形柱座の直径33~36cmのものが9個、46~50cmのものが9個ある。(文:現地説明版より)

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境内のお堂                   手水鉢