苫田郡(鏡野町)(地域別/津山市周辺・岡山県北地域)

明治の元標(鏡野町)

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明治の元標
 里程標(りていひょう)は、地上高さ85㎝、幅18㎝、四方上を山形にした凝灰岩の方柱である。
百谷地内、香々美北郵便局のすぐ北の橋の北詰にある。刻字は、北面は、「明治五年九月検査」東面は「距津山元標四里、南面西北條郡百谷村、字横部」とある。
 当時の北条県(美作国を範囲としていた)の県庁は津山にあり、北条県の道路元標は、宮川大橋西詰に設置されていた。元標より一里が小原、二里が田辺、三里が藤谷、四里が百谷で、それぞれに同規格の里程標が現存している。
 この里程標は、津山石山産の凝灰岩である。※町指定史跡「昭和47年4月1日付」管理者 鏡野町(文:『香北ふるさとの伝承』より)(2021年10月20日撮影)

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日本一の大柿 大町の西条柿(鏡野町)

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 大町部落内の左手の丘にあって、県道からも見える。この柿は県下最大の柿で根元周囲4.4m、地上約0.9mあたりで、東西二枝に分岐している。
 東の枝には、更に二枝、西の枝には三岐にわかれ、南へ7.5mに及んでいる。樹高17m、樹齢400年と推定される。根元には、接木の跡があるため、西条柿が接がれたものであろう。樹勢は旺盛で多数の実を結んでいる。
 西条柿は、広島県賀茂郡の原産といわれ、古くは西条で取引きされたため、西条柿と呼ばれるようになったという。関西では広く栽培され、干し柿や、あわし柿として、珍重されてきた柿である。西条柿は寒冷地に少ない種類とみられている。それが町内でも北部の大町部落に大木として現存していることは意義深いことである。
※町指定 天然記念物(昭和47年4月1日付)所有者 田村祐一氏(文:【香北ふるさとの伝承】より)(2021年11月3日撮影)

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元禄の道標(鏡野町)

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 百谷浜子の和仁君男氏宅横に、この道標がある。
 往時この地点は交通の分岐点で、川を渡って東へ行く道は、真経を経て、越畑の鉄山へ通じ、真直ぐ北へ行く道は、奥津を経て、伯耆国倉吉へ通じていた。倉吉への道は、作州一円より農業の神美保神社へ詣った所謂(いわゆる)関詣りの道でもあった。
 この道標は、地上高90㎝、幅18㎝の方柱で、正面は草書、裏面は楷書で刻んである。
 正面(南側)―南「是より左伯耆くらよし道」
 裏面(北側)―北「元禄二年己巳年三月日」
 元禄2年(1684)当時作州を領した森家の二代長継公は、交通の要地にこの道標と同規格の道標を設置した。
 元禄の道標で現存しているものは、大原町古町の津山道の道標、作東町杉坂越えの道標及び、久米郡中央町打穴中清水の道標など数基にすぎない。
 元禄2年の道標は、方柱の上端が山形にとがらせてあるのが一般的であるが、浜子のものは上端が平である。これは、もともととがっていたものを後に何かの都合で、平に加工したものと思われる。
(文:『香北ふるさとの伝承』より)(2021年11月3日撮影)

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津山城の天守の真柱に使用された宗重の大桂

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宗重の大桂
 この宗重の大桂は、樹齢700年の巨木でしたが、慶長年間津山候森忠政が津山の鶴山に城を築いた時に天守の心桂に使われました。
その切株の跡に洞を形成し、再び芽が出て成長して今日の形になったと言われています。
 津山城の建物は、現在ありませんが、立派な石垣と桜の名所です。鏡野町
(文:現地看板より)(2021年11月3日撮影)

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植月英俊作品展 県北の風に吹かれて

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 岡山県県北にて長年、作家活動・芸術教育に尽力した画家。植月英俊氏。2016年に胆管癌であまりにも早い死を迎えますが、生前は画家としても教育者としても多くの後進を育て、岡山県県北における芸術の礎を先頭を切って築きました。
 今回は晩年の作品を中心に、スイスの教育思想家の名を掲げる鏡野町「ペスタロッチ館」と夭折の作家の展示をコンセプトとする「かがもの近代美術館」にて、植月氏が好んだボブ・ディランの名曲からオマージュ「県北の風に吹かれて」と称し、展示致します。
主催:OKUTSU芸術祭実行委員会
 第一期 2021年10月3日~10月10日 鏡野ペスタロッチ館ギャラリー
 第二基 2021年10月26日~11月21日 かがみの近代美術館

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森大膳亮重政・母親(於竹)の屋敷跡

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 この段が森大膳亮重政君の住居跡だそうです。
住居の跡は、部落から一段と高くなった所にあって、後ろに山をひかえた、かなりの広さをもっていたもののようだ。現在は田となっていて「屋敷」、「屋敷の段」という地名となってのこっている。この屋敷のうしろの山の中腹にみられる古い墓は、供の人達のものであろうと伝えられている。
 森大膳亮重政は、津山藩初代藩主森忠政の長男として文禄二年(1593)、当時忠政が治めていた美濃国(現在の岐阜県)金山で生まれました。第二子という説もありますが、正しくは長男で、側室の子であったことと病弱であったため、相続権はなく、嫡子(ちゃくし)忠広の庶兄として育てられたようです。
 忠政が津山藩主として美作へ来た際には真経に屋敷を構え居住していました。おそらく病身のため藩の任務に就くことが困難で、真経の静かな地で療養をしていたのでしょう。そして、元和四年(1618)にこの地で亡くなります。26歳の若さでした。(2021年9月12日撮影)

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3rd OKUTSU ART FESTIVAL(道の駅奥津温泉)

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 2021年9月26日に鏡野町を舞台に開催されるアートイベント「第3回OKUTSU芸術祭」2021年9月11日(土)~11月21日(日)に行ってきました。 この芸術祭は作州地域ゆかりの若手作家さんの作品が展示されていて毎年、楽しませていただいています。さっそく立ち寄った道の駅奥津温泉では、手ぬぐいアート作品が所狭しと飾られて秋の空にたなびいていました。

鏡野町観光協会、道の駅奥津温泉、石庭遊園地、旧武本名産店、池田屋河鹿園、かがみの近代美術館、奥津公民館、みずの郷奥津湖、国民宿舎いつき、そば処秀峰、宝樹寺、鏡野町ペスタロッチ館、富総合福祉センターほか TEL.086-52-0722(かがみの近代美術館)
※日程、料金など変更されている場合がありますので、お出かけの際は問い合わせ先にご確認ください。

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天竺山 圓明院 興禅寺(美咲町)

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天竺山 圓明院 興禅寺
 当山は、遠い昔天竺の国の摩訶迦羅神(大黒天)がしばし天竺山に留まられたことから、天竺山一帯を寺域として貞観三年(861)開山されました。
 開山後は、元暦元年(1184)に、近江の人で錦織天丞勝重と名乗る武人が、西国における合戦に赴く際に、興禅寺に詣で堂宇を寄進しました。 
 元亀三年(1572)嵯峨山城落城の時に兵火より、天竺山中にあった興禅寺が消失したため、光禅庵跡の現在地に本坊を移されました。
興禅寺文化財
・仁王門と山高龍雲作金剛力士像    ・安篋印塔(南北朝時代)
・広瀬台山(酔翁亨図)        ・不動明王、毘沙門天、普賢菩薩・光後玉江の記録文書
 興禅寺住職であった戒般和尚に弟子入りし、仏門に入ると共に、江戸末期から明治にかけて地域医療につくされた女医です。当山には、光後玉江さんの診療の記録(患者届書控)や、西洋医学古文書の写し(ワートル薬性論等)等を保管しています。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)

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男女山(おとめやま)公園

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  男女山公園は、岡山県の北中部の鳥取県と隣接する鏡野町にある標高約205メートルの「女山」につくられた、地球おいたちの広場と題した看板のとおり、地球誕生からの歴史をテーマに平成3年に完成した公園だそうです。
 今まで何度かおじゃました公園ですが、今回は、男山・女山の取材を兼ねて散歩してきました。吹く風が心地よい日に散歩が出来、女山の頂上から見渡す景色も美しく、サクラの花の咲くころはさぞかし綺麗だろうなと思いました。程よい坂もあり、年輩者でもゆっくりと散歩が出来ます。
 また、「太陽の広場」、「クレータの広場」、「未来の丘」、「緑の広場」、「恐竜の広場」があり、恐竜の広場ではプロントザウルス・ティラノザウルスが出迎えてくれます。一番人気は、恐竜の卵から出発する約80mの長さのローラー滑り台だそうです。小さな子ども連れのファミリー層にも人気のスポットです。

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男山・女山と森家にまつわるはなし

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男山(おんやま)・女山(めんやま)にまつわるはなし
 香南地区の沢田のあたりから西を見ると、大野小学校の向こうに昔話の絵本に出てくるような、三角形の二つの山が目に入ります。北側の高い方を「男山(おんやま)」、南側の低い方を「女山(めんやま)」と呼び、二つを合わせて「男女山(おとめやま)」とも言われています。
 この男女山は、約100万~200万年前、火山活動が行われていた頃、地中深くを通っていたマグマの通路からマグマが地上に噴出し、それが固まって残ったもので、女山の頂上付近では、このマグマが固まって石垣のように六角形にひび割れた「女山の玄武岩」(町指定天然記念物)を見ることができます。
 男山・女山は、その特徴的な形からか、古くから霊験あらたかな山として神聖視されてきました。円宗寺にある吉祥寺も、江戸時代以前は男山の東麓にあったといわれますし、元禄4年(1691)刊行の『作陽誌』にも、男山・女山それぞれの山腹には権現社が祀られており、不思議な現象が多くあったと書かれています。その一つとして、寛永11年(1634)7月7日、津山藩初代藩主・森忠政が京都で急死した日の夜、男山・女山が突然、山が崩れるのではないかと思うほど大きく振動したといいます。
 しかし、よく見ると何の変わりもなかったのですが、しばらくすると京都から訃報が届き、この現象が森忠政の死去を暗示するものであったのだと言われたようです。そして延宝2年(1674)2月に、津山藩二代藩主・森長継の長子・忠継が、38歳の若さで亡くなった時にも同じ現象が起こったと記されています。

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